阪神タイガースのドラフト5位ルーキー・青柳晃洋投手の“1軍デビュー”
■ド緊張の1軍初マウンド
一日…いや、数十分の間に、“天国と地獄”を味わった。阪神タイガースのドラフト5位ルーキー・青柳晃洋投手の“1軍初登板”だ。
3月5日、対千葉ロッテマリーンズのオープン戦。先に訪れたのは「地獄」の方だった。五回、ピッチャー交代がコールされると、リニューアルしたばかりのリリーフカーに乗って登場した。
まず対峙したのは中村選手だ。初球から連続ボールでストレートの四球。続く吉田選手に対してもストライクが入らない。たまりかねた岡崎捕手がマウンドに駆け寄ると、内野手が集まってきた。「打たれてもいいから、思いきりド真ん中にいけ!」と今成選手が言えば、岡崎捕手は「緊張するなという方が無理やから、逆に思いきり力んでこい!」と声をかけた。しかし依然、落ち着かず、またもや4球連続ボールで歩かせてしまった。
ようやくストライクが入ったのは11球目。スタンド中が拍手喝采で讃えたが、結局四球を与えてしまい、いきなり無死満塁のピンチを作ってしまった。ここで西岡選手が「落ち着くために、一回マウンドから降りろ」と促してくれ、間を取った。そこから犠飛と適時打で2点を失ったが、逆にそれで開き直れたのか3番・鈴木選手を左飛に、4番・井上選手を三ゴロに打ち取った。
次のイニングも予定通りマウンドに現れると、今度は「天国」が待っていた。先頭は「子供の頃から見ていたバッター」という井口選手だ。2球で追い込むと、最後は見逃し三振に仕留めた。後続も抑え、三者凡退で終えて胸を張ってベンチに帰った。
「まっすぐが滑って浮き上がってたんで、次の回はツーシーム系に変えた。それがハマったね。もっと早く気づいてあげられたらよかった」という岡崎捕手の助けもあったが、前のイニングとは打って変わったピッチングに、「ストライク先行でいけば、通用すると思った」と手応えを得た。
「あんな大舞台で投げたことなかったんで、緊張が一番に来てしまって…」と頭をかく青柳投手。イニング間のベンチでも、口々に「オープン戦やぞ(笑)」と突っ込まれたそうだ。福留選手からは「オマエ、顔色悪いゾ。ロジンみたいな顔色してるゾ」といじられたことも明かした。
1イニング目を終えたとき、青柳投手は交代させられることも頭を過ぎったという。しかしベンチは動かなかった。香田ピッチングコーチは「代える気は全くなかった。監督も同じ思いだった」と話し、矢野作戦兼バッテリーコーチも「初登板は誰でも緊張するもの。オレらも経験してきてるし、見てきてる。代えようなんてなかった」と口を揃える。
「ボール自体は素晴らしいんだから。フォームもだし、ベース上の勢いも、タイガースにいないタイプのピッチャーだよね」と香田コーチが讃えれば、矢野コーチも「2イニング目を抑えたのはアイツの力やし、ストライクさえ入ればそう打たれる球じゃない。細かいことを言えば色々あるけど、課題も収穫もあったマウンドじゃないかな」と、今後の飛躍に期待を込めた。
■友人たちからの“洗礼”
マウンドで“プロの洗礼”を浴びた青柳投手に、試合後、さらなる“洗礼”が待ち受けていた。スマホを開くと、高校や大学の友達から次々と送られてくる動画。それら全て1イニング目の登板のもので、2イニング目の三者凡退シーンは全くなかったそうだ。「そういうヤツらばかりなんですよ。笑い者にされてるんです」と言いつつも、友人たちが気にかけてくれていることが嬉しくてたまらない。
むしろ“自虐ネタ”として、笑いにしている。登板翌日も鳴尾浜球場で中日ドラゴンズの渡辺選手と顔を合わせると、「昨日甲子園で投げたよ。10球連続ボールで3連続四球(笑)」と自ら明かし、渡辺選手を爆笑させていた。2イニング目の三者凡退については全く触れずで、「それはいいんです。終わったことなんで」とニヤリとする。笑いに貪欲なのか、器が大きいのか。
