さあ、夏! 高校野球・新天地の監督たち/4 高岡第一(富山) 村本忠秀
「ごぶさたしております」
さすが、長いサラリーマン生活を感じさせる。なにかの会合で一度だけ名刺交換したこちらを、よく覚えていてくれた。
「こちらこそ。センバツの決勝でも、お見かけしました。NHKで解説されていたんですね」
村本忠秀。1981年夏、高岡第一の甲子園初出場時には、2年生ながら捕手で四番を務めた。駒澤大からNTT関西(現NTT西日本)へと進み、引退後は監督としても岸田護(オリックス)、脇谷亮太(巨人)らをプロに送り出し、2005年には日本選手権で準優勝を果たしている。06年に退任すると、08年夏から、社業のかたわらNHKの高校野球中継で解説を務めてきた。
そして、この春。智弁学園が延長11回、高松商を下したサヨナラ優勝の余韻たっぷりの翌4月1日には、母校のグラウンドに立っていた。
「監督の要請をいただいたときには、正直、迷いました。会社員として30年近く、生活はそれなりに安定していましたし、もう一度NTTの監督、という思いも捨てきれませんでしたから。ただ、今世紀になって甲子園出場のない母校を立て直したい思いが勝りました。まずは選手たちが、3年間高岡第一にいてよかったと思えるチーム、OBが気軽にたずねてきてくれるチームを目ざしたいですね」
むろん、目標とするチームをつくるのは並大抵ではない。近年の富山勢は13、14年と続けて夏の甲子園2勝と、元気だ。13年の富山第一は、夏に限ればなんと40年ぶりのベスト8に進んでいる。ライバルが多いところにもってきて、昨秋の高岡第一は、不祥事で出場辞退。ほとんどゼロからのスタートのうえ、村本自身、現場復帰は10年ぶりなのだ。だからだろう、左手小指の付け根には、ノックによるマメ。初陣となった春の大会は、桜井に2対3と初戦負けである。村本は言う。
「社会人でも高校生でも同じ野球なんですが、やはり大人と子どもです。ギャップはありますね。たとえば春の大会は、考えられないサインの見落としも敗因のひとつです。社会人なら、この場面この点差このボールカウント……なら、こういうサインが出ると、選手があらかじめいくつかの選択肢を想定するのが当然ですが、高校生ではそういう予測力がない。選択肢もなにもないから、サインを見落とすんです。あるいは、練習ではできていた打球の処理ができず、簡単な打球をエラーしたり。高校生は、分かっているはずのことでも、もう一度一から突き詰めることが必要ですね」
才能はなくても、全力疾走はできる
長く、ネット裏で高校最高レベルの試合を見てきた目からはこうだ。
「たとえば、大阪桐蔭。アウトにはなっても、全力疾走は徹底しています。桐蔭は高いレベルが集まるチームですから、それができないと競争から脱落してしまうんでしょうが、こと全力疾走だけなら、ウチのチームでもできるはず。そういう野球の本質、土台から教えていきたいですよね」
そのためには、36人の部員は学年関係なく、横一線で競争心をあおる。そして期間を区切り体力強化、特守、戦略……とテーマを決め、それをこなしながら夏を迎えることになる。目桑佑馬主将によると、
「社会人で実績のあるOBが監督になると聞いて、"いままでのやり方と変わったらどうしよう"と戸惑いもありましたが、やることは変わりません。ただ、ひとつのプレーに対する集中とか、意識の持ち方が全然違ってきました。ゲームの入り方、ベンチでの声の出し方、少しずつ成長していると思います」
村本イチオシのスラッガーが、木村優介だ。左打席からしなやかなリスト、強いインパクトで高校通算HRは30本近く、投げても140キロ級でリリーフをこなす。村本は、OBで現日本ハムの森本龍弥が在学時にもたまたま目にしているが、
「森本よりは間違いなく上です。大学ならすぐに通用するでしょうし、なぜプロのスカウトさんが見にこないかと思うくらい」
高いレベルの野球を知っている村本だからこそ、その太鼓判は心強い。近年の富山勢は、甲子園でそこそこ勝ち星を挙げているとはいえ、村本から見れば、全国トップにはまだまだ。だがその分、高岡第一にもつけ込む余地はあるということかもしれない。
「就任から数カ月かもしれませんが、まずはこの夏から勝負する。そのためには、チームを着実に向上させるだけです」
単身赴任の村本。京都の自宅まで、車を飛ばせば3時間ほどだが、夏を迎えるまで、そうは帰れそうもない。