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ドラマ『エルピス』主題歌はいかにして生まれたか? STUTSとbutajiが語る

柴那典音楽ジャーナリスト
butaji、STUTS、長澤まさみ、YONCE(Suchmos)撮影:澁谷征司

長澤まさみが主演するドラマ『エルピス ―希望、あるいは災い―』(カンテレ・フジテレビ系)の主題歌「Mirage」が話題を集めている。

■ボーカルはYONCE(Suchmos)と長澤まさみ。“徐々に素性が明かされていく”主題歌の秘密

「Mirage」はSTUTSがプロデュースを手掛ける音楽集団Mirage Collectiveによる楽曲。耳に残るメロディと洗練されたサウンドが特徴のアーバン・ソウル・ナンバーだ。そして、この曲の面白さは、ドラマのストーリーが進むごとに少しずつ形が変わっていくことにある。

10月24日に放送された第1話のエンディングでこの曲が初オンエアされた段階では、男女の歌声がオートチューンで加工され、誰が歌っているかは明かされていなかった。その後、回が進むごとに歌声やアレンジが少しずつ異なるバージョンが公開され、11月21日に放送されたドラマの第5話のエンディングで男性ボーカリストがYONCE(Suchmos)であることが判明。作曲・編曲・プロデュースを担当したSTUTSに加えてYONCEが作詞、シンガーソングライターのbutajiが作詞・作曲に参加していることも発表された。さらに28日放送の第6話で、長澤まさみが女性ボーカルとして参加していることが明らかになった。

《Mirage Collective "Mirage - Collective ver. feat. 長澤まさみ" (Official Music Video)》

隠された真実が徐々に明らかになっていくドラマの筋書きと同じように、主題歌にも“徐々に素性が明かされていく”というミステリアスな仕掛けが施されていたわけである。

ドラマ『エルピス』は『大豆田とわ子と三人の元夫』(カンテレ・フジテレビ系)や『カルテット』(TBS系)などで知られる佐野亜裕美がプロデュースを手掛けている。『大豆田〜』の主題歌「Presence」もSTUTSとbutajiの共作によるものだ。毎話異なるラッパーが参加し出演俳優もラップに挑戦するというユニークな手法で話題を集めた「Presence」に続き、ドラマ主題歌の新たな形を開拓する意欲的な挑戦が成されている。

参照:『大豆田とわ子と三人の元夫』が成し遂げたドラマ主題歌の革新とは? プロデューサー・STUTSに訊く

謎めいた「Mirage」のプロジェクトはいかにして生まれたのか? STUTSとbutajiにインタビューすることができた。

■Mirage Collectiveという音楽集団の成り立ち

――まず『エルピス』の主題歌のオファーを受けてのSTUTSさんの第一印象は?

STUTS:今回は『大豆田〜』の時とは違ってヒップホップというわけでもないので、上手くできるかどうか不安はありましたけれど、お声掛けいただけたのはすごく光栄なことなので、なんとか頑張って、いいものを作ろうと思いました。

――振り返って『大豆田〜』でのドラマ主題歌の制作はSTUTSさん、butajiさんにとってどういう経験になりましたか?

STUTS:これは自分だけじゃなく、もうちょっと大きな話だと思っています。いろんなラッパーさんと一緒に、日本のヒップホップで、普通にドラマでいろんな人に聴いてもらえるような場で普段どおりのことができた。自分だけが頑張ったというより、みんなで作り上げたものだという感じがします。いろんなことが上手くハマって、沢山の人に聴いてもらえたというのは本当に嬉しかったです。

butaji:言われてみれば確かに主題歌ですけれど、大前提として素晴らしい作品を作りたいというのがいつもあるので。純粋に、心強いプロデューサーと一緒にいい作品を作ったということに尽きるのかなと思います。

――この曲はソロ名義ではなく、STUTSさんのプロデュースする音楽集団・Mirage Collectiveの楽曲として発表されています。共作されたbutajiさんに加え、YONCEさんがボーカル、長岡亮介さんがギター、ハマ・オカモトさんがベース、WONKの荒田洸さんがドラムなど、かなり腕利きのミュージシャンが揃っていますが、この座組みはどういう成り立ちで生まれたんでしょうか?

STUTS:もともとはA&R兼マネージャーの平川さんのアイディアです。最初に言われたのは、クエストラブやディアンジェロやJ・ディラがいた「ソウルクエリアンズ」みたいな各楽器のスーパー集団みたいなものを作りたいという構想があって、そのサウンドプロデュースを僕にお願いしたいということで。そこが始まりでした。で、今回もドラマで流れる曲だからメロディーラインはまたbutajiさんと一緒に作ることができたらいいなと思って、それでbutajiさんにお願いした感じです。

――ボーカルにYONCEさんを迎えた理由は?