しかし笑いを取るだけでなく、しっかりと修正も忘れない。7日は休日返上でブルペンに入ると、ネットに向かって30分ほど投げ込んだ。「この前はインステップしていたし、手と体が離れてしまって、高めに浮いた」と自己分析し、その修正に集中した。
肩周りや股関節が柔らかく、球界でも数少ないサイドスローから繰り出される青柳投手のはボールは独特の軌道を描き、ベース上で伸びる。「下から上に浮き上がるイメージです。上からだとそういうボールは投げられないんで」。体重移動や腕の振りをチェックして翌日の近畿大学戦での先発登板に備えた。
■感謝する2人の恩師
青柳投手にはこれまで2人の恩師がいる。まず、香田コーチが「タイガースにいないタイプ」と評するサイドスローを提案してくれた平岡コーチだ。少年野球でのコーチだったが、たまたま中学でも臨時の外部コーチとして指導に来てくれた。
横から投げるようになったのは、小学6年からだという青柳投手。「小学5年から野球を始めたんですけど、ほんとヘタすぎて、打てない、走れない、守れない…で。上からも投げられなかったんです。自分では上から投げてるつもりがスリークォーター気味だったんで、『それなら横からにしちゃえば』と、平岡コーチに言われてサイドになりました」。
平岡コーチから「上から叩きつけるとボールが死ぬ。下から伸び上がるボールを投げろ」と教わったことに加えて、自らも「体の使い方が合っている」と渡辺俊介投手の動画を繰り返し見て研究を重ね、試行錯誤した。
それでも中学1年の時、一度オーバースローにしようとしたことがあるという。「だってサイドって、投げ方的にカッコよくないでしょ(笑)」。しかし野球肘になったこともあり、再びサイドに戻した。平岡コーチのアドバイスでしっかりとフォームを固め、中学では3番手だったが、高校ではエースになれた。
その心から感謝しているという恩師とは今も連絡を取り合い、先日の1軍登板の際にも「おめでとう」とメールをもらった。
もう一人の恩師からは、思いがけないものが届いた。母校・川崎工科高校の白石監督から送られてきたそれは、保土ヶ谷公園硬式球場の模型だった。忘れもしない高校最後の県大会で、敗れた球場だ。「祝 阪神タイガース入団 青柳晃洋君へ 白石より」という文字が刻まれており、添えられていた手紙には「最後に負けた球場だ」と書かれてあった。
プロ入りに当たって、契約金の一部からバッティングマシンを購入し、母校に寄贈した。そのお礼にと送られてきたのだが、「まさかそんなん送られてくるとは思わないし、入っていた段ボールに『フィギュア』って書いてあるし、面白かった」。恩師のセンスに思わず頬が緩んだ。
■温かく迎え入れてくれた先輩たち…そして「男」金本監督
キャンプはファームスタートだったが、1軍の空気にも少し慣れた。「2日に練習に呼んでもらった時も、福留さんや球児さん、色んな人が声をかけてくれた。緊張もしていたし、もっと話せない存在だと思っていたのに、気さくに話してもらえた」と喜ぶ。
そして「小さい頃から見ていた選手だったし、『男』というイメージだった」という金本監督は、抱いていたイメージそのままだった。「いるだけで引き締まるし、緊張する存在」だそうだが、登板後のアイシングをしている時、傍に来て「緊張したんか」とか「足、震えてたんか」などと話しかけてくれた。「すごく嬉しかった〜」。その気遣いにいたく感激した。
「シーズン終わりに1軍にいられるように。一度上がったら落ちないよう、1軍に定着できるよう頑張ります」。ヨットが大好きで、海によく出かけていたおじいちゃんがつけてくれた「晃洋」という名前。その名のとおり眩く光り輝きながら、プロ野球という大海原へ漕ぎ出した。