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ミニシアター文化のないベトナムでインディペンデント映画が大ヒット!その理由とは?

壬生智裕映画ライター
ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて全国順次公開中(写真:配給提供)

(C)2019 HK FILM All Rights Reserved.

■ミニシアター文化のないベトナムでインディペンデント映画が大ヒット

2020年9月、ミニシアター文化のないベトナムで、インディペンデント映画『走れロム』が商業的に成功をおさめるという”事件”が起きた。日本でも2018年に、インディペンデント映画『カメラを止めるな!』が興収31.2億円の大ヒットを記録したことは記憶に新しいが、『走れロム』はベトナムにおいて、それと似たようなインパクトを与えたと言えそうだ。

まずは予告編からご覧いただきたい。

あらすじ――公式サイトより――:活気に満ちたサイゴンの路地裏にある古い集合住宅。多額の借金を背負う住民たちは、大金が当たる”闇くじ(デー)”に熱中している。14歳の孤児ロムは、宝くじの当せん番号の予想屋として生計を立て、生き別れた両親を捜すための資金稼ぎを心の拠り所にしている。ライバルの予想屋フックは野心家で当選の確率も高く、ロムとフックはいつも競い合っていた。そんな中、地上げ屋から立ち退きを迫られ追い詰められた住民たちは、ひたむきに予想と向き合うロムを信じ、借金をすべて返すために一攫千金の賭けに出る。果たして、ロムは彼らを救うことができるのか――?! 

躍動感あふれる映像に、パワーがあふれ出している。まさに経済成長著しいベトナムの勢いを感じさせる一本だと言える。そんな『走れロム』がインディペンデント映画ながらにヒットを記録したのはなぜなのか。その背景について、チャン・タン・フイ監督に話を聞いた。なお余談だが、劇場で販売中のパンフレット(税込:800円)には、今回のインタビューをもとにした、本作のヒットの軌跡を追ったコラム記事が掲載されている。それ以外の記事も資料的価値の高いものばかりであるため、ご興味のある方はチェックしていただけると幸いだ。

■ベトナムにおける映画文化の現状

ジェトロ(日本貿易振興機構)の調査によると、2020年のベトナムの人口はおよそ1億人。平均年齢は31歳と非常に若く、エンタメ市場としても注目の地域となっている。ここ10年ほどで、韓国系の大手シネコンCGVを中心に映画館のスクリーン数は増加の一途をたどっており、映画はベトナムの人々の娯楽として親しまれている。(ただしベトナム総合情報サイトVIETJOによると、2020年は新型コロナの影響により、経営は厳しい状況を余儀なくされ、シネコン大手四社は税金や貸出金利の支援措置および保険料の支払期限の延長を政府に要請したという)。

チャン・タン・フイ監督(写真:配給提供) (C)2019 HK FILM All Rights Reserved.
チャン・タン・フイ監督(写真:配給提供) (C)2019 HK FILM All Rights Reserved.

多くの国がそうであるように、ベトナムでもハリウッド映画の人気は非常に高く、一方でベトナムで公開される自国産の映画は年間でおよそ50本ほどだという。

そんな中、映画興業の分析サイトboxoffice mojoによると、『走れロム』は2020年9月25日にベトナム公開され、2週連続で1位を獲得。5週連続でベストテン圏内をキープする大ヒットとなった。ミニシアター文化のないベトナムにおいて、これは異例の大ヒットだといえる。

フイ監督:「ご存知のようにベトナムではこの映画は記録的な観客の入りがありました。確かにベトナムでは独立系の、いわゆるミニシアターというものはあまりなくて。ほとんどが商業映画をかける大きなシネコンばかりです。インディペンデント映画をかける劇場はホーチミンに1軒、ハノイに1軒ずつぐらいしかなくて。それも文化交流がメインの劇場なので、いわゆる商業的なミニシアターではありません。

ですからベトナムで自分の撮った映画を配給したいということになると、大手のシネコンチェーン、例えばCGV、ギャラクシー、BHD、ロッテといったところで上映してもらうしかありません。となると、インディペンデント映画の土壌がないベトナムの映画人は、世界的に有名な国際映画祭に出すことによって、世界の観客に自分の作品を見てもらうという方法しかないんです。

ですが、この『走れロム』という作品は、ベトナム国内の観客にこそ見てもらうべき作品だと考えました。きっとこの作品は技術面においても、商業面においてもベトナムで成功を収めるだろう、という確信があったので、そのことを証明したいと思ってプロデューサーや配給などに働きかけました。大きな劇場でかける作品と比べても、そのクオリティーは決して劣らないと考えていましたから」

『走れロム』の撮影風景(写真:配給提供) (C)2019 HK FILM All Rights Reserved.
『走れロム』の撮影風景(写真:配給提供) (C)2019 HK FILM All Rights Reserved.

