【京都市下京区】勤皇の志士や新選組も通い刀傷が残る 現存する唯一の揚屋建築
「角屋(すみや)」は旧花街・島原で営業していた揚屋で、揚屋建築の現存する唯一の遺構として国の重要文化財に指定されています。
幕末には新選組も通ったとされ、今年(2023年)の7月から9月にかけて「新選組160年&世界遺産」をテーマに行われている「第48回 京の夏の旅」において特別公開されています。
角屋とは
「島原」は京都市下京区にあった日本で最古の花街の通称で、正式名称は「西新屋敷」といいます。ただし京都でも「西新屋敷」という名称を知る人はほとんどいないので気をつけましょう。
角屋は島原の開設当初から存在する揚屋(現在の料亭)で、1787年の増改築で現在の規模になりました。
幕末には長州の久坂玄瑞や薩摩の西郷隆盛、土佐の坂本龍馬といった勤王の志士たちが密議を交わしたと伝えられ、建物前には「長州藩士 久坂玄瑞の密議の角屋」と書かれた石碑が建てられています。
島原は明治以降は次第に廃れ、昭和後期になるとお茶屋組合が解散し、現在は通常の住宅街となりました。往時の面影を残すのは「角屋」「揚屋」「島原大門」のみです。
角屋は1985年(昭和60年)まで「松の間」が宴会に使われていました。1998年(平成元年)に「角屋もてなしの文化美術館」が開館し、現在は1階部分が一般公開されています。
角屋と新選組
角屋には新選組の隊士たちも通いました。特に初代筆頭局長の芹沢鴨との関わりが深く、入り口付近には芹沢が暴挙を働いた際にできた刀傷が今も残っています。
新選組ファンとしては魂が震えますが、当時の店側としてはたまったもんじゃなかったことでしょう。それが今では見所の一つになっているので、わからないものです。
その後、乱暴が過ぎた芹沢は新選組の内部抗争によって暗殺されることになりますが、暗殺される前に最後に宴会をした場所もこの角屋でした。
門を入ると正面にはびっくりするほど広々とした台所があり、その立派さに往時の繁盛ぶりがしのばれます。建物も庭も驚くほど立派で圧倒されるほど。古都・京都といえどもこれほどの遺構が残り、見学ができるのはなかなかありませんよ。代々守り続けてきた方々に感謝。
調理場と配膳場の境目は当時としては珍しく、段差のない作りとなっています。
「この時代にバリアフリー!」と一瞬感動しかけたのですが、配膳するときに女中がつまずかないようにするための処置だそうです。現代的なバリアフリーとは少し違いますが、いい配慮ですね。
「第48回 京の夏の旅」の文化財特別公開は9月30日(土)まで(一部をのぞく)。「京の夏の旅」としての角屋の公開は9月14日(木)まで行われ、以降は「角屋もてなしの文化美術館」としての通常公開となります。
角屋
住所/京都市下京区西新屋敷場屋町32
電話/075-351-0024
営業時間/10:00~16:00(角屋もてなしの文化美術館)
定休日/月曜休
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