中田功八段(52)対局場を勘違いして無念の不戦敗 C級2組順位戦最終10回戦
3月5日。東西の将棋会館に分かれて、C級2組順位戦最終10回戦がおこなわれました。熾烈な昇級争いは、前節で決めた高見泰地七段に続いて、三枚堂達也七段、古森悠太四段が9勝1敗で並び、昇級を果たしています。
さて、この日は朝からハプニングがありました。▲中田功八段(52歳)-△阿部光瑠六段(25歳)戦で、中田八段が対局場を勘違いしていたようで、不戦敗となってしまったのです。
こうした勘違いによる不戦敗は、しばしば起こります。
中田-阿部戦は東京・将棋会館でおこなわれる予定でした。
中田八段は関西、阿部六段は関東の所属。一般的な棋戦であれば規定上、席次が下の阿部六段が大阪・関西将棋会館に移動しての対局となります。ただし順位戦では席次は関係なく、東西の遠征数が同じとなるように決められます。本局の場合は、中田八段が東京に移動して対局の予定でした。
現在の規定では、順位戦のように長い持ち時間の棋戦であっても、1時間の遅刻で不戦敗が確定します。勘違いに気づいた後、大阪と東京を1時間ほどで移動することは現在の世界では不可能ですので、中田八段の不戦敗となりました。
その結果、不戦勝の阿部六段は6勝4敗。不戦敗の中田八段は4勝6敗となりました。
中田八段は現在、降級点を2つ抱えています。成績下位で3つ目の降級点を取ってしまうと、C級2組からフリークラスへと降級します。
今期は成績下位10人、3勝7敗の順位下位者から下に降級点がつきました。
4勝6敗の中田八段はその点は大丈夫でした。ただし、最終戦で勝って5勝5敗としておくことができれば、大きな意味がありました。2つ目の降級点は2期連続指し分け(5勝5敗)か1期勝ち越し(6勝以上)で消すことができるからです。
そうした意味でも、中田八段にとっては、痛い不戦敗となりました。
中田八段は比較的、遅刻、不戦敗の多い棋士として知られています。
1991年度C級2組最終戦。7勝2敗で昇級の可能性を残す中田功五段(当時)が、朝、東京の対局場に姿を見せない、ということがありました。
中田五段は遅刻しながらも最終戦で勝ち、8勝2敗の好成績をあげたものの、9勝1敗の3人が昇級。次々点となりました。
2007年、中田八段の愛弟子である佐藤天彦現九段が四段に昇段し、プロ入りを果たしています。棋士総会では新四段のあいさつが恒例です。そこで佐藤四段は次のように述べています。
これはジョークとしてはかなり面白い。関係者や棋界通ならばおそらく「上手いこと言うなあ」と笑うところでしょう。
2007年8月。武者野勝巳六段(現七段)と中田功七段(現八段)が銀河戦(テレビ早指し棋戦)で不戦敗をしました。原因は両者ともに日程の勘違いで、昼過ぎの14時から始まる予選に現われなかったためです。
当時の日本将棋連盟理事会は両者に厳罰を科す方針を示しました。
この処分案に関しては、賛否両論が起こりました。「将棋界は遅刻、不戦敗に甘い。当然厳罰に処すべき」という声。「遅刻、不戦敗はもちろんよくないが、それを処分するに当たってはあらかじめルールを定めるべき。ルールもなしに理事会が100万円という高額の罰金を科する権限はない」という声。いずれも聞かれました。結局、100万円の罰金は科されなかったようです。
不戦敗をして痛い目に遭うのは、まず不戦敗をした本人です。それにプラスしていくらかのペナルティが科されることも、必要な場合があるのかもしれません。しかし個人的には筆者は、あまり過酷な厳罰はなくてもいいのではないか、という気がします。
中田功八段は今期C級2組4回戦で、昇級候補の佐々木大地五段に中飛車で勝利。佐々木五段は結果的にはこの1敗が響いて、8勝2敗で次点に終わっています。
振り飛車の技能派として評価が高い中田八段。来期以降の巻き返しに期待したいところです。