STUTS:これも平川さんが提案してくれて、自分もこういった機会でご一緒できるなら是非という感じで決めました。この曲は大きく分けてトラックのバージョンとバンド演奏のバージョンがあるんですけれど、最初は僕のトラックで、ボーカルも誰だかわからないようにオートチューンがかかっていて。で、話が進むと演奏がバンドに変わって、誰が歌っているのかわかる。そのアイディアも、平川さんが考えたものでした。

《Mirage Collective – "Mirage Op.1" (Official Audio)》

《Mirage Collective – "Mirage Op.2" (Official Audio)》

《Mirage Collective - Mirage (Studio Live Session)》

平川:ドラマの脚本を拝読させていただき本当に素晴らしかったのですが、ある種のサスペンス的な側面もありますし、真実というものは一つではなく、人それぞれの真実があらわになるというテーマを感じて。そこから、最初は誰かわからないけれど、それがあらわになった時に感動できるようなものにしたいという話をSTUTSくんとしたんです。また今回の企画だと圧倒的なボーカリストじゃないと成立しないと思いました。だからSTUTSくんと相談して、YONCEくんにお願いしたのです。

YONCE(写真提供:SPACE SHOWER MUSIC)
YONCE(写真提供:SPACE SHOWER MUSIC)

■『エルピス』の物語性から生まれたビートと言葉

「誰にだって口に出せないことがあって塞いでいる」や「can't stop the fire 信じたいんだ」というフレーズが印象的なこの曲。焦がれるようなメロディ、妖しい色気と深みを持った歌は、ドラマ『エルピス』を観ている人はもちろん、そうでない人も含めて、沢山の人の胸を揺さぶるようなものになっている。楽曲制作は脚本をもとにSTUTS、butaji、YONCEの三者で進められていった。

――STUTSさん、butajiさんは『エルピス』の脚本を読んでの印象はいかがでしたか?

STUTS:本当に面白いし、これをテレビドラマとしてやるということもすごく覚悟のいることだなって思いました。脚本を読んで、ドラマの雰囲気をいろいろ想像してビートを作り始めた記憶があります。

butaji:脚本全体を読ませていただいた時に思ったんですけれど、わかりやすくないんですよね。人間とは多面的なものであるという、渡辺あやさんの哲学のようなものがある。全てのものが一枚岩ではないということが書かれていて、すごく共感しました。その感動がずっとモチベーションになってましたね。

――そこからどんな感じで楽曲を作っていったんでしょうか?

STUTS:まずはビートを作り始めて、コード進行と展開がほぼ決まった段階でbutajiさんに聴いてもらって、メロディーをお願いしました。

butaji:最初はYONCEさんが歌われるということを念頭において、YONCEさんがこういうメロディーを歌ったら素晴らしくフィットするだろうなというのを想定して作っていきました。そこからいろいろ紆余曲折はありましたね。

――歌詞はどういうふうに書いていったんでしょうか。

STUTS:歌詞はそもそも、最初にYONCEくんにオファーした段階で、YONCEくんが自分で書きたいって言ってくれていて。そこからメロディーラインと言葉のすり合わせもあってbutajiさんもアイディアを出していって。僕の家にbutajiさんとYONCEくんに来てもらって、いろいろ録音したり、試しながら作っていきました。

butaji:3人で提案し合いましたよね。ブレインストーミングしながら書いていったみたいな感じでした。

■長澤まさみのボーカルが持つ表現力

そして、楽曲の制作過程でドラマの主演をつとめる長澤まさみが女性ボーカルをつとめることが決定。YONCEと長澤まさみそれぞれを迎えてのボーカル録り、ストリングスやホーンセクションも含む大所帯のバンド編成でのレコーディングも行われた。11月22日に配信されたバンドアレンジバージョン「Mirage Op.3 - Collective ver.」には、STUTSに加えて、YONCE(Vo)、butaji(Cho)、長岡亮介(ペトロールズ / G, Cho)、ハマ・オカモト(OKAMOTO'S / B)、荒田洸(WONK / Dr)、高橋佑成(Rhodes, Piano)、武嶋聡(Sax, Flu)、佐瀬悠輔(Tp)、大田垣“OTG”正信(Tb)、須原杏(Vn)、林田順平(Vc)が参加。12月4日時点で「Mirage」は計4つのバージョンが配信リリースされ、12月21日にはこれらの楽曲などを収録したアルバムがリリースされる予定だ。

――沢山の人を巻き込んで様々なバージョンを作っていくというのは、ひとつの曲を作るのとは違った苦労もあったと思いますが、どうでしたか?

STUTS:最初はそんなに大変じゃないかなと思っていたんですけれど、今回は自分で全部のミックスまでやっているので、すごく大変でした。歌詞とメロディーは同じでも、歌う人が変わったり、エフェクトの具合が変わったり、そういうことも全部含めて一つ一つ上手く曲として成立させるのには苦労しました。

――レコーディングにも立ち会ったということですが、YONCEさんの歌に関しての印象はいかがでしたか?

STUTS:今回、初めてご一緒させてもらったんですけど、すごいボーカリストだなというのが最初の感想でした。YONCEくんの声と表現、歌い方がすごく心に来るものがあって。特にフェイクがすごくグルーヴィーで、魂の叫びみたいな感じがあって。感動しました。

――長澤まさみさんの歌についてはどうでしょう?

