古内東子 30周年、6人のピアニストと「自分の気持ちにより素直になり」紡いだ新しいラブソング集が話題
20年ぶりに古巣ソニーミュージックから、30周年プロジェクトの始まりのニューアルバム『体温、鼓動』発売
シンガー・ソングライター古内東子がデビュー30周年を迎えた。以前、25周年のタイミングでインタビューした時彼女は「昔もそうだけど、今も“恋愛の教祖”って言われると、申し訳ない気持ちになる(笑)」と語ってくれたが、恋愛における女性の心模様を的確に捉えた楽曲で、共鳴、共感を得続けてきた彼女のことを、そう呼ぶメディアは多い。古内は1993年2月21日「はやくいそいで」でソニーミュージックからデビュー。そして2022年2月21日に、20年ぶりに古巣からデビュー30周年プロジェクトのスタートを告げるニューアルバム『体温、鼓動』を発売した。6人のピアニストと共にトリオ(ドラム、ベース)で8曲の珠玉のラヴソングを聴かせてくれる。この作品について古内にインタビューした。
「30年間色々なピアニストの方とお仕事をしてきて、その方たちと生でレコーディングを楽しむという贅沢な時間でした」
2018年の『After The Rain』以来となる19枚目のオリジナルアルバム『体温、鼓動』は、古内のセルフプロデュースで作り上げた。これまでレコーディングやライヴで共演した中西康晴、河野伸、森俊之、草間信一、松本圭司、井上薫というベテランから若手まで6人のピアノの名手と、ベース小松秀行、ドラムTomo Kannoのトリオで、8編の物語を紡いでいった。一枚アルバムの中で一人のピアニストと一曲ずつ共演するという贅沢な作りになっている。
「最初は、30周年を迎えたので、何か作らせてもらいたいなというくらいの感じだったのですが、自分にとってはピアノがキーになる楽器なので、30年間色々なピアニストの方と仕事をしてきて、その方たちと生で演ってみたいという発想が軸になっています。30年の間に関わった方たちとレコーディングするという、贅沢な時間をかみしめながら歌っていました。ジャズのピアノトリオ、それこそビル・エヴァンスとか色々聴いていましたが、ボーカルは入っていないのに、ピアノの音が小さく遠く感じて、それは私が今回考えたものとは違うので、もっとパンとピアノの音を耳元で感じたいと思いました。ライヴでピアノの弾き語りをするときには、耳の中で聴こえるピアノの音がボーカルととても近いので、その感じにしたくて、ピアノの音を大分大きくしました。でもピアニストの皆さんはそれが恥ずかしいみたいで(笑)」。
「同じスタジオで、同じピアノでレコーディングしたのですが、弾き出した瞬間から全然違う、それぞれの個性が如実に出ていると思います」
それぞれのピアニストに当て書きをしたような、その音色を最大限に輝かせる、“聴かせどころ”タップリの曲を書き、またピアニストは古内の歌が最高に“立つ”演奏でそれに応えた。それぞれのタッチ、リズムから生まれる音色はまさに“六人六色”だ。
「同じスタジオで、同じピアノでレコーディングしたのですが、弾き出した瞬間から全然違う、それぞれの個性が如実に出ていると思います。それぞれのピアニストのことをよく知っているつもりだったんですけど、この人はこういうタッチだったんだなとか、この人ってこういう感じで弾くんだなっていうのが改めて見えてきて、面白かったです。
「自分の気持ちが一番大切で、それしか揺るぎないものはないんだと気づいて、自分の気持ちにより素直になる、そういう曲が多いと思います」
アルバムタイトルにもなっている「体温、鼓動」(編曲:草間信一)という作品は、タイトルや、<当たり前なんてもうないの 世界中探したってないの>という歌詞も含めて、コロナ禍で「自分の気持ちを一番大切にしたいということが再確認できた」からこそ出てきたキーワードなのだろうか。
「私はジャズの理論はわからないのですが、この曲だけ5拍子、変拍子であまりこういうポップスってないと思います。自分でも情熱的な歌詞だと思っていて、“体温”という言葉は、いつもだったら出てこなかったかもしれません。コロナ禍で、毎日体温を測っていたからかもしれないです。<世界中探したってないの>という言葉は、今の時代じゃなければすごく大きなことを言っている感じになるかもしれないけど、今は本当にそう思うから。世界中の人が同じ思いをして、世界中どこに行っても今までとは違うんだというこの状況の中、すごく説得力がある言葉だと思います。このアルバムは、特に今の世相を映しだそうと考えて書いたわけではないけど、結果としてどう変化したのかは自分でも楽しみな部分でした。結果、色々削ぎ落とされて、一番大切なのは自分の気持ちっていうか。周りはどんどん変化していって、それにしがみついていても、それぞれ状況は違うので仕方ないし。こうしたいと思うことができないのが当たり前になって、そうなると自分の気持ちが一番大切で、それしか揺るぎないものはないんだと気づいて、自分の気持ちにより素直になる、そういう曲が多いと思います」。
リード曲「動く歩道」のモデルとなっているのは……
リード曲の「動く歩道」は、森俊之のピアノが、古内の歌とメロディの輪郭と切なさをより濃く映し出している一曲だ。
「私は恵比寿ガーデンプレスの歩道をイメージしました。とにかく長いし、駅に通じていて、生暖かい風が通り抜ける感じ。あとは羽田空港の動く歩道も浮かびましたが、みなさんそうだと思いますが、私も一人だったらガンガン歩くんだけど、こういうシチュエーションだったら、長めに味わおうかなって。森さんのピアノはすごく男っぽくてすごくかっこよくて、これは参りましたって感じです。でも歌詞に寄り添ったアレンジを考えて下さったみたいで、乙女なんですよ(笑)」。
古内の音楽にはなくてはならない存在の河野伸のピアノは「本当に美しいと改めて思いました」
古内のライヴのバンマスを長年務めるなど、古内の音楽にはなくてはならない存在なのが河野伸だ。
「河野さんは一緒に作った曲も多く、ライヴも含めて一緒にいた時間も長いので、このアルバムではどんな曲を弾いていただくべきか、色々考えました。その結果『夕暮れ』という曲の切ない部分を、河野さんに担っていただこうと思ったら、河野さんが遊んでくださって、バラードから入って、サビはビートが効いた感じに仕上がりました。河野さん曰く、私が書いたメロディがそういうふうに誘っていた、と。河野さんらしくもあり、面白いものができました。河野さんのピアノの音色は粒が立っているというか本当に美しいと改めて思いました」。
アルバムのラストではデビュー曲「はやくいそいで」をセルフカバーしているが、この曲も河野がアレンジを手がけている。
「この夜を越えたら」は古内自身がピアノを弾いている。
「最初は6人のピアニストの方と並ぶのは『無理です』って断りました(笑)。ヘッドフォンから自分のピアノが聴こえてくるというレコーディングが初めてだったので、なるほど、という気づきがたくさんありました。ピアノと歌に時差があるはずないのにそういう錯覚をするのか、とか。ピアノを弾きながら聴こえてくる音が違う感じがして、強く弾いてもそれほど強く聴こえなかったり、色々発見があったので、時間を気にせずもうちょっと弾きたかったです(笑)」。
どの曲もトリオのアンサンブルとメロディ、古内の歌がひとつになって、古内東子節が薫り立ってきて切なさが押し寄せてくる。30周年プロジェクトの始まりを告げるこのアルバムで、ラブソングの女王の存在感を改めて強く感じさせてくれる。