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「大幅賃上げ」ってどこの世界の話? 非正規の「7割以上」は賃上げされず

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
写真はイメージです。(写真:イメージマート)

 5月9日、非正規春闘実行委員会が、今春の非正規労働者の賃上げ状況を報告する記者会見を開いた。非正規春闘は、大企業正社員を中心とした従来の春闘とは別に、非正規労働者の賃上げを求める新たな取り組みだ。

 今年の春闘は、「満額回答」「高額回答」など景気の良い言葉とともに大きく報じられてきた。今月20日には日本経団連が大手企業の2024年春闘の回答・妥結状況(第1回集計、16業種89社)を公表し、定期昇給を含む月例賃金の引き上げ率は5.58%に上り、1992年以来32年ぶりの高水準になったと報道されている。

参考:大手賃上げ率5.58% 24年春闘、32年ぶり高水準 経団連

 だが、非正規労働者や中小企業の労働者などにどこまで波及しているのかは定かではない。日本の労働組合加入率は16.5%と低く、非正規労働者や中小企業の労働者に絞ればさらに低いため、春闘賃上げの波及については限定的だとする見方もある。

 本記事では、非正規春闘の会見内容にもとづき、今春の非正規労働者の賃上げ状況について解説しつつ、非正規労働者が賃上げを方法について紹介していきたい。

記者会見の様子
記者会見の様子

非正規春闘の交渉状況

 これまで非正規春闘実行委員会が、春闘要求を提出した企業は107社あり、現時点で59社から何らかの賃上げ回答を得ているという。うち、13社では時給換算で50円以上の賃上げを実現している。

 例えば、首都圏青年ユニオンが春闘交渉を行ったベイシアでは、アルバイトが平均5.41%の賃上げ、パートが平均4.31%の賃上げという回答を得ており、アルバイト・パート合わせて約9千人の賃上げが実現する見込みだ。また、飲食店ユニオンが組織するスシローでは、組合員の在籍する5つの店舗において、平均10.7%の賃上げ(平均して時給112円アップ)を実現した。また、私学教員ユニオンが組織する広尾学園では、非常勤講師について平均8%の賃上げを勝ち取っている。

 ここで紹介したベイシア、スシロー、順心広尾学園では、今年3月にいずれもストライキを決行するなど、労使が対立しながらも、比較的大きな成果を上げていることが特徴的だ。

 もちろん、成功ばかりではない。春闘要求を提出した107社のうち、48社からは、賃上げを拒否する回答があり、今後も団体交渉や労働争議が続く見込みだという。

非正規労働者の72.5%が今春に賃上げをされていないと回答

 労使交渉が一定の成果を上げる一方で、非正規春闘実行委員会が実施したオンライン調査からは、労働組合に入っていない非正規労働者はいっそう厳しい状況に置かれていることが見えてきた。

 調査は2024年5月1日~5月8日に実施され、251件の回答が寄せられた。以下、調査結果を見ていこう。「物価上昇のもとで生活費の高騰を感じますか?」という設問に対しては、ほぼ全員が「とても感じる」「どちらかといえば感じる」のいずれかを選択して回答している。

 また、「物価上昇によってあなたの生活は苦しくなりましたか?」という設問に対しては、9割が「とても苦しくなった」または「どちらかと言えば苦しくなった」と回答している。

 その一方で、「今年1月から現在までに、賃金を引き上げられましたか?引き上げられた場合、具体的な賃上げ額を教えてください。」という設問に対しては、72.5%が「上がっていない」と回答。さらに、引き上げられたと回答している人のうち、引き上げ幅が時給換算で50円以下という人が15%超えを占めており、物価上昇を上回る賃上げを得られた人は、1割程度にとどまると推定される。

 このように調査からは、非正規労働者の大半が物価高騰の影響で生活が苦しくなっているにもかかわらず、今春の賃上げの波が届いておらず、実質賃金が減少し続けていることが見えてきた。

 ちょうど本日9日、厚生労働省が3月の毎月勤労統計調査の結果を発表したが、実質賃金は前年同月比2.5%減だった。実質賃金の減少は24カ月連続のことだ。給与総額は伸びているが、物価高には追いついていないのが現状だ。

