かなわぬ恋や苦しい別れでも、人生の宝物には違いない
●今朝の100円ニュース:ストーカー逮捕最優先(読売新聞)
頭がちょっとおかしくなるのが恋愛だと思う。
最近は少なくなった気がするけれど、電車内や駅の構内でお互いの体を激しく密着したり触り合ったりしている成人男女がたまにいる。男はスーツ姿、女もきちんとした服装だ。年齢差や雰囲気から推察すると付き合い始めの不倫カップルかもしれない。仕事帰りに待ち合わせて、楽しすぎる夜を過ごすのだろうか。
誰が見ているかわからない公共の場でとんでもなくリスキーな行動をしているなあ、と客観的には思う。けれど、本人たちはそんな常識を忘れ去ってしまっているのだ。精神的な充足感(達成感?)と肉体的な快楽を同時かつ刹那的に満たす恋愛は、良くも悪くも人の理性や判断力を乱してしまう。
他人事ではない。昔、僕はある年上女性を好きになった。最初は軽い気持ちで付き合い始め、1か月後には毎晩のように長電話する関係になった。彼女には別居中の夫との間に2人の子どもがいて、デートができるのは週に数時間程度だった。
関係が深まるにつれてもどかしさも募り、彼女が夫と離婚しないことに嫉妬して苛立った。といって、僕には彼女の子どもたちに会いに行く勇気もない。矛盾している。私欲のかたまりのようになっていた。
彼女は美しい人だった。1年後には他の男から言い寄られ、僕は別れを告げられた。新しい恋人は僕とは違って男らしい人で、付き合ってすぐに彼女と子どもと会い、4人で一緒に暮らし始めたらしい。彼女が夫と離婚して、彼と再婚するのは時間の問題だ。僕の完敗である。
別れた当初は平気で過ごしていた。でも、3週間ほど経ったときに「かけがえのない人を永遠に失ってしまった」とようやく悟り、体調を崩して寝込むほど落ち込んでしまった。悲嘆に暮れる寝床は辛いけれど耽美で、再び起き上がって外に出る気分にはしばらくなれなかった。仕事のチャンスをいくつか失った。アホである。
失恋した腹いせに愛すべき元恋人に危害を加えるストーカーの心理は理解できない。しかし、自分自身を傷つけたくなる気持ちはわかる。あの苦しくて投げやりな気分。どうしようもなく視野が狭くなり、寝るときも起きた瞬間にも元恋人を思い出してしまい、いたたまれなくなる。
時の流れはありがたい。失恋でぐったりしていた僕も、半年ぐらいしたら体に力が戻ってきた。視野も少しだけ広がり、「彼女はすごく素敵だったけれど、素敵な女性は世の中にけっこうたくさんいる!」ことに気づいた。恋の季節の再来だ。
彼女のことを忘れたわけではない。しかし、血が流れ落ちるような失恋の傷口はふさがり、いつの間にかカサブタになっていた。今では古傷になっている。
振り返ってみれば、学生時代に経験した遅い初恋も含めて、同じような傷跡は他にもある。その傷跡たちにときどき触れると、懐かしく慕わしい気持ちになる。かなわぬ恋や苦しい別れだったとしても、人生の宝物には違いない。喜びと恥にまみれて生身で生きてきた証なのだ。
今朝の読売新聞によると、危険性や切迫性があるとみなされたストーカーに対して「警告」ではなく「早期逮捕」を優先する方向らしい。警告の意義は、「あの人にはもう近づくな。距離と時間を置いてちょっと冷静になれ。世の中には素敵な異性は他にもたくさんいるぞ」と教え導くことだったと思う。今後は、そのような寛大な処置はない。攻撃的になったら即逮捕だ。恋に狂ってしまった人は獄中で恋愛の意味をかみしめる時代になるのかもしれない。