携行地対空ミサイルだけで防空はできない
ウクライナに供与されたアメリカ製の携行地対空ミサイル「FIM-92 スティンガー」は、2022年2月24日から始まったロシア-ウクライナ戦争で大きな戦果を上げました。開戦初期にロシア軍の攻撃ヘリコプターと輸送ヘリコプターを多数撃墜し、ヘリボーン作戦(兵員輸送でヘリコプターを用いる空挺作戦)を阻害して首都キーウ防衛に大きく貢献したのです。
ウクライナ軍は自前の旧ソ連製携行地対空ミサイル「イグラ」に加えて、NATO諸国から複数種類の携行地対空ミサイルの供与を受けています。開戦前後の供与はアメリカ製のスティンガーが中心で最も数が多く、活躍しました。
- FIM-92スティンガー (米国)
- スターストリーク (英国)
- LMMマートレット (英国)
- ミストラル (仏国)
- ピオルン (波国)
迎撃高度と役割分担
ただし携行地対空ミサイルが大活躍したと言っても、これだけでは全ての防空はできません。根本的にミサイルが小さいので迎撃高度が低く、高高度を飛ぶ航空機とは交戦ができないからです。基本的に携行地対空ミサイルは高高度を飛べないヘリコプター迎撃用で、ジェット戦闘機は低空を飛行している時のみ狙えます。また最近活用されるようになった弾着観測用の小型固定翼ドローンの迎撃にも携行地対空ミサイルが使われています。
迎撃高度の比較(※大まかな例)
- 携行SAM 射高4km 射程5km 発射重量10kg
- 短距離SAM 射高10km 射程15km 発射重量100kg
- 中距離SAM 射高15km 射程30km 発射重量300kg
- 長距離SAM 射高25km 射程100km 発射重量1000kg
※SAM:surface-to-air missile、地対空/艦対空のミサイル
※地対空ミサイルには厳密な射程や大きさの区分は存在せず、これは大まかな例です。たとえば長距離SAMの中には発射重量5000kgを超える巨大な物もあります。
※高度20kmを超えたあたりから急激に空気が薄くなってミサイルの空力操舵翼が効き難くなり、高度25~30kmで空力による操舵機動の限界付近になります。
※これ以上の高度はサイドスラスターや推力偏向ノズルなど操舵翼に頼らない装備が必要で、弾道ミサイル防衛システムの大気圏外迎撃ミサイルが該当します。
つまり少し余裕を見て高度6km以上を飛べば、航空機は携行地対空ミサイルに狙われなくなります。もし味方の防空兵器が携行地対空ミサイルしかなかった場合、高高度を飛んで爆撃を行う敵機には成す術がありません。携行地対空ミサイルだけでは防空はできないのです。
しかしより大型の防空システムがあれば高高度を飛んでいる敵機を撃ち落とせます。すると航空機はレーダーに探知されないように地球の丸みの影に隠れるために低空に降りて来ます。そこを携行地対空ミサイルで狙うことが可能になります。
開戦から半年近く経った現在もウクライナ軍が抗戦を続けられている最大の理由は、ロシア軍がウクライナ防空網の制圧に失敗して航空優勢を確保できず空爆を満足に行えていないからです。そしてその原動力こそが、ウクライナ軍の旧ソ連製の大型防空システムが損害を出しながらも生き残り戦い続けていることにあります。
ウクライナ軍の旧ソ連製の防空システム(代表例)
- 短距離SAM トール
- 中距離SAM ブーク
- 長距離SAM S-300
これら自前の装備に加え、開戦後にスロバキアが旧ソ連製のS-300PMUを1個高射隊分、ウクライナに供与しています。
ウクライナ軍に供与される防空システム(予定)
- IRIS-T SLM ドイツ供与予定。中距離SAM
- NASAMS アメリカ供与予定。短距離~中距離SAM
- ASPIDE スペイン供与予定。短距離~中距離SAM
消耗したウクライナ軍の防空システムを補充するためにNATO諸国から防空システムの供与が行われる予定ですが、ウクライナ軍が初めて扱う西側の防空システムは訓練習熟に時間が掛かるため、現在まだ訓練中の段階です。ただしイギリスから自走対空車両「ストーマーHVM」は既に届いていますが、これは携行地対空ミサイル「スターストリーク」を車載化したものなので訓練は簡単ですが、能力的には短距離SAMにも及びません。
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IRIS-T SLM・・・短距離空対空ミサイル「IRIS-T」を地上発射式にして大型化し中距離地対空ミサイルとしたもの。今年初めにドイツ軍で開発試験が終了したばかりの最新鋭兵器。
NASAMS・・・中距離空対空ミサイル「AMRAAM」を地上発射式にしたもの。他に短距離空対空ミサイル「AIM-9X」やAMRAAM射程延伸型「AMRAAM-ER」も発射できる。アメリカとノルウェーの共同開発。発射機は据え置きボックス型と四輪車両型(ミサイル剥き出し登載)を選択可能。
ASPIDE・・・中距離空対空ミサイル「ASPIDE(アスピーデ)」を地上発射式にしたもの。初期型「ASPIDE」と改良型「ASPIDE2000」を撃てる。運用システムは「Skyguard(スカイガード)」または「SPADA(スパーダ)」。
※大変ややこしいのですが、空対空ミサイル(AAM)と地対空ミサイル(SAM)では同じミサイルであっても射程の区分が違ってくる場合があります。AMRAAMは空対空ミサイルとしては中距離ですが、地対空ミサイルでは短距離~中距離くらいになります。射程延伸型のAMRAAM-ERでようやく完全な中距離扱いになります。
これは同じミサイルであってもAAMは発射母機の速度と高度が加算されますが、地上発射のSAMはそれが無いので、射程に差が生じるからです。
なおAAMにしろSAMにしろ射程での厳密な区分はありません。大まかな目安がある程度で、人によっては違う分類をする場合もあります。
弾道ミサイルのように飛行の特性や条約の絡みで、はっきりとした射程での区分がある方がむしろ珍しいでしょう。
そして「短距離」「中距離」「長距離」という区分は、弾道ミサイル、地対空ミサイル、空対空ミサイルではそれぞれ全く別の射程で分けられています。弾道ミサイルで短距離とは射程数百kmの物を指しますが、地対空ミサイルの短距離とは十数km前後です。
NATOの長距離SAM(ウクライナ供与予定なし)
- パトリオット(PAC-2)
- SAMP/T(アスター30)
現在、ウクライナに西側の長距離SAMを供与する計画はありません。
アメリカの弾道ミサイル防衛システム(ウクライナ供与予定なし)
- パトリオット(PAC-3)・・・イスカンデル迎撃に最適
- THAAD・・・イスカンデル迎撃に不向き
ロシア軍が使用しているイスカンデルは弾道ミサイルとしては低空を飛ぶ滑空可能なタイプなので、高度40km未満では対応できないTHAADでの迎撃は不向きです。現時点で実用化されている弾道ミサイル防衛システムではPAC-3が最適になりますが、ウクライナへの供与予定はありません。なおPAC-3の射程は中距離SAM相当になります。