STUTS:長澤まさみさんのレコーディングも、本当に感動しました。とても歌が上手くて、かつ、ただ上手いだけじゃなくて、感情をどうやって歌に乗せるかみたいなところまで練習してくださってきたのが伝わって。表現される方としての素晴らしさを感じて、感動したんです。

butaji:いろんな表情を引き出していただいたという感じで、立ち会えて光栄でした。

――バンドのレコーディングはどうでしたか? 相当豪華なミュージシャンが集まったように思いますが、これはどんな風に決めていったんでしょうか。

STUTS:メンバーについては、自分と平川さんで相談しながら、この方にお願いしようというのを決めていきました。まずトラックバージョンとバンドバージョンのアレンジをかなり変えたいというのが最初にあって。バンドバージョンは生演奏のダイナミクスがあって、かつ今っぽい感じの音像を目指そうと思ったんです。で、基本的には自分がここ数年で出会った、面識のある方とやりたいと思って選んでいったんですけれど、ドラムについてはビートの部分を完全に委ねられる同世代の方にお願いしたいと思ったんで、もともとの関係性はなかったんですが、WONKの荒田さんにお願いしました。で、長岡さんとハマくんは長い付き合いで、いつか自分のプロジェクトでいい形でご一緒できたらいいなと思っていた方で。ピアノの佑成くんも昔から一緒にやってますし、サックスの武嶋さん、トランペットの佐瀬くんは自分のバンドでも吹いてもらっている方だし、ストリングスの須原さんと林田さんは前に自分の曲で弾いてもらっていて。そう考えたら、自分の曲を作る時とあまり変わらない感じというか。今回だから特別にこのメンバーを揃えたというより、今までの自分の延長線上という感じですね。

「Mirage Op.3 - Collective ver.」参加メンバー 撮影:澁谷征司
「Mirage Op.3 - Collective ver.」参加メンバー 撮影:澁谷征司

■サウンドプロデューサー・STUTSの才能の開花

STUTSは2022年10月12日に3rdアルバム「Orbit」をリリースした。バンド編成でのツアー開催やフェス出演を行ってきたここ数年の経験を基盤に、バンドメンバーや様々なミュージシャンとのセッションをもとに作り上げてきたアルバムだ。STUTS自身もMPCだけでなくギターやベース、キーボードなどの楽器を演奏、歌声も披露し、それがクリエイティブな幅の広がりにつながっている。

《STUTS - Voyage feat. JJJ, BIM (Official Music Video)》

「Mirage」の洗練された仕上がりからは、『大豆田〜』や自身の作品制作を経て目覚ましく開花しつつあるSTUTSのサウンドプロデューサーとしての才能も感じられる。

――Mirage Collectiveの音楽性にはここ数年のSTUTSさんのアーティストとしての表現領域の広がりや、意欲的な挑戦が結びついているように思います。

STUTS:ありがとうございます。結果的にそうなった感じです。

――それを踏まえて聞かせてください。改めて『Orbit』というアルバムは自身にとってどういう作品ができたと感じていますか?

STUTS:2rdアルバムの『Eutopia』を出してからの4年間で自分が経験してきたこと、変化してきたことが沢山あって。バンド編成でのライブをやるようになったのが3年前なんですけど、そのメンバーでセッションをして、それをサンプリングして曲を作るということも少しずつ掴めてきた。例えば楽器の演奏だったり自分で歌うことにも挑戦するようになった。『Orbit』は、そういう変化も含めて現時点での自分を全部詰め込むことができたアルバムだと思います。

――『Orbit』と、Mirage Collectiveでの活動は、ご自身の中ではどんな風に結びついているものでしょうか?

STUTS:トラックに関しては、『Orbit』の制作中に「Mirage」も作ってるので、感覚的にはあまり変わらない感じですね。ただ、『Orbit』でやれなかったことが「Mirage」で挑戦できたのかなとも思います。ここ4年間で初めてやったことというのが、やっぱり「Presence」の制作でbutajiさんにトップラインと歌詞を考えてもらって、それを別のシンガーさんが歌うというようなことだったので。そういう「Presence」以降の経験の中でやれるようになったことも、Mirage Collectiveでやれたということはありますね。

――サウンドプロデューサーとしてやれることが広がっている。

STUTS:そうですね。あとは、ミックスを全部自分でやったのも大きいです。トラックメイカーとしての自分のアイデンティティとして、音像へのこだわりという部分はすごく大きいので。それが自分のトラックだけじゃなくて、生楽器の方も自分のイメージする音像で表現することができた。最初はバンドバージョンの方を別の方にお願いする話もあったんですけれど、やっぱりミックスで全然音が変わるので。それを両方やれたことで、サウンドプロデューサーとしてちゃんと自分がやることができたという思いがありますね。

▼ Mirage Collective「Mirage」配信リンク

https://miragecollective.lnk.to/top

音楽ジャーナリスト

1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオへのレギュラー出演など幅広く活動する。著書に『平成のヒット曲』(新潮新書)、『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『ボカロソングガイド名曲100選』(星海社新書)、『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。

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