「年金80歳」は暴論なのか?
12日、岸田文雄総理の後任を選ぶ自民党総裁選挙が告示され、高市早苗氏、小林鷹之氏、林芳正氏、小泉進次郎氏、上川陽子氏、加藤勝信氏、河野太郎氏、石破茂氏、茂木敏充氏の9人が立候補した。
投開票が行われる26日まで各候補は政治とカネの問題や、経済・財政政策などを争点に本格的な論戦を行うことになるだろう。
そうしたなか、候補者の一人が過去に「年金の受給開始年齢は80歳でもいいのではないか」という趣旨の発言をしたことがあるとの報道がなされるや、批判の嵐となっている。ただし、筆者はこの候補が本当に報道のような発言をしたのかについて明確な根拠を見つけることはできなかった。総裁選の最中でもあり、根拠を明確にして報道する必要があるようにも思うが、どうだろう。
それはさておき、発言の有無はともかくとして、日本の公的年金制度の制度疲労が激しいことに関しては、多くの読者は賛同するだろう。
その制度疲労に対する改革案の一つとして、年金支給開始年齢を80歳にまで引き上げるという選択肢もあり得るのかもしれない。
そもそも、国民皆年金は1961年に始まったが、当時と今とでは経済状況も社会情勢も大きく違う中で、社会保障は拡大を続けている。
公的年金のうち、老齢年金は、老後の生活保障を目的として支給される年金だが、問題は「老後の生活保障」をどう捉えるかだろう。
人によっては、定年退職してから死亡するまで年金だけで暮らしていけるのが「老後の生活保障」と考えるかもしれないし、また別の人は定年退職しても働ける間は働いて収入を得つつ、貯えも取り崩しながら、亡くなるまで暮らしていける程度の年金が保障されればよいと考えるかもしれない。こうした認識の違いが老齢年金の実態を議論する際にはハードルになっているように感じる。
現行の公的年金制度の骨格が決まった1961年の直前の1960年では、平均寿命は男性65.3歳、女性70.2歳だったものが、2022年時点ではそれぞれ81.05歳、87.09歳と16年ほど伸び、その結果、年金の平均的な受給期間も伸びている。なお、年金支給が80歳からとすれば、男性は1年、女性は7年程度しか受け取れないことになる。
一方で、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」を指す健康寿命は、2019年では男性72.68歳、女性75.38歳となっている。
少子化、高齢化の進行で現役世代の負担が過重になるなか、国民皆年金を後世に残すという意味では、更なる抑制策が今後も求められるのは間違いない。
そうした一つのオプションとして、年金支給開始年齢の引き上げはあり得るだろう。
例えば、現在問題となっているように80歳とすれば、平均寿命に近いので老齢年金の持つ役割は平均以上に長生きした長生きリスクへの対処となるだろうし、健康寿命の73歳とすれば、働けるうちは働いて収入を得つつ資産を取り崩しながら生活する自助努力と老齢年金の共助・公助とのベストミックスとなるだろう。もちろん、これはあくまでも平均的な話であり、貧困高齢者層への対応は別途考える必要があるのは論をまたない。
要は、政府が世代間扶養の仕組みとして運営する老齢年金を少子化、高齢化が進む中でも維持していこうと思えば、支えられる高齢者の数を減らすため、高齢者年齢の定義をいじるのが最も手っ取り早いのは確かである。
いろいろな立場は当然あり得るが、老齢年金は誤解もあるが積立方式ではなく賦課方式で運営されているので、年金受給者が今受け取っている年金は、自分が払ったお金ではなくいまの現役世代が払った保険料から自分たちが負担した以上の金額を受け取れているのだから、これからの若者たちの重い社会保険料の負担を考慮し、長生きリスクに特化した公的年金と割り切るならば、一概に年金80歳は暴論ともいえないだろう。
しかも、社会保険料の他に社会保障に投じられている社会保障目的税とされる消費税収は、医療・年金・介護・子育てに充てられる社会保障4経費を全額賄うことができずに赤字国債を発行し、将来に付け回しをしているのが現状でもある。
年金を含む社会保障制度改革、より具体的に言えば社会保障のスリム化は待ったなしの喫緊の課題のはずだが、自由民主党総裁選や立憲民主党代表選でもメディアで争点としてほとんど取り上げられることがないのはどうしたことなのだろう?社会保障制度は政治家にもメディアにもタブーなのですかね?