ひろゆき氏の「45歳定年制に反対するのは無能」説は本当? 見逃された企業の“約束違反”
9月9日、サントリーホールディングスの新浪剛社長が「45歳定年制」を提唱したことが大きな話題を呼んだ。経済同友会がオンラインで開いたセミナーで、「個人は会社に頼らない仕組みが必要」と問題提起したという。
SNS上では、「単なるリストラではないか」、「45歳で普通の人は転職できない」などの批判が相次いだ。これを受けて、13日には、加藤勝信官房長官が、「法律(高年齢者雇用安定法)には、60歳未満の定年禁止が明確に書かれている」と発言するに至った。
一方で、「2ちゃんねる」創設者の西村博之(ひろゆき)氏はテレビ番組で、「45歳定年制に反対している人って、無能だけど会社にしがみつきたい人だと思う」と発言するなど、新浪発言を擁護する意見も出ている。
本記事では、現在の労働者の賃金体系や社会保障の状況などから、45歳定年制がいかに非現実的なものであり、現役世代への“約束違反”であることを示すとともに、この発言の背後にある「教育投資の削減」についても考えていきたい。
「45歳定年制」は約束違反
まず、このグラフを見てほしい。
図1 性別、年齢階級による賃金カーブ(1976・1995・2019年、一般労働者、所定内給与額)
年齢階級別の賃金カーブを示したものだが、このうち、「男性2019年」の折れ線グラフに着目すると、年齢とともにおおよそ右肩上がりになっていることがわかるだろう。45歳定年制になるということは、このカーブが上がりきらない段階で定年を迎えることを意味する。
これは、現在働いている労働者にたいする約束違反である。なぜなら、期待された賃金を得ることができないことに加え、定年に際して支払われる退職金が、大幅に減額されることになるからだ。
日本の労働者は若いころに「猛烈」に働かされる割に給与が抑えられている。時には、「将来の賃金」を当て込んで、サービス残業をも厭わない。その若いころに頑張った分の給与は、同時代の年配層に分配される。このようないびつな賃金体系は、最近では若者の不満の種になっているが、それでも彼らが従うのは、「いずれはもらう側」に回ると信じてのことだ。
退職金も、勤続年数とともに増額されるよう設計されていることが多く、それは、本来、定期的に支払われるべき賃金が、退職時に一括して支払われるという位置づけのためであり、「賃金の後払い的性格」として評価できる。
このような「約束」が途中で打ち切られてしまうとすれば、その世代だけが「大きな損」をすることになる。若い時に安く猛烈に働き、賃金が上がる前に解雇されるのだから当然だ。新たに定年制を早めるにしても、それは入社前に同意を得られた場合に限られるべきであるし、その場合、若年期の給与を大幅に引き上げることが必須であろう。
社会保障との齟齬
問題はそれだけではない。年功賃金(職能給)が上がりきる前に打ち切られてしまうことで、社会保障上の問題も発生する。この点は、欧米の制度を比較するとわかりやすい。
ヨーロッパでは、上にみた日本のような賃金カーブはそれほど一般的ではない。古いデータであるが、製造業で働くブルーカラー(男性)の賃金カーブと比較してみよう。
図2 賃金カーブの国際比較(1995年前後、20~24歳=100)
フランスを除く他の国々は、年齢が上がっても、賃金カーブは横に倒れたままである。
入社から一定の期間を経ると、労働者の技能はそれほど上昇することはなくなるため、多くの国々では「同じ仕事には同じ賃金」が支払われる(同一労働同一賃金の原則)。本来であれば欧米型の賃金の方が公正であるが、日本の場合には、仕事の内容は同じでも、年齢間で差をつけることで、例外的に、世代間の再分配が行っているわけだ。
その理由は、年齢上昇とともに必要となるさまざまな費用(結婚・出産、住宅、病気、介護など)を賄うためだ。これを欧米の場合には、企業が保障するのではなく、国家が社会保障として提供する設計になっている。日本では国の社会保障が手薄な分を、減税や、企業の開発投資への補助金などに充当し、企業の成長を図っている。このように比較すると、日本の賃金カーブの特殊性や、そのうえで「45歳定年制」を導入することの難しさが浮かび上がってくるだろう。
原則、65歳から支給が開始される老齢年金をはじめとした国の社会保障は、こうした賃金カーブを念頭に設計されている。また、持ち家のために、数十年にもわたる長期の住宅ローンを組み、その返済に追われている労働者は少なくない。あるいは、子どもに高等教育を受けさせるために、教育ローンを組んでいる場合もある。45歳定年になり、その後の転職がうまくいかなかった場合、これらのローン返済はどうなるのだろうか。
「45歳定年制」は、労働者との約束・期待に背くものであると同時に、その人生設計をも狂わせてしまい、国の社会保障とも齟齬を来たすことになりかねない提案なのである。
