大河ドラマ『真田丸』の成功要因:新しさと原点回帰の2点で攻めた 制作統括 吉川邦夫氏インタビュー1
『新選組!』(04年)でのトライを再検証した
12月18日(日)に最終回を迎える大河ドラマ『真田丸』。BS放送の視聴率が異例の高さを記録するなど1年間盛り上がった。何が多くの視聴者を引きつけたのか、土、日、月の3回連続で制作統括(チーフプロデューサー)吉川邦夫さんに話を聞く。
ー『真田丸』、1年間、お疲れ様でした。
吉川「撮影は終わりましたが、ポストプロダクションがまだ残っていて、やっている最中なんですよ」(注:取材は11月中旬に行われた)。
ーポスプロとは、撮影のあと、編集や、音やCGなどをつける作業ですね。プロデューサーのお仕事は作品のあらゆる作業に関わるものなんですね。
吉川「ええ。僕は今回、主に、台本作りとポスプロを担当しました。あと、1回だけ4話の演出をしています」
ー演出のお話はぜひあとで伺いたいと思います。今回、吉川さんに取材の時間をいただけたのは、三谷幸喜さんが台本を書き上げられたからと聞きました。それまでは主にもうひとり制作統括の屋敷陽太郎さんが取材の対応をされていましたね。
吉川「今回は、5人のプロデューサーが役割分担をしている特殊な体制です。屋敷は全体に目配りをしつつ、予算管理、出演者対応や広報を主に担当、吉岡和彦は関連イベントや他メディア展開、清水拓哉はスタジオなどのリソース管理と、PR映像やCG関連、家冨未央はキャスティングとスケジュールの担当で、僕が主に担ったのはクリエイティブプロデューサー的な仕事でした。それぞれの得意分野を互いに絡み合わせながら生かしたことが『真田丸』ではうまくハマった気がしています」
ー珍しい体制にされたことにはわけがありますか。
吉川「僕は『新選組!』(04年)も担当していたのですが、そのときに感じたジレンマを、今回解決したかったんです。『新選組!』でやりきれなかったことを検証して再挑戦することですね。それには、制作の各分野のエキスパートが徹底的にそれぞれの仕事を突き詰めることが必要でした」
ー『真田丸』には大きな使命が課せられていたんですね。
吉川「僕は、これまでに大河ドラマを7本担当して、『新選組!』が6本目でした。平均視聴率が17.4パーセントで、今の感覚ではそんなに悪くないですが、当時としてはまだもうちょっと取りたいところでした。2001年から2010年まででは下から二番めの視聴率で、その原因のひとつとされたのが時代考証です。実のところ、時代考証には通常の大河以上に気をつかっていたのですが、三谷さんの「喜劇作家」のイメージが悪い方に働いて、時代考証を無視した創作部分が多いのではないかと視聴者に誤解されたのです。三谷さんの喜劇は、決して単純なおふざけではなく、人間の本質をあぶり出すようなユーモアの結晶です。型にはめられてしまいがちな歴史上の人物に、むしろリアリティを与えてくれるのが三谷さんの作劇。大河ドラマにふさわしい作風だと思います。だから先入観から来る否定的な声には本当に胸を痛めました。しかしその一方で、違う反応もありました。例えば、月曜日の朝、電車に乗ると、高校生の女の子たちが、『昨日の総司と歳がね』などと喋っているのが耳に入ってきまして。それまでやった5本の大河ドラマではなかった体験でした」
ー大河ドラマに新しい視聴者を呼んだのが『新選組!』だったのですね。
吉川「その新たな層が、当時はまだ一般に十分浸透していなかったインターネットのブログ等で熱く語ってくれました。特に『2ちゃんねる』ではものすごく盛り上がって、毎週すさまじい量の投稿がありました。残念ながら視聴率には直接反映されなかったものの、放送後も手応えが続いて、完全盤のDVDもよく売れました。たしかその年のNHKエンタープライズの商品のなかで『冬のソナタ』の次に売れたと聞いています。新しい大河ドラマを作りたくて試行錯誤したことに視聴者が反応してくれたんですね」
ーもともと新しい大河を作りたいと意識して作ったのですね。どこに気を使ったのですか。
吉川「まず、ナレーションをやめました(タイトル前にだけ入るのみで劇中は入っていない)。それから、登場人物の平均年齢を下げて、5年後に主役になってほしいと思う役者さんたちを中心に据えてキャスティングしました。これが新しい視聴者『F1』(20〜34歳の女性)『F2』(35〜49歳の女性)という女性の比較的若い視聴者層が見るようになってくれたひとつの要因と思います。当時は、なかなかそういう動きが見えてこなかったけれど、12年経ってSNSが一般に浸透してきた今なら、新しい視聴者の反応が可視化されるのではないかという思いが『真田丸』にはありました」
