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「中東のバルカン半島」レバノンをめぐる宗派対立:サウジとイランの新たな代理戦争になるか

六辻彰二国際政治学者
11月6日に辞任を表明したレバノンのハリリ首相(2016.11.3)(写真:ロイター/アフロ)

 11月10日、シリア軍は国内のIS最後の拠点アブカマルを奪還。ISの勢力が衰退しつつあります。

 しかし、中東情勢は混迷の度を深めており、スンニ派の中心地サウジアラビアとシーア派の大国イランの間の対立は、その主な軸となっています。この対立はシリア、イエメンなど中東各地に飛び火してきましたが、レバノンは「次の戦場」の最有力候補ともいえます

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 11月10日、米国のティラーソン国務長官はサウジとイランに対し、「レバノンを代理戦争に用いないよう」警告。米国が伝統的な同盟国であるサウジと、長年の敵であるイランの双方に呼びかけることは異例です。多くの日本人にとって縁遠いこの小国は、しかし中東をさらに不安定化させる導火線になりかねないのです。

サウジアラビアとイランの角逐

 サウジアラビアとイランはいずれもイスラームの大国ですが、それぞれスンニ派、シーア派の中心地として犬猿の仲。イスラーム圏での影響力を競い、最近では両者の代理戦争ともいうべき衝突が中東各地でみられます。とりわけ、イエメン内戦はその激化が懸念される問題です。

 イエメンでは2015年、シーア派の武装組織「フーシ派」が首都を占拠。これに対して、イエメン政府を支援するサウジなどスンニ派諸国が空爆などを開始する一方、イランはフーシ派を支援しているといわれます。こうして、もともと国内の権力闘争だったイエメン内戦は、サウジとイランの支援によって激化UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると18万人以上が難民となり、28万人以上が国内で避難する事態となっています

 11月4日、フーシ派はサウジアラビアの首都リヤドに向かって短距離弾道ミサイル、ボルケーノH-2を発射。サウジ政府の発表によると、リヤド近郊の国際空港そばの人口密集地帯を狙ったもので、飛来した弾道ミサイルのうち一発をパトリオットミサイルで迎撃したといいます。

 今回、フーシ派による攻撃で用いられた短距離弾道ミサイルは、北朝鮮から輸入したものとみられます。イエメンが北朝鮮からミサイルを輸入していることは、かねてから報告されていました。相手を構わずミサイルを売る北朝鮮の存在は、中東の火種をさらに大きくしているといえます。

 ともあれ、今回の攻撃を受けて、サウジアラビアはイランを非難したうえで、10日にはフーシ派の拠点となっているイエメンの首都サヌアにある国防省の庁舎を空爆。イエメン内戦は泥沼の様相を呈しています。

「宗派共存のモデル」からの転落

 イエメンで顕在化したサウジとイランの対立は、冒頭に述べたように、レバノンにも波及しつつあります。その背景には、レバノンが中東でも特に複雑な宗派構成をした国であることがあげられます。

 レバノンは人口約600万人の小国ですが、数多くの宗派がモザイク状に分かれて暮らしており、この複雑な宗派関係が発火しないよう、独立以来人口に比例して宗派ごとに政府の役職や議会の議席を配分する「宗派体制」が採用されてきました。大統領は当時人口が一番多かったマロン派キリスト教徒に、首相は二番目に多かったイスラームのスンニ派に、国会議長は三番目に多かったイスラームのシーア派に、といった具合です。

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 しかし、1960年代にはムスリム人口が増加。人口に応じて議席配分などの変更を求めるムスリムと、既得権益を守ろうとするキリスト教徒の間で対立が深刻化するなか、イスラエルの支配に抵抗するパレスチナ・ゲリラ(ファタハ)が流入したことで、宗派間の人口バランスがさらに変化しました。これをきっかけに、1975年にはキリスト教徒とムスリムの間の衝突が発生(レバノン内戦)。「宗派共存のモデル」と目されていたレバノンは、一転して戦場と化したのです。

