【昭和100年】忌野清志郎の逸話が残る――。「フジロック」前夜にエネルギーをチャージした温泉宿とは?
大物ロックスターの忌野清志郎は群馬県法師温泉を愛した。
岡村国男常務は清志郎との交流もある。
「フジロック(フェスティバル)のステージにあがる前日に、二度ほど、うちにお泊まり になりました。前橋まで車でお越しで、前橋からはお仲間の数人と自転車でお越しいただ いていました。玄関で自転車を整備されながら『こうやって心拍数が出るんだよ』と自転 車に付いたメーターを見せてくださったこともあります。到着されると、真っ先に温泉に 入っていましたね」
ロックとひなびた温泉。
あの派手なスタイルの清志郎が「法師乃湯」に浸かる姿は想像で きないが… …。
私が思わず笑ってしまった珍エピソードがある。
フジロックのステージに立つために前泊した頃より、だいぶ前のこと。 清志郎が一週間ほど滞在し、部屋にいる時、お茶を片付けるために部屋に入った仲居との会話だ。
「お兄さん、どんなお仕事されているんですか?」
「音楽関係っていったらいいのかな」
「まぁ、そんな感じに見えるわね~」
なんだろう、この仲居さんのあっさり感… …。
スター扱いしない秘湯の宿だから、清志 郎も素をさらけ出し、寛げたのかもしれない。
「ここが好きで、前はよく来ていたんだけど、最近は予約取れないんだよね、人気が出た んだね」と国男常務にぼやいていたというから、やはり法師温泉の魅力に取りつかれた一 人なのだろう。
いつも一泊し、翌日の十三時過ぎにフジロック会場へと自転車で旅立った。
「うちでエネルギーを蓄えて、ステージに立たれたのだと思います。その後、ご病気にな られ一度はお休みをされていましたが、復活した最後のフジロックの出演も、前日はうち にいらっしゃいましたよ」 忌野清志郎がエネルギーを蓄えたのは「法隆殿」の二階にある特別室。メゾネット式で、特別室の一階は暖炉とテーブルと椅子がある板間の八畳、二階は八畳と四畳半の間で布団 が敷ける。法師温泉にしては珍しい洋風の設 しつら えである。 その部屋の隣にある二部屋はスタッフが使い、フロアを貸し切った。ただし食事は食事 処で他のお客さんと一緒に摂り、メニューもごく一般的な料理を出した。
※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。