ー見事にSNSで可視化されましたね。
吉川「驚くほど可視化されました。2010年代くらいから『家政婦のミタ』や『半沢直樹』などで盛り上がった同時体験イベント的なドラマの見られ方、つまり、日本中のあちこちで一斉に見て、SNSを通じて同時体験を共有するという、新しいドラマの楽しみ方が生まれました。それまで、我々ドラマの制作陣は、ドラマは、録画で各々好きな時間に見られるものになったから、もうオンエアは見てくれなくなるのではないかと思っていたのですが、いつの間にかそうとも限らない時代になっていたんですね。さらに今年、幸運だったのは、10月からの『総合視聴率』の登場です。それによって録画の視聴率も可視化された。それと、少しでも早く見たいとBSの先行放送で見て下さる方が非常に増えて、BSの視聴率も話題にしてもらえるようになりました。そんな風に、ドラマのあらゆる見られ方が、まさに『可視化』されるようになってきたんです。テレビの見方に関する面白い時代の流れに『真田丸』はうまくハマったように思います」
「真田丸」第49話“早丸”BS視聴率5・3%!自己最長9週連続5%台
ー吉川さんはよくネットもご覧になるのですか。
吉川「『新選組!』のときも2ちゃんねるはときどき覗いていました。いろいろな感想が読めて面白かったですよ。ただ、褒め言葉もたくさんありますが、悪口もものすごく多いから、凹みがちな三谷さんには見ないでと言っていました(笑)。そうは言っても、やっぱり気になるもので、三谷さんは世の中の意見をチェックして、朝日新聞のコラムのネタにすることもありますしね」
ー「“三谷ファミリー”なんてない」と書かれていたことは印象的でした。
吉川「そうですね、決して『ファミリー』化はしてないですけれど、あらかじめ、誰かの顔を思い浮かべて、その人をイメージして脚本を書く方ではあるんですよ。そのため、結果として、これまで一緒に仕事をしたことがある俳優がキャスティングされることが多くなる傾向はあります。まったく新しい人をキャスティングするときも、可能な限り事前に、三谷さんに会ってもらうようにしていました。キャラクター造形にも影響があるので。『新選組!』の例を挙げれば、芹沢鴨役の佐藤浩市さん。あの時が初対面でしたが、相性ぴったりで、今では、三谷作品の常連ですよね」
ー三谷さんと『真田丸』のキャスティングを相談し始めたのはいつ頃ですか?
吉川「そうですねえ。3年ぐらい前、まだスタッフも集めてない頃、三谷さんと屋敷とぼくの間では、すでに、信繁は堺雅人さん、家康は内野聖陽さんという名前は出ていましたね。主要なキャストがイメージできないと、先に進めないみたいなところがありますから」
ー3年ぐらい前から企画は動いていた。
吉川「実質は4年ぐらいかな。ぼくが2012年に放送文化研究所からドラマ部に戻った直後からすでに企画は動いていました」
ー先程のお話ですと、『新選組!』でやったことをもう一度やってみようということだったんですか。
吉川「いや、『真田丸』では、『新選組!』の体験を経て、今度は大河ドラマの原点回帰をやろうという意識がありました。『新選組!』ではあえて大河のセオリーを外し、その後、別の新しい試みをする大河も続々と生まれたので、次にやるなら、三谷さんがそもそも憧れていた本格的な大河ドラマを復権させたいという思いでした。三谷さんも、元々大河ドラマが好きだったうえに、『新選組!』を書いたことによって『大河ドラマ』の構造を深く理解できたということで、もう一度大河に挑戦したいという気持ちになられたんです」
ー次にやるなら「真田もの」と『新選組!』が終わった頃から構想があったとか。
吉川「“真田”という素材は、主役がトップの人間ではないこと、時代に翻弄される人間たちの群像劇、という三谷さんの得意分野ですし、それを本格派大河ドラマのセオリーと組み合わせて描けば、必ず面白くなると自信をもってはじめました」
三谷幸喜により良い脚本を書いてもらうために
ー大河ドラマのセオリーを外すことなく、『新選組!』で取り入れた新しい層へのアプローチも残すというところで、5人のプロデューサーによる細かい役割分担が必要だったと。そのなかで、三谷さんとの脚本づくりを担当したのが、吉川さんだったわけですね。三谷さんと知り合われたのは、『新選組!』が最初ですか?
