高校史上初の三冠を達成した赤き血のイレブン 浦和南高校【サッカーの街・浦和ヒストリー】
110年以上の歴史がある埼玉・浦和のサッカーの歴史。旧浦和市内にある浦和四校(浦和高校、浦和西高校、浦和市立高校、浦和南高校)だけで、21回の全国制覇をする歴史的偉業を成し遂げている。前回の浦和市立高校(現さいたま市立浦和高校)に続き、台頭してきたのが浦和南高校(現さいたま市立浦和南高校)だ。
名将、故・松本暁司監督率いる浦和南高校は1967年に地元開催の埼玉国体決勝で強豪・韮崎高校を下して初の全国制覇。1969年には2年生ストライカー永井良和(元古河電工)を擁し、県内公式戦で浦和市立に大勝するなど別格の存在感を示した。
宇都宮での夏の総体決勝ではその永井が見事な2得点をあげるシーンがNHKで生中継され、“南高”の名は一気に全国区となった。続く長崎国体でも5試合で18得点、無失点の圧勝で二冠を決めた。
舞台は三冠を賭けた全国選手権へ。決勝に勝ちあがった南高の相手は前年王者、地元大阪の初芝高だった。0-0で迎えた後半12分、ロングフィードをセンターサークル付近で受けた永井が、敵の最終ラインを突破しGKまでかわす決勝ゴール。浦和南は史上初の高校三冠を達成した。
キャプテンのGK福家三男(明大卒、元川崎強化本部長)、ドリブラーのFW森田英夫(日体大卒、元日体大女子監督)など多くの個性派が結束した“赤き血のイレブン”はTVアニメの原作にもなる人気を博した。
2020年には2019年亡くなった松本暁司監督の偉業を讃えた記念碑が設立されて除幕式も行われた。この式には田嶋幸三日本サッカー協会会長(浦和南OB)、村井満チェアマン(浦和OB)、永井良和さん(浦和南OB)、清水勇人さいたま市長が列席して、お祝いの言葉を述べた。
田嶋会長は「私は、松本先生の指導が受けたくて南高にきました。その当時は浦高、西高、市立、南高のどこが出ても全国優勝できる力があって埼玉県予選を戦うのが一番つらかったです。私の時は南高が市立には勝てず、浦高と西高には勝てました(笑)選手権の予選は、市立は逆の山になって、西高が市立を破ってくれて決勝で西高に勝って全国に行けたという思い出があります。それぐらいサッカーの街でした。全国大会でも準決勝ぐらいまでは怖いことはなかったです」と当時を振り返った。
そして「そういう時代があったからこそ、村井満Jリーグチェアマンは浦高OB、18年W杯の西野朗日本代表監督、黛俊行JFA審判委員長も西高OBで、市立のOBOGがWEリーグや日本協会の審判委員会を支えてくれています。その当時の浦和が今の日本のサッカーを支えていると言っても過言ではありません。私はこの浦和に来てサッカーをやったことを誇りに思っています。そして松本暁司先生ほど浦和を愛した人はいないと思います。真剣に人をうまくさせてやる。浦和のサッカーは強いんだ、誇りを持てと常に言っていた方でした。亡くなられて間もないですが、このような記念碑が出来たことに感謝をしたいです。これからも浦和の高校が選手権に出て活躍をしてもらいたい。ずっと応援をしています」と浦和サッカーの歴史の厚みを感じる言葉を残してくれた。
サッカーをプレーする学生、サッカーを指導する人、サッカー業界で働く人、そしてサッカーを応援するファン・サポーターの存在など。浦和のサッカー文化、歴史は今も息づいていることを様々な場面で感じることができる。サッカーを愛する人たちが幾重にも重なって、浦和がサッカーの街として存在をしている。