参考:実質賃金3月2.5%減 24カ月連続マイナス、過去最長  

賃上げを望む人が大半だが「何もしていない」が多いとの結果

 では、このような現状を非正規雇用で働く人たちはどのように捉えているのだろうか。この点についても、非正規春闘実行委員会の調査結果を参照してみていこう。

 「現在の賃金を引き上げてほしいと思いますか?」という設問に対しては、92.4%が「とても思う」と回答し、「どちらかと言えば思う」まで含めれば98.8%となり、ほぼ全員が賃上げを望んでいることがわかる。

 また、賃金を引き上げてほしい理由を複数選択式で尋ねたところ、「物価上昇で生活費が高騰しているため」(76.1%)、「そもそも生活していくうえで賃金が低すぎるため」(72.5%)、「現在の賃金では将来が不安なため」(60.7%)の順となった。いずれも生活していくために十分な収入を稼げていないという不満がみえてくる。

 次に多かったのが、「仕事の難しさ・きつさ・責任の重さに賃金が見合わないため」(47.4%)「長年働いているのに賃金が十分上がらないため」(38.5%)、正社員との賃金格差が不合理であるため(33.6%)などだ。これらの回答からは、仕事の内容や責任、習熟度に比して賃金が低いという不満が垣間見える。

 そのうえで、「賃金の不満・要求について、どのような行動を起こしましたか」と複数選択式で尋ねたところ、「何もしていない」が42.0%、「同僚に愚痴を言った」が29.6%、「会社や上司に相談・要求した」が28.8%、「副業を始めた」が15.2%、「転職活動をしたもしくは転職した」が11.1%、「労働組合や弁護士、労働基準監督署など外部の機関に相談した」が4.5%、の順であった。

賃上げへの願望はあるが「何もしていない」人が最も多いこと、副業や転職といった形で個人的に対応する人が一定数いることが分かる。また、特徴的なことは、「会社や上司に相談・要求した」人(28.8%)に比して、「労働組合や弁護士、労働基準監督署など外部の機関に相談した」人(4.5%)が非常に少ないことだ。

 たしかに、賃上げの要求は、法律に根拠があるものではないため、弁護士や労働基準監督署としては対応が難しい。だが、春闘に象徴されるように、賃上げ交渉に際しては労働組合に対し法的に特別な権利が与えられている。なぜ、労働組合に相談する人がこうも少ないのだろうか。それは次の調査結果から推察できる。

 春闘へのイメージを尋ねると、最も多い回答が「一部の正社員のみに関係するものだと思っていた」(36.8%)で、次いで「自分や社会にとって重要なものだと思っていた」(24.8%)、「自分には関係のないものだと思っていた(20.8%)、「聞いたことはあったがどのようなものなのか知らなかった」(9.6%)、「聞いたことが無かった」(1.6%)が続いた。多くの人が春闘について聞いたことはあるが、「一部の正社員のみに関係するもの」だと思っているのだ。

勤務先企業に賃上げさせるために何が必要か

 たしかに、春闘はこれまで、主として大企業正社員のためのものであったことは否めない。そもそも非正規労働者は、職場に労働組合がなかったり、職場の労働組合が正社員中心であったりして、労働組合に加入していないことが多い。

 だが、本記事で紹介した非正規春闘は、非正規労働者が自ら賃上げを求めるための取り組みだ。昨年から始まった動きであり、まだ十分に知られていないが、非正規労働者が賃上げを求めるための有力な回路になると思われる。

 冒頭で紹介したベイシアの賃上げは、大学生のアルバイトたった一人が個人加盟労組・首都圏青年ユニオンに加入して非正規春闘を行うことで、アルバイト数千名の平均5.41%の賃上げを実現している。また、私立学校・広尾学園でも、60代女性の非正規教員がたった一人で個人加盟労組・私学教員ユニオンに加入して非正規春闘を行うことで、平均8%の賃上げを勝ち取っている。

参考:賃上げ10%を求める「非正規春闘」が本格化 どうやって参加したらいい?(今野晴貴) - エキスパート - Yahoo!ニュース

 このように、職場に労働組合がなくても、個人加盟できる労働組合に相談・加入し、非正規春闘の交渉や行動を重ねることで、非正規労働者の賃上げを実現する道がある。

 勤務先の会社で今春まだ賃上げがされていないという方や「春闘は正社員のもの」と考えていた方には、非正規春闘実行委員会や各地の個人加盟の労働組合の取り組みが参考になるだろう。

無料労働相談窓口

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NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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