周辺国の踏み台として

 レバノン内戦の展開は、周辺国の思惑が渦巻くものとなりました。

 レバノン内戦の発生を受けて、翌1976年にシリア軍はキリスト教徒中心の政府を支援する形で介入。これにより、「キリスト教徒対ムスリム」という構図で始まったレバノン内戦には「ねじれ」が生まれました。アサド政権はファタハがレバノンで勢力を伸ばし、これを「乗っ取れ」ば、イスラエルとの戦争にシリアも巻き込まれることを恐れ、敢えてムスリム側を攻撃したといわれます。

 さらに、パレスチナ解放を目指すファタハ(スンニ派)の拠点がレバノンにできるのを嫌ったイスラエルも、1982年にキリスト教徒を支援する形で侵攻(ガリラヤの平和作戦)。イスラエル軍の猛攻の前に、ファタハはレバノンから撤退せざるを得なくなりました。

 ところが、イスラーム諸国、とりわけファタハと宗派で共通するサウジなどスンニ派諸国のほとんどは、ファタハ救援に割って入ることはありませんでした。イスラーム諸国は「『パレスチナ解放』を共通の目標として共有している」というタテマエであっても、実際には中東随一の軍事力をもち、米国の支援を受けるイスラエルと正面から衝突する気はなかったのです

「中東のバルカン半島」

 その一方で、シーア派のイランやシリアはレバノン内戦で異なる動きをみせました。イスラエル軍の侵攻を受け、1982年にはイランの支援のもと、レバノン南部にイラン型のイスラーム共和制の樹立を目指すヒズボラが発足。ヒズボラはイスラエル軍への攻撃を続け、イスラエルや米国から「テロ組織」に指定されました。

 これに対して、シーア派で共通するシリアのアサド政権は、イランがヒズボラ支援のためにシリア国内を通過することを容認する一方、マロン派キリスト教徒を中心とする現体制を支援して、2005年まで軍を駐留させました。アサド政権にとっては「ファタハにつき合わされて」であれ「イランにつき合わされて」であれ、イスラエルとの全面戦争に突っ込むことを避ける必要があり、そのために宗派が異なっても、レバノン政府を監督する立場に立つ必要があったといえます。

 第一次世界大戦以前のバルカン半島では、ゲルマン系やスラブ系の民族意識が高まり、それぞれをオーストリア・ハンガリー帝国やロシア帝国が支援するなか、いつ爆発するか分からない「バルカンの火薬庫」と呼ばれていました。国内が数多くのグループに分かれ、それぞれを外部の国が支援することで対立が激化してきたことから、レバノンは「中東のバルカン半島」と呼べるかもしれません。

もう一つの宗派対立の激化

 レバノンでは、1992年に内戦が終結。大統領権限を弱めて首相の権限を強化し、さらにムスリムに議席を増やすなどの修正を加えることで、宗派体制は基本的に維持されました。

 しかし、その後もヒズボラはイスラエルへの攻撃を続けており、しかもその力はますます強化されてきました。2006年にはヒズボラの対艦ミサイルがイスラエル軍艦艇を撃沈。このミサイルも北朝鮮の技術や製品がイラン経由でもたらされたものとみられますが、いずれにせよレバノン内における影響力の大きさからヒズボラは「国家のなかにある国家」と呼ばれてきました。

 その一方で、他の周辺国と同様、レバノンでもアル・カイダやISの台頭と並行してスンニ派の過激派の活動が活発化。2014年にISが建国を宣言した後、少なくとも900名がレバノンからシリアに渡ったとみられています。

 これに対して、先述のようにシリア内戦のなかでイランとともにヒズボラはアサド政権を支援しており、2015年2月にはISとの戦闘を初めて公式に認めました。つまり、シリア内戦とIS台頭を受けて、レバノンでは以前から鮮明だった「キリスト教徒対ムスリム」だけでなく、「スンニ派対シーア派」という宗派対立も加熱してきたのです。

