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羽生結弦、『加油!』『頑張って!』声出しOKの東京ドームを満たした大声援

野口美恵スポーツライター
(c)2023 GIFT Official

 プロ転向した羽生結弦(28)による、フィギュアスケート史上初となる東京ドーム公演が2月26日開かれ、新たな歴史を刻んだ。2時間を超える単独公演も、巨大ドームでの演出も、そして多くのアーティストとのコラボレーションも、すべてが未知の領域。羽生が開拓した新境地を、リポートする。

羽生の『語り』とプロジェクションマッピング

3D解析映像、多彩なアートのコラボレーション

 開演の夕方5時のちょっと前。開演を「今か、今か」と待つ3万5000人のファンから歓声が上がった。マスクを着用した上での『声出しOK』のアナウンスがかかったのだ。羽生の演技を生で見て、その耳に直接届く声援を送ることが出来る。そう思うだけで、心が高鳴った。

 この公演のコンセプトは、羽生が書いた物語に沿って、映像や演技が折り重ねられていく『アイスストーリー』。羽生の幼少期からの心の中をのぞきながら、葛藤し、挫折と再醒を繰り返していく半生を、共体験していく。羽生自身による『語り』と、プロジェクションマッピングや3D解析による『映像』で、ストーリーは始まった。

 東京フィルハーモニー交響楽団の生演奏で『火の鳥』が奏でられ、大画面に巨大な炎の翼が映し出される。すると画面がまっぷたつに割れ、その間から羽生がクレーンに乗って登場。本物の炎がリンクの周囲から吹き上がる大迫力の演出に、エネルギッシュな演技が融合していく。壮大なオーラが、東京ドームの一番上の席にまで充満していった。

 物語は、ひたすら強気で滑っていた幼少期から、夢を追う苦しさ、努力が報われない悔しさ、戦う孤独さ、といった葛藤へと移っていく。小さな希望を見つけては、それを失うことの繰り返し。その日々を体現するナンバーとして、『Hope&Legacy』、『あの夏へ』(千と千尋の神隠し)、『バラード第一番』と演技が続く。

新ナンバーとして「あの夏へ」を演じた (c)2023 GIFT Official
新ナンバーとして「あの夏へ」を演じた (c)2023 GIFT Official

「北京五輪で掴みきれなかったものを、今は掴みとるんだ」

そして画面に「2022.02.10」→「2023.02.26」と表示される。北京五輪から今日へ、時間の旅。歓声が起きた。

 17時53分、派手なライトアップが、試合のような通常照明に変わると、ジャージ姿の羽生が現れた。6分間練習である。いつもの試合のように選手紹介がアナウンスされるなか、羽生は4回転トウループとサルコウの練習を黙々と続けた。ショートプログラムのジャンプ構成の練習である。彼が、北京五輪で唯一、心残りだったもの。それはショートの演技冒頭で、氷にエッジがはまって4回転サルコウが1回転になったことだった。

 6分間が終わり、羽生がいつものようにリンクサイドで屈伸をすると、3年ぶりのエールが起きた。

「加油!」「がんばれ〜」

 中国語まで聞こえる。中国本土からか、台湾からかは分からないが、この東京ドーム公演に海外からもファンが詰めかけているのだ。

『序奏とロンド・カプリチオーソ』の音色に乗り、冒頭の4回転サルコウを成功。残るジャンプも降りて演技を締めると、右手を高く突き上げた。数秒間その時間を噛み締めたあと、ホッとした笑顔を会場に見せた。最後は、4回転サルコウを跳んだ場所の氷にタッチする。感謝の気持ちが伝わってきた。

「この『GIFT』のストーリーには、夢という存在がすごく大きくて、まず前半の中で『夢を掴みきった』という演出をしたかったのが『ロンカプ』を選んだ理由です。北京オリンピックを連想させる演出をした上で、あの時掴みきれなかったものを今は掴みとるんだ、そして掴みきれていない夢に向かって、これからも突き進むんだというイメージを込めました」