■カンヌで高評価を受けた短編映画をベースに長編映画に

フイ監督が“闇くじ”をテーマに描いた短編『16:30』を企画・制作したのは2011年。この短編がベトナム国内の映画祭で短編映画賞を総なめにし、カンヌ国際映画祭2013ショートフィルムコーナーに入選、高評価を得ることとなる。そしてそれをきっかけに本作の長編企画が始動すると、オータムミーティング2014(※若手映画人のためのワークショップ)プロデューサー賞、アメリカ映画協会(MPA)のハノイ2015春コースで傑出企画賞を受賞するなど、さらなる話題を集める。

そこで実力を認められたチャン・タン・フイ監督の元には、『青いパパイヤの香り』『ノルウェイの森』のトラン・アン・ユン、『どこでもないところで羽ばたいて』グエン・ホアン・ディエップら世界的名声を持つ監督たちがプロデューサーとして名を連ねることとなり、アピチャッポン・ウィーラセタクン作品の編集者として世界的に知られるリー・チャータメーティクンがタイからスタッフに加わった。

フイ監督:「私は21歳のときに脚本を書き始めて、その撮影をするための制作費をいろいろなところから集めたわけです。短編と同様、同じスタッフで作り続けてきたわけですけれども、これが映画館にかかったときには30歳になっていたので、足掛け9年かかったことになります。やはりベトナムでインディペンデント映画を作るのはかなり条件的に厳しいんですね。そこは商業映画と違います。

しかしながら商業映画において、一番大事なのは、作り手の個人的なことをどれだけ盛り込めるか、ということだと思います。ベトナム人の運命のようなものをその映画の中に盛り込むことができれば、それは作り手だけでなく、見る側も共感を覚えられるような作品になると考えていますし、そのような作品は必ず観客の心に届くと考えています。それは独立映画、商業映画いずれにおいても同じことだと思います」

そのあたりの激闘の記録は、フイ監督自らが出演するYouTubeでも詳しく語られる。

■ベトナムでは上映禁止の危機に見舞われる

釜山国際映画祭でニューカレンツ賞を受賞するなど、輝かしい栄誉を受けた『走れロム』だが、ベトナム当局は、検閲を通さずに国際映画祭に出品したことに対する罰金を彼らに課した。これは社会問題となっている”闇くじ”を描いたことも審査に引っかかった理由ではないかと言われている。

フイ監督:「『走れロム』は釜山国際映画祭という大きな映画祭に出したわけですが、そこで2つの道筋を思い描いていました。1つ目は、もし釜山国際映画祭で成功を収めたら、広くみんなに見てもらえるようになる。実はこの『走れロム』という作品は政府によって上映を禁止された作品だったんです。だから釜山国際映画祭で成功しなかったら、もうベトナムでは映画を作らない、という道筋もありました。

しかし幸いにして、釜山国際映画祭ではニューカレンツ賞という最高賞を勝ち取ることができました。実はここだけの話、東京国際映画祭にも出したかったんです。だから両方の映画祭にエントリーをしていたんですが、東京国際映画祭の方がお返事が一歩遅かったんですね。私は東京国際映画祭が好きなので残念でしたが、結果的に、先にお返事をくださった釜山国際映画祭に出品し、そこで大きな賞を頂いて、そしてマスコミに取り上げてもらったことは大きかった。

その結果、政府から上映禁止が宣告されたわけですが、そのことに対して、例えば、金貸し役で出演をしていたラッパーのWOWYが、ベトナムの首相に嘆願書を書いたりしたこともありましたし、マスコミもいろいろと記事を書いてくれました。そういったまわりのサポートがあったおかげで、配給できるようになったということです」

なお、「記憶に残る思い出」と題したYouTubeでは、成功をおさめた釜山国際映画祭の様子も映し出されている。

■上映禁止を宣告されるも、それを逆手にとった宣伝を

検閲問題は大きな話題を集めたが、結果、監督サイドは当局の要求を受け入れ、一部のシーンをカット。あらためて新たなシーンを追加し、釜山でのワールドプレミアと同じ上映時間79分に再編集した。だが、フイ監督はただでは転ばなかった。

