【JAZZ】伯発の新潮流はジャズを凌駕するのか(ダニ&デボラ・グルジエル・クアルテート『ルース』)
話題のジャズの(あるいはジャズ的な)アルバムを取り上げて、成り立ちや聴きどころなどを解説。今回はダニ&デボラ・グルジエル・クアルテートの『ルース』。
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ポストMPBの機種として注目を集めているダニ&デボラ・グルジエル・クアルテートの新作が届いた。2013年リリースの『UM』に続く第2弾だ。
2013年は東京JAZZ(屋外ステージ)への出演、そして渋谷と鎌倉でのライヴを成功裏に終わらせた彼女たち。来日に先駆けてリリースされた『UM』も“サンパウロからの新風”にふさわしい新たな音の輝きが詰まった内容だったが、ライヴでは新曲も発表されていたので、「もっと聴きたい!」という要望を高めてしまった。
ブラジルのアーティストはアルバム発表後に1年以上をかけてツアーを組み、自分たちが作り上げた作品を広める活動をしていくのが一般的という。のんびりした国民性もあるのだろうが、音楽を使い捨てにしない“意識”がそうさせるのだろう。そしてそこでは、高い芸術性を備えたニュー・ウェーヴが生まれる可能性も高まることになる。
ダニ&デボラ・グルジエル・クアルテートが主導していると言っても過言ではないブラジルの音楽シーンのニュー・ウェーヴは、こうした土壌から湧出してきた。
しかし、舞台を世界に移した彼女たちのサウンドを求める声は高まり、お国柄ののんびりした活動を許さない状況へと変化しているようだ。リリース・スパンの短い2作目の登場は、そうした状況を反映したものと言えるだろう。
ノーヴォス・コンポジトーレスの中心人物
ブラジルの音楽といえば、日本ではボサノヴァというイメージがまだまだ強い。少し音楽に詳しければ、MPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)という潮流を知っている人がいるかもしれない。
近年、ポストMPBとして注目を集めているのがNovos Compositores(ノーヴォス・コンポジトーレス)と呼ばれる潮流で、その中心にいるのがダニ・グルジエルである。
ダニを紹介する際に、単なるシンガーやヴォーカリストという呼称はそぐわない。彼女の本質はおそらくプロデューサーにあるからだ。そしてまた、フォトグラファーとしての顔ももち、それは音楽を視覚的な表現手段へ変貌させる相乗効果を与えている。
2007年に“ダニ・グルジエルと新しい作曲家たち”というコンサートを企画し、ブラジル音楽シーンのMPBに対して感じていた停滞感を払拭しようとした彼女は、自身の作品の発表や異分野とのコラボレーションなどを積極的に展開。彼女が“作曲”によって起こそうとした新たな風は、敏感なアンテナを備えた音楽マニアの心をはためかせ、世界へと広がっていった。
ポピュラー音楽にさしたひと筋の光
ダニの母親であるデボラは、MPBシーンの最前線で活動してきたピアニストにして作・編曲家だ。2008年から2012年にかけてサンパウロでジャズやインプロヴィゼーションを教えていた彼女は、2012年に初となるソロ名義のアルバムをリリース。チアゴ・ハベーロ(ドラム)とシヂエル・ヴィエイラ(ベース)によるトリオを中心に、娘のダニをゲストに迎えた内容が基盤となってクアルテート(四重奏団)での活動へ発展し、2013年のファースト・アルバム『UM』へと結実する。ちなみにUM(ウン、ウマ)とはポルトガル語の1の意。
前作はバンド名義のアルバムではあるけれど、いかに作曲によるヴァリエーションが出せるのかに主眼を置いた内容であった印象をもっていた。それは2作目の本作でも継承されているが、バンドとしてのサウンドの統一感がさらに高まり、曲のヴァリエーションを包括するバンドのサウンドという関係性がより親密になっている感が強まった。
前作ではマイケル・ジャクソンの「ロック・ウィズ・ユー」をカヴァーして話題を呼んだ彼女たちだが、本作でもポリスの「マジック(Every Little Thing She Does is Magic)」のカヴァーは要注目。さらに、エリス・レジーナの「サイ・デッサ」は、このバンドがブラジルのポピュラー音楽シーンに対してどれほどのリスペクトをもって臨んでいるかを示すものと言えるだろう。
「ヴィヴェール・ヂ・アモール+アンリクワイテッド」は、「報われぬ思い(Unrequited)」(ブラッド・メルドー)と「愛に生きる(Viver de Amor)」(トニーニョ・オルタ、ホナルド・バストス)を溶け合わせるという意欲的な試みの曲。
そしてなによりも、オリジナルにますます磨きがかかっている。
アルバム・タイトル曲の「ルース(Luz)」は「光」「光線」の意。フォトグラファーでもあるダニ・グルジエルは、光の世界を映像として切り取るのみならず、音楽では見たことのない世界を映し出そうとしている。その行動は、音楽の可能性に関する“希望の光”であることを、このアルバムが教えてくれる。