(c)2023 GIFT Official
(c)2023 GIFT Official

コロナ禍を経て、初めて『カモン、カモン』をシャウト

 後半は、ロックバンドのライブでスタート。羽生は20−21シーズンのショート『Let Me Entertain You』の演技で登場した。コロナ禍のなか客席数は制限され、声援も送れなかったロックナンバーだ。ここぞ、とばかりに会場全体が『カモン、カモン』を熱唱し、拳を突き上げる。コロナ禍をへて、羽生が見せたかったロックンロールに息が吹きこまれたかのようだった。

 ハイテンションで盛り上がった後は、物語も、少しずつ強さを手に入れていく心が描かれ、『阿修羅ちゃん』『オペラ座の怪人』、プロ転向後に自身が振り付けたナンバー『いつか終わる夢』と続く。物語の最後は、孤独と葛藤しながらも、夢や応援を受け止める。その希望の光を『Notte stellata』の美しい演技で表現した。

最後、リンクに『Fin』と描かれ、物語の終わりを告げる。あまりの圧倒的な舞台、スケールの大きな世界観のなかで、『いま、伝説の東京ドーム公演が終わったのだ』という現実を受け入れるのにちょっと時間がかかり、ひと呼吸置いて、拍手が起きた。

「東京ドーム公演ということよりも、一人でこの長さのエンターテインメントを作るということが大変でした。今季まず単独で滑り切るショーをやってみて、2時間半持つかな?って正直思いましたが、ドームという会場だからできる演出と、MIKIKO先生やライゾマティックスさん、東京フィルさん、名だたるメンバーが集まってくれたからこそ出来た総合エンターテインメントが作れたと実感しています」

(c)2023 GIFT Official
(c)2023 GIFT Official

全スタッフ名のエンディングロール

背負ってきた期待と責任、そして感謝を表現

 心を奪われたのは、エンディングロールだった。仙台で練習している映像をバックに、まるで映画のエンディングのように、関わったスタッフ全員の名前が流れていく。音楽、映像、リンク、チケット、ライブビューイングまで。数百人、いや千人以上いただろうか。ひとりひとりの名前を紹介していく、長い、長い、エンディングロール。関わった人の多さだけ、期待は強く、それを背負う羽生の重圧も強くなる。そのすべてを感謝の形にかえて、浄化させていくような時間だった。

 19時36分、羽生がマイクを持って登場。歓声が起きた。

「みなさんGIFTどうでしたでしょうか」とあいさつ。改めて、東京フィルハーモニー交響楽団や音楽監督の武部聡志氏らへの感謝を述べた。武部氏が、この日のために作ってきたという曲『GIFT』を披露し、続いて『春よ、来い』の生演奏のなか、羽生がその名曲を滑り抜いた。

 さらに『SEIMEI』の映像に切り替わり、会場がざわつく。アンコール2曲目、である。しかも『SEIMEI』。最後のステップから登場し、東京ドーム公演を、和太鼓の音色でバシッと締めた。

 演技後、マイクを再び持ち、こう告げた。

「ちょっとだけ、静かにしてくださいね。頑張るんで」

 そしてマイクを口元から離すと、渾身の力で叫ぶ。

「ありがとうございましたーっ」

 東京ドームの一番上の席にまでーー。その思いが3万5000人に届く。この日一番のギフトで、東京ドームが満たされた。

(c)2023 GIFT Official
(c)2023 GIFT Official

スポーツライター

元毎日新聞記者。自身のフィギュアスケート経験を生かし、ルールや技術、選手心理に詳しい記事を執筆している。日本オリンピック委員会広報としてバンクーバーオリンピックに帯同。ソチ、平昌オリンピックを取材した。主な著書に『羽生結弦 王者のメソッド』『チームブライアン』シリーズ、『伊藤みどりトリプルアクセルの先へ』など。自身はアダルトスケーターとして樋口豊氏に師事。11年国際アダルト競技会ブロンズⅠ部門優勝、20年冬季マスターゲームズ・シルバー部門11位。

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