「うるさい!静かにしろ!」老舗温泉旅館で、新聞回収のスピーカーに怒鳴った昭和の巨匠・映画監督って?
「うるさい! 静かにしろ!」
怒鳴り声をあげたのは、世界から絶賛される映画を撮り続けてきた、昭和の大スター監督・黒澤明。
黒澤明は映画「影武者」(昭和五十五年)の脚本を執筆するために旅館に籠っていたところ、新聞回収のトラックから流れるスピーカーの騒音に神経を逆なでされ、撮影現場同様に怒りを剝き出しにしたのだ。
黒澤明は昭和五十二(一九七七)年初夏、脚本家の井手雅人に連れられて、静岡県の伊 豆半島の中央に位置する天 あま 城 ぎ の温泉宿をいくつか見て回った。そして「このお湯は飽きな い。気に入った」と、脚本執筆の宿に静岡県天城吉奈温泉「源泉かけ流しの湯 御宿さか屋」を選んだ。
黒澤明の部屋は、宿の一番奥の最も静かな場所。執筆用の部屋と寝室を別々にして計二部屋を使用した。執筆用の部屋の大きな窓からは天城の山々が見渡せた。 「監督は『なだらかな山がいい。こういう山が二つほどあれば、撮影に使いたいねぇ』とおっしゃり、この景色を気に入っておられました」と、女将の城所美弥公さんが教えてくださった。
「監督はいつもピリピリなさっていましたので、とても近づけませんでした。あのサングラスでしょう… …。威圧感がありましてね。それ に、新聞回収車の音がうるさいと怒鳴られたのは、 私でしたから(笑)」
その一方で、女将は黒澤明の意外な素顔を見て いた。
「滞在中は、足のむくみに効くんだと、何度も温泉に入って、お風呂で屈伸をされていたようです。 一度ね、湯上がりの監督とエレベーターでお会 いしたんです。その時は浴衣姿で、サングラスを していらっしゃいませんでした。つい、監督の顔を見てしまったんです。少し垂れた目で、つぶら な瞳をされて、とってもチャーミングでした。監 督は、優しい目を隠すために黒いサングラスをかけていたのかしらね(笑)」
※この記事は2024年9月6日に発売された自著『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)から抜粋し転載しています。