フイ監督:「実際に『走れロム』という作品が検閲を受けて上映が禁止された、ということは皆さんが知っていることなので。この事件についてはしっかりと宣伝に使わせてもらいました。特に政府の検閲を通さずに釜山国際映画祭に出品した、ということが一番問題だったんです。この結果、私を逮捕するかどうか、というようなところまで行きましたから。このことは国際的な世論だけではなく、ベトナム人もたくさんの人が知るところとなりました。

そしてこの道のりについて、5本のビハインドザシーン動画を作って、10日に一回、新しい動画をYouTubeにあげていきました。そこでは若者たちの自負心、例えば勇気や決断、熱意といったものを映し出しました。特に自分だったり、友人のスタッフたちのエピソードを盛り込むことによって、お金がなくても自分たちもやれるんだ、これは真似をして、これに続く価値がある、というような形で人々を鼓舞することになりました。そうやって人々の感情に訴えかけるようなPRを展開したわけです。

結果、100万近い再生回数を記録することができました。これはほかの映画よりも多い視聴回数となります。ですから十分なお金はなかったけれども、そのように露出を上げることによって見てもらうということが実現したわけです。これは映画界にとって大変大きな事件でしたし、自分もこのやり方を気に入っています。

結果的に『走れロム』は検閲を受けてカットされることとなりましたが、その後、多くの映画の検閲の状況に大きな変化をもたらしています。つまり今、ベトナムで映画を作るクリエーターたちにそのクリエートに対する広き門を作り出した、ひとつのきっかけにはなったと思います。これはある意味、今後のベトナム映画がさらに発展していく上で必要な犠牲だったという風に思っています。

本当に困ったことではありますが、いつかはこの犠牲を自分が背負わないといけないということは分かっていました。だからあのとき保守的になっていたら日本で公開されることもなかったでしょうし、ベトナムであんなに成功することもなかったでしょう。だからあのようにしたことは正しかったと思っています」

■監督はベトナムの将来を担う「9X世代」

1990年生まれのチャン・タン・フイ監督は、将来のベトナム消費市場を担うといわれる「9X世代」に属する。そんな彼ゆえに、宣伝にあたってはSNSを駆使し、さらには俳優、ミュージシャン、ファッションモデル、インフルエンサーらの映像コメントを拡散するなど、同世代の若者にダイレクトに訴える宣伝戦略で、前例のないヒット作を生み出した。

フイ監督:「うれしいことに『走れロム』は成功しました。それは若い観客だけではなく、年配の観客たちから関心を寄せてもらえたことも大きかった。その年配層もさまざまで、例えばビジネスマンであったり、製造業の方であったり、科学者であったりと。本当にたくさんのいろんな人たちが見に来てくださったわけです。

ベトナムで『走れロム』が公開される前は、こんなに成功するとは誰も思ってもいなかった。しかし初日を迎えたら、観客から大きな反響があり、このような結果になったわけです。成功を確信していたということはなく、この作品のストーリーだったり、クオリティーといった、この作品が持つ可能性を観客にしっかりと伝えることができたからこそ、『走れロム』というトレンドができたんだと思います」

(C)2019 HK FILM All Rights Reserved.
(C)2019 HK FILM All Rights Reserved.

『走れロム』

監督:チャン・タン・フイ

出演:チャン・アン・コア、アン・トゥー・ウィルソン

プロデューサー:トラン・アン・ユン

2019年/ベトナム/ベトナム語/カラー/DCP/2.39:1/79分/日本語字幕:秋葉亜子

原題:ROM/提供:キングレコード/配給・宣伝:マジックアワー

ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開中

映画ライター

福岡県生まれ、東京育ちの映画ライター。映像制作会社で映画、Vシネマ、CMなどの撮影現場に従事したのち、フリーランスの映画ライターに転向。コロナ前は年間数百本以上のイベント、インタビュー取材などに駆け回る毎日で、特に国内映画祭、映画館などに力を入れていた。2018年には、プロデューサーとして参加したドキュメンタリー映画『琉球シネマパラダイス』(長谷川亮監督)が第71回カンヌ国際映画祭をはじめ、国内外の映画祭で上映された。近年の仕事として、「第44回ぴあフィルムフェスティバル2022カタログ」『君は放課後インソムニア』『ハピネス』のパンフレットなど。

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