ねらいは「教育投資の削減」
では、「45歳定年制」はどのような文脈のもとで提案されているのだろうか。報道では、終身雇用や年功賃金など、従来の日本型雇用慣行から脱却する必要性が主張され、その具体策として出されたのが「45歳定年制」であったという。これが導入されれば、「人材の流動化」が促進される、というわけだ。
のちに、経団連の十倉雅和会長も、「そういうの(60未満の定年の禁止)をわかっているうえで新浪さんがおっしゃっているのは、まさにご指摘の人材流動化が必要だということだと」、「労働市場の流動化が起こるのは結構なことだ」と賛意を示したという。たしかに、先の賃金カーブを見ればわかるように、だんだんと賃金が上昇していく労働者を多く抱えることは、企業にとっては「コスト」となってしまうのだろう。また、雇い続けるからには、それだけ教育訓練の費用もかさむことになる。
つまり、人材を流動化させたいということは、すなわち、社員にたいする教育投資をできるだけおさえたい、という企業側の意向の表れでもあるということだ。
実際、民間企業が従業員1人当たりにかける教育訓練費は、1990年まで上昇を続けてきたが、それ以降、漸減の傾向にあることが指摘されている。これも少し古いデータだが、内閣府が発表した資料を見てみよう。
図3 民間企業における教育訓練費の推移
また、企業による教育投資のうち、通常の業務から離れたOff-JTへの支出も減少している。次のグラフから、この約10年ほどで、Off-JT に費用を支出した企業の割合が57.8%(2008年度)から45.3%(2020年度)へと、10ポイント以上も減っていることがわかる。2020年度については、コロナ禍で集合研修ができないという事情も関係しているだろうが、オンラインで実施しているケースもあるため、Off-JTは減少傾向にあるといえるだろう。
図4 Off-JTに費用支出した企業割合の推移
もともと日本における公的な職業訓練制度は脆弱で、労働者は企業の中に入り、そこで技能を養成していくものだとされてきた。次のグラフを見るとわかるように、日本の教育訓練にかける公的支出は低く、OECD平均も下回っている。
図5 各国における訓練プログラムへの公的支出(対GDP比)
だが、その企業任せであった教育投資も徐々に減らされていき、「45歳定年制」にいたっては、転職を通じて自らスキルを身に着けていくようにと、「自己責任」が謳われているのである。
不足するデジタル人材
このように、国も企業も、労働者への教育投資を減らしていった結果、現在、日本ではデジタル化に対応する人材の不足が深刻な状況にある。
経済産業省によれば、今後もIT需要が拡大する一方、少子化により労働人口が減少するため、IT人材の供給が追い付かず、2030年には最大で約79万人の不足になるという(「IT人材の最新動向と将来推計に関する調査」、2016年)。
なかでも、昨今、耳にすることも多くなったデジタルトランスフォーメーション(DX)の推進に必要な「先端IT人材」は、2030年に27万人不足する見通しとなっている。AI(人工知能)やあらゆるモノをインターネットにつなげるIoTなどを扱うことのできる人材が日本では大きく不足しており、「STEM」と呼ばれる数学・科学系の卒業者数は、アメリカの10分の1という状況だ。
参考:DX担い手、米の1割 AIに必須「STEM」人材へ投資急務 ―チャートは語る
欧米では、デジタル人材を育てるための再教育にたいする公的支援が広がっているという。なかでもフランスでは、コロナ対策のうち、雇用や職業訓練に153憶ユーロを充て、デジタル分野などへの職業教育を支援している。
一方で、「45歳定年制」を導入し、企業がコストカットをしたとしても、デジタル化を中心とした産業構造の変化に対応することはできない。ただ、人材が輩出されて流動していくだけだ。
失業期間中には公的職業訓練を受けることもできるが、これが他国に比べて圧倒的に脆弱な日本では、自ら多額の投資を行って専門学校に通うなどしなければ、十分な技能訓練を受けられる保証はない。
国、そして企業に求められていることは流動化ばかりを促進するのではなく、労働者の教育訓練・人材育成に責任を負うことではないだろうか。
新たに誕生した岸田文雄新総裁が現時点で打ち出している政策には、コロナ禍で困窮する非正規労働者や女性にたいする現金給付が含まれているようだが、目立った雇用政策は見られず、デジタル化に対応した教育投資に関する政策も掲げられていない。本格的な議論はこれからだろうが、今後の動向を注視したい。
最後に、「45歳定年制」と関連して、職場で解雇の問題に直面している方は、ぜひ下記の相談窓口など、労働側の専門家に相談していただきたい。
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