吉川「三谷さんがNHKではじめて書いたドラマは、『川、いつか海へ 6つの愛の物語』(03年)という、倉本聰さんと亡くなった野沢尚さんと三谷さんが、1時間6本のドラマを2本ずつ書いたもので、そのとき、三谷さんの担当が僕だったんです。その次が『新選組!』でした。実は、『川〜』で僕は演出をやることになっていたのですが、それが終わってからだと『新選組!』の準備が遅れるので、2本の脚本だけ完成させて、演出をやらずに、すぐに『新選組!』に取りかかったんです」
ー演出、やりたくなかったですか。
吉川「三谷さんと一緒に作った初めての脚本だったので、やりたいのはやまやまでしたけれど、そこは涙を飲んで……(笑)。三谷さんの『新選組!』のための取材に同行し、ゼロから大きな物語の脚本を練っていく作業にやりがいを感じましたので。とはいえ、『新選組!』でも立場は演出チームの一員だったので、1話だけ最後から2番目の回(48話『流山』)を演出しています。なぜ、その回だったかというと、三谷さんと台本を全話作り終わってから撮ったからです(笑)」
ーあと、続編『新選組!! 土方歳三 最期の日』(06年)も演出していますよね。
吉川「あれは単発ドラマだったから、台本を作るところから撮るところまで全部自分できたんですね」
ーやはり、脚本家の台本作りに張り付いていると、演出はできないものですか。
吉川「長期の連続ドラマだとそうですね。演出に専念する時間を割くと、先の回の脚本作りがどうしても滞ってしまいますから…」
ー三谷さんに限らず、作家は粘っていいものを書きたいものと聞きます。締め切りに間に合わせるための秘訣はありますか。
吉川「簡単な秘訣というのはないと思いますが、まず作家が欲しくなりそうな情報を、なるべく先回りして集めて整理しておくこと。これは、物語の目的地をしっかり共有する上でも役立ちます。それから、作家がより良いものをどんどん書きたい気持ちになってくれるように、いろいろな材料で背中を押すこと。押し方はその都度違います。『真田丸』に関しては、大きな材料としては、最後真田丸の戦いと大阪夏の陣を絶対にロケでやるために早く台本を仕上げましょうとお願いしました。結果はギリギリだったんですが、ロケの構想を、その回の執筆前から相談していたので、何とか成立しました…(笑)。『新選組!』のときは戊辰戦争のロケができなかったのが心残りでしたので……」
ーロケという点においても、『新選組!』のリベンジができた。
吉川「でもそれは、スタッフの献身的な頑張りもありました。台本が来たらすぐに撮らなくては間に合わない状況だったので。真田丸の戦い(45回『完封』)は、ほぼ2日で撮っているんですよ」
ーあんなに大掛かりだったのに?
吉川「あれは屋敷の英断でした。最近の大河の終盤のロケで、エキストラを250人も動員するのは破格なことです。昨今の時代劇は、たいてい、エキストラ数十人を、カット数を増やしたり、合成したりして、たくさんいるように見せることが多いのですが、実は、そうすると人数のごまかしや合成の段取りで時間かかってしまうし、どうしても似たような映像になってしまうんです。そこで、2日で演出が求める映像を撮りきるために、ホンモノの兵を250人集めて、カメラを数台置いて、決めた動きごとに合成無しの一発撮りをすることにしたわけです。演出の田中正もうまくその条件を生かし、短時間の撮影にも関わらず、最近あまり見られない迫力ある映像をたくさん撮ってくれました。そういうスタッフの努力が届いたのか、天気の神様も味方してくれて、台風が4つも来ていたにもかかわらず、みごとにその合間を縫って撮影ができました」
18日(日)アップの第2回に続く。吉川さんが唯一演出した4話『挑戦』の裏話や『真田丸』の世界観について伺います。
profile
吉川邦夫 Yoshikawa Kunio
1962年生まれ。NHKプロデューサー。NHK でドラマの演出やプロデュースに携わり、大河ドラマ『炎立つ』『毛利元就』『北条時宗』『新選組!』などを担当、10〜12年、NHK放送文化研究所メディア研究部主任研究員を経て、制作局に戻り、近年のドラマに千葉発地域ドラマ『菜の花ラインに乗りかえて』(演出)、人形劇『シャーロックホームズ』(制作統括、演出)、大河ドラマ『真田丸』(制作統括、演出)など。
趣味はバンド演奏。ビートルズから学んだのは「大勢を楽しませることと新しい挑戦は両立する」
NHK 大河ドラマ「真田丸」
作:三谷幸喜/毎週日曜 総合テレビ 午後8時 BSプレミアム 午後6時
12月18日放送 第50話(最終回) 演出:木村隆文