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真珠湾攻撃から79年 高齢化、次々に亡くなっている米退役軍人の「生き証人」たち

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
真珠湾攻撃を生き抜いた生前のDelton Walling氏。(写真は4年前)(写真:ロイター/アフロ)

12月7日(日本時間の8日)、真珠湾攻撃(Pearl Harbor attack)から79年が経った。

日本ではあまり報じられないが、アメリカでは犠牲者を弔いこの日を忘れないために、12月7日を「国家真珠湾記念日」(National Pearl Harbor Remembrance Day)と制定しており、毎年追悼式典が行われる。近年、主要メディアで大々的に報じられることはなくなっているが、それでもこの日は毎年真珠湾攻撃に関する報道が新聞やニュース番組であるため「パールハーバー」「Japan」という響きが耳に入り、今年もこの日がやってきたことを知る。

1941(昭和16)年12月7日の午前8時前(現地時間)、旧日本軍の何百機もの戦闘機が、ハワイ州オアフ島の入り江である真珠湾の米海軍基地に現れ、奇襲攻撃を開始した。

ヒストリーチャンネルによると、20隻近くの米海軍艦艇と300機以上の航空機が破壊され、民間人68人を含む2403人のアメリカ人が命を落とし、民間人103人を含む1143人が負傷した。実際には奇襲攻撃ではなかったというような諸説はあるものの、アメリカの歴史教科書などでは、攻撃の翌日に当時のフランクリン・ルーズベルト大統領が議会で宣戦布告を求め、アメリカが第2次世界大戦に参戦したきっかけになったとされている。

今年も現地時間の今日、真珠湾ビジターセンター(ハワイ州オアフ島)やパトリオッツ・ポイント海軍博物館(サウスキャロライナ州)など、各地で追悼式典が行われた。今年は新型コロナウイルスの感染拡大により、式典の数も規模も縮小され、メインはオンライン形式で執り行われた。

真珠湾攻撃で救出され今も生存している退役軍人の人々は、90代後半となり高齢化が進んでいる。これまでは式典に参列している姿も見られたが、今年はウイルスの感染が懸念されたため、事前に録画したメッセージが追悼式典で流された。

79th Anniversary National Pearl Harbor Remembrance Day Commemoration Ceremony in Hawaii

99歳になる退役軍人のルー・コンター(Lou Conter)さんも、今年は録画出演。「多くの仲間にとって戦争の初日が最後の日になってしまった。毎年この時期にあの日に亡くなったヒーローに敬意を表します」と、しっかりした口調で話した。(9:19あたりから)

ちなみにコンターさんが乗船していたのは、もっとも甚大な被害を受けた海軍の戦艦「USSアリゾナ」だった。USSアリゾナには当時1512人の兵士や乗組員が乗っていたが、攻撃と爆発による炎上で沈没し、1177人が死亡した(USAトゥデイ紙には「55人の日本兵も殺された」とある)。艦艇は現在も沈んだ状態で保存されており、船体上はアリゾナ記念館となっている。

アリゾナ記念館(USS Arizona Memorial)
アリゾナ記念館(USS Arizona Memorial)写真:アフロ

真珠湾の生還者はどのくらい生存している?

広島や長崎でも、負の歴史を風化させないことで平和を受け継いでいく重要性が叫ばれている。記憶のリレーとも言える次世代への語り継ぎができる被爆者・生存者の記憶は貴重なのだが、一方で高齢化は深刻だ。そしてアメリカも同様の問題に直面している。

先のUSAトゥデイの記事では、今も生存している生還者が少なくなり「真珠湾生存者協会」(The Pearl Harbor Survivors Association)が数年前に解散したという。そして、現存する生存者の正確な数字は不明とのことだが、90代後半となった彼らの訃報がここ数年で続いている状態だ。

真珠湾海軍造船所の海兵隊員だったジョー・ウォルシュ(Joe Walsh)さんは昨年12月21日に100歳で亡くなり、貨物船「USSヴェガ」の乗組員で、攻撃の前日にハワイに到着したばかりだったマリオン・ハリス(Marion Harris)さんも昨年12月26日、97歳で亡くなった。海軍の駆逐艦「USSワード」の海軍予備兵だったウィル・レーナー(Will Lehner)さんも今年1月5日、98歳で亡くなったことが報じられた。

前述のUSSアリゾナからの生還者では、今年は録画でメッセージを送ったコンターさんと、ケン・ポッツさん(Ken Potts, 99歳)の2人の健在がわかっている。

実は昨年までUSSアリゾナの生存者は4人だったが、元船員のローレン・ブルーナー(Lauren Bruner)さんが昨年9月10日に98歳で亡くなった。本記事冒頭の写真にもあるデルトン・ウォーリング(Delton Walling)さんも今年1月8日、98歳で亡くなったことが報じられた。

真珠湾攻撃で体の3分の2以上に大火傷を負った元船員ドナルド・ストラットン(Donald Stratton)さんは、戦争の語り部として活動し、2016年には回顧録『All the Gallant Men』(すべての勇者たちという意)を出版した。USSアリゾナが壊滅するほどの爆発を引き起こしたシーンの記憶として、本の中でこのように語られている。

Men stumbled around on the deck like human torches, each collapsing into a flaming pile of flesh. Others jumped into the water. When they did, you could hear them sizzle.

乗組員の男たちは船の甲板のところで「人の松明」のようになり、それぞれが燃え盛る肉の山となって崩れ落ちた。(自力で動くことができる)ほかの男たちは、海に飛び込んだ。(熱いものを水につけるとする)ジュージューという焼けるような音がした。

My T-shirt had caught fire, burning my arms and my back. My legs were burned from my ankles to my thighs. My face was seared. The hair on my head had been singed off, and part of my ear was gone.

私が着ていたTシャツに炎が移り、両腕と背中を焼いた。両足は足首から太ももまで火傷を負った。私の顔も瞬く間に焼けた。髪の毛は抜け落ち、耳の一部がなくなった。

Stratton and a handful of sailors huddled together likely would have died if not for a sailor aboard the nearby repair ship Vestal who managed to toss a rope across to the burning ship.

ほかの船から自分たちにロープを投げ入れてくれた船員がいなかったら、生き延びた我々数人の船員はおそらく死んでいただろう。

出典:『All the Gallant Men』

写真:U.S. Navy/アフロ

真珠湾攻撃から約2週間後、ストラットンさんは米本土に移送され、サンフランシスコ近くの火傷治療専門病院に入院した。ウジ虫を使って壊死組織を除去する方法などさまざまな治療が施され、回復まで長い年月を要したという。

そんなストラットンさんも今年2月14日、97歳で亡くなった。ストラットンさんの最後の願いは「人々に真珠湾の出来事と、USSアリゾナに乗船し国のためにすべてを捧げた男たちのことを覚えていてほしい」というものだった。

(Text by Kasumi Abe)  無断転載禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

米国務省外国記者組織所属のジャーナリスト。雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、有名アーティストのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をN.Y.に移す。N.Y.の出版社でシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材。日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。福岡県生まれ

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