アルゼンチン人コーチが語る「屈辱をプラスに変えた背番号11」
実兄のピチは、あのディエゴ・マラドーナと共にワールドユース東京大会(1979年)で世界一となった右ウイング。息子は、アトレチコ・マルテ(エルサルバドル1部リーグ)所属のエスクデロ競飛王。
自身は、元アルゼンチンユース代表&ビーチサッカーアルゼンチン代表であるセルヒオ・エスクデロ。
2019年末から、川越市のフットサル場で自らスクールを始め、今日、埼玉県のジュニアユース、トリコロールFCのコーチとして指揮を執る彼が、オランダ戦の終盤にピッチに立ったアルゼンチンの背番号11、アンヘル・ディ・マリアについて語った。
「グループステージのポーランド戦で、左足の大腿四頭筋を負傷してオーストラリア戦に出場しなかったアンヘル・ディ・マリアは、メッシと同年代です。今回で代表引退を表明していますから、早くケガが治ることを祈ります。
オランダ戦でディ・マリアは、延長戦途中の112分からピッチに立ちましたね。彼はオランダ代表監督のルイ・ファン・ハールと相性が悪いんです。2014-2015年シーズンにマンチェスター・ユナイテッドで一緒だったでしょう。
ファン・ハールの下でディ・マリアは、全然使ってもらえませんでした。御存知のように、彼はレアル・マドリード、パリ・サンジェルマン、ユベントスとビッグクラブを渡り歩き、いい仕事をしてきました。でも、『自分のキャリアの中で、マンU時代が最悪だった。一番酷い監督がファン・ハールだ』と言っているんです。
個人的にもリベンジしたかったでしょうね。マンU時代の悔しさがあったからこそ、その後の飛躍に結び付いたとも言えます。
そういう背景もあったし、プラス、PK戦に入ってアルゼンチン人選手が蹴る際、オランダの選手がかなり酷い内容の言葉を投げかけたらしいんですよ。で、負けたオランダ人は腹の虫が収まらないから、もっと険悪なムードになった。
メッシはキャプテンとして仲間を守るため、良きチームメイトとして一緒に戦ってきたディ・マリアを庇うようにオランダの11番、ボウト・ベグホルストに対して『何、こっちを見ているんだ馬鹿野郎』と言い放った。それが真相らしいです。ですから、アルゼンチンでメッシの行為は称えられていますよ。
14日のクロアチア戦も、我がアルゼンチン代表は<戦場>に向かいます。オランダ戦が荒れたことで、逆にチームが一つになったんじゃないですかね。
ケガ明けでしたから、ディ・マリアは短いプレー時間でした。でも、選手として最も大事な舞台で"天敵"を倒したんです。耐えて耐えて、8年もの時間を掛けてリベンジしたんですよ。僕はディ・マリアがずっと頑張ってきたからこそ、ファン・ハールに"お礼"ができたと思いますね」
同じくマンチェスター・ユナイテッドでの起用法に納得がいかず、先日チームを離れたクリスティアーノ・ロナウドは、ディ・マリアより3歳年上だ。このスター選手はどんな形でリベンジに向かうのか。まだ何かやってくれそうな気がする。