【東京都中央区】「三原橋交差点」の名前になっている三原橋ってどんな橋だったのでしょうか
江戸時代には、海からの物資を運ぶために、運河の多かった中央区。今ではその多くは埋め立てられましたが、「数寄屋橋」のように地名に○○橋と残っている場所がいくつもあります。
歌舞伎座手前、晴海通りと昭和通りが交差する「三原橋」もその1つ。地下には、銀座駅と東銀座駅を結ぶ地下通路があります。
その地下通路に、三原橋の写真がありました。階段とスロープの二手に分かれている、スロープ側の壁です。何度も通っているのに、いつも階段を利用していたため気が付きませんでした。写真で見ると、三原橋は3連アーチの美しい橋だったのですね。
もう1枚、三原橋の写っている風景写真がありました。かなり大きな、立派な橋であることが分かります。三原橋がかかっていたのは、「三十間堀川」です。三十間堀川は、川幅が約30間(約55m)もあるので、このような名前が付いたそうです。三十間堀川は、戦後のがれき処理のために埋め立てられました。
そして、写真右奥に移っているのは、歌舞伎座です!純日本風の宮殿作りの外観は、第2期のものです。(現在の歌舞伎座は第5期の建物になります)今の歌舞伎座は、周りのビルの中に隠れるように建っていますが、この頃はとても目立っていますね。
写真は1923年に撮影されたものですから、ちょうど100年前の景色になります。100年ですっかり街の様子が変わってしまった中央区ですが、こうして昔の様子を比較できるのは面白いです。ぜひ、他の場所にもパネル写真設置して欲しいです!
【三原橋交差点】東京都中央区銀座5丁目9