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「ギータ」の名付け親、じつは川崎宗則だった。絶叫お立ち台も元祖

田尻耕太郎スポーツライター
練習中もいつだって表情豊か

川崎合流後、チームは2位浮上

「今のホークスは強いよ。(日本一になった)2011年より、今の方が上だね」

ムネリンこと川崎宗則が嬉々とした表情で語る。

ソフトバンクがいよいよ本領を発揮し始めた。5日は8回まで0対2の劣勢ながら最終回に2発の本塁打で逆転して見事に5連勝を決めた。気づけば2位に浮上しており、首位楽天とのゲーム差も2.5まで縮まっている。

川崎が合流して6勝1敗とムードも急上昇中だ。二軍もそうだった。川崎が4月4日に初出場するまで2勝8敗だったのが、2度の5連勝(現在は6連勝中)を飾るなど好転したチームはウエスタン・リーグ首位に立っている。

常に声を張り上げ、若手選手にも積極的に声をかける姿も目立つ。工藤公康監督は「凡退でも内容のあるバッティングの時は、ベンチの前まで出て選手を出迎えてくれる。あのような姿はチームにとって本当にありがたい」と話している。

ある日、突然「ギータ」と

ところで、若手に声をかける時に、川崎は必ず名前を呼びかける。

そして、先日、柳田悠岐がこんな話をしていた。

「じつは『ギータ』ってニックネームはムネさんがつけたんですよ。ある時、突然『おまえ、ギータな』と言われて。たぶん、ムネさんは覚えてないと思うけど(笑)」

ほかにも、川崎は馬原孝浩に「マーくん」と名付け定着させ、田中将大がブレイクすると「ぅまーくん」と呼んでいた。そういえば、かく言う筆者も、2002年に彼と出会って3分後には「コウちゃん」と呼ばれて、以来16年間そのままだ。

絶叫系お立ち台の元祖も川崎

また、現在のホークスで名物になっているのがお立ち台での絶叫だ。その代表格が松田宣浩の「ワン、ツー、スリー、まーっち!」であり、内川聖一も「1、2、3、ダー!」と拳を突き上げた時もあった。

振り返れば、そのパフォーマンスの元祖は、川崎だった。

あれは、2009年5月31日、交流戦期間中の中日戦だった。同点で迎えた9回に劇的なサヨナラ打を放って、当然お立ち台に上がった。

その時、球団広報から「一発盛り上げてくれよ」と囁かれた。「はい、わかりました!」と元気な返事。ひと通りのやりとりが終わり、最後はファンへのメッセージ。すると、川崎が語りだした。

「僕は鹿児島出身で(鹿児島には)『チェスト』という言葉があります。この薩摩の言葉には、明日も頑張るゾ、気合を入れていくゾ、という意味があります」

「気がついたらやってた(笑)」

そして3万人を遥かに越えるスタンドのファンへ呼びかけた。

「皆さん立って下さい」

総立ちのスタンドに向けて、さらに声を張り上げる。

「チェストという言葉を皆さんにプレゼントしたい。僕の故郷の桜島まで届くように、腹から声を出してください。行きますよ」

1,2,3、チェストー!!

川崎と、3万人の大絶叫。

あの迫力は「勝利の花火」にも負けないくらい凄かった。ベンチ裏に帰ってきた川崎は「気がついたらやっていた。見事に盛り上がったね。勢いも大事ってことだよ」と満足そうに笑っていたのが懐かしい。

来週9日からの1週間はホーム開催が続く。待望の復帰後初のヒーローに期待しつつ、どんな言葉が飛び出すのか楽しみに待ちたい。

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。「Number web」でのコラム連載のほかデイリースポーツ新聞社特約記者も務める。2024年、46歳でホークス取材歴23年に。 また、毎年1月には数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。

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