「イランの策謀」説

 そんななか、11月5日にレバノンのハリリ首相は辞意を表明。スンニ派のハリリ首相にはヒズボラに対する反感が強かったものの、2016年12月にヒズボラを迎えた内閣が組閣されました。こうして宗派間の融和への期待が高まっていただけに、突然の辞任表明は大きな衝撃となりました。

 辞任にあたっての演説で、ハリリ氏は「自分の生命を狙う者がある」と述べ、その首魁としてイランやヒズボラを示唆。これを受けて、サウジアラビアをはじめとする周辺スンニ派諸国のメディアでは、「暗殺計画を企てたイランやヒズボラ」を非難する論調が噴出

 スンニ派のハリリ首相にとって、「国家のなかの国家」ヒズボラやそれを支援するイランが「目の上のタンコブ」であることは確かで、その観点からすれば「イランの策謀」をスンニ派諸国が喧伝することも不思議ではありません

「サウジアラビアの圧力」説

 ただし、これには異論もあります。

 カタールを拠点とするアルジャズィーラは11月6日、「ヒズボラはこれまでハリリ首相と対立しておらず、サウジこそ首相辞職を仕掛けた張本人」というヒズボラの見解を掲載。それによると、ヒズボラとの融和を進めようとしていたハリリ氏に対して、サウジはその資金力を背景に退陣を迫り、ひいてはイランやヒズボラの影響力を一掃しようとしているというのです。

 今年6月、サウジアラビアなど周囲スンニ派諸国は、「イランとの関係」を理由の一つとしてカタールへの経済封鎖を開始。サウジの大きすぎる引力から逃れようとするカタールとの確執は報道戦、宣伝戦でも鮮明なため、この点においてアル・ジャズィーラの報道は割り引く必要があります。

 とはいえ、サウジアラビアがレバノン政府に外交的圧力を加えてきたことは確かです。

 2013年、サウジ政府はレバノン政府に対して30億ドルの軍事援助を約束。シリア内戦が激化し、イランやヒズボラの活動が活発化するなか、サウジはレバノンを自陣営に引き込もうとしていたといえます。

 ところが、2016年2月、サウジ政府はこの軍事援助の停止を発表。突然の援助停止は、サウジが期待するほどにはレバノン政府がイランやヒズボラに敵対的でなかったことへの制裁とみられます。2017年初頭には両国政府が軍事援助の再開について協議していることが明らかになりましたが、その後目立った進展は報じられていません。

ハリリ氏辞任後のサウジの動向

 さらに、ハリリ首相辞任後のサウジ政府の動向には不可解な点もあります。

 辞任発表の翌7日、ハリリ氏は空路でサウジに移動。そこからUAEに向かうはずでしたが、その後サウジを出国しておらず、サウジ政府に拘束されているという疑惑も浮上レバノン政府高官がサウジ政府にハリリ氏解放を求める事態に至っています

 これに先立って、11月6日にサウジアラビアのアラブ・ニュースは「ハリリ氏辞職の後を引き継ぐことは容易でなく、サウジアラビアにはイエメンのスンニ派への支援を期待したい」というレバノンのスンニ派指導者のコメントを紹介しています。「相手から望まれて介入すること」は植民地時代の欧米列強の常套手段でしたが、これまでの経緯に照らせば、サウジがレバノンに影響力を増すための下工作に入ったというストーリーにも、大きな無理はないといえるでしょう

導火線に火はついたか

 もちろん、現状において詳細は定かでなく、ハリリ首相の辞任の真相は不明です。

 とはいえ、ハリリ氏の辞任が、サウジアラビアとイランのつばぜり合いがレバノンに及びつつあることの表れであることは、間違いないようです。言い換えるなら、地域一帯を覆いつつある宗派対立の波が「中東のバルカン半島」にやってきたことになります。

 この緊張の高まりは、既に上昇し始めていた原油価格にも影響を及ぼすとみられ、その意味で日本を含む各国も無縁ではいられません。少なくとも、北朝鮮と米国の軍事衝突のリスクと同様、中東一帯を巻き込む対立が世界全体に少なからず影響を及ぼすことは確かといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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