【Jリーグ】J1残留争いの最中、V・ファーレン長崎の高田明社長が小さな島で語っていたこと。
思えば、あのときの話に高田明社長の「Jクラブ経営哲学」が込められていたのではないか。今、そんなことを思う。
今からおよそ3ヶ月前の話だ。9月2日、J1のV・ファーレン長崎がJ1残留争いの最中にあったときのこと。東京在住の筆者は、同クラブの社長高田明さんが県内の小値賀島に向かうイベントの取材同行を許された。
「私も行くのは初めてなんですよ」
船の中で、高田さんはそう言った。「そういうこともありうるんだ」と、意外に思った。
高田さんは「ジャパネットたかた」の社長時代、長崎県佐世保市から全国区へと名を馳せていった。
けれども、佐世保から高速船で90分、人口約2500人の小値賀島に行くのは初めてなんだという。
目的は「小値賀島ホームタウン活動 〜小値賀島発 地域を元気にプロジェクト〜」に参加のためだった。
V・ファーレン長崎のクラブスタッフらからの提案に対し、Jリーグも賛同。村井満チェアマン、ロシアW杯日本代表コーチの手倉森誠さん、日本プロサッカー選手会の小松原学コーチ、V・ファーレン長崎の下部組織のコーチ、福岡ソフトバンクホークスのホークスジュニアアカデミーのコーチらが島に向かい、スポーツ教室を行うというものだ。
この時、高田さんはクラブ経営者としての「根底の考え方」により近い話をしていたように思う。約2ヶ月半後の11月17日、長崎の降格が決定した後に高田さんは会見を開き、「選手やスタッフたちはよく頑張ってくれたので、悔いは残しておらずやり尽くしたと思う」と労った。いっぽうでこの9月の小値賀島訪問の際には島の自然と子どもたちの表情に触れつつ、より長い時間をかけ、クラブに対する思いを口にしていた。
そこで残した言葉とはどんなものだったのか。
島の子どもたちに伝えた言葉「考えすぎないで」
9月2日の午前中に島に着いた。昼食の後、高田さんらと車で島を一周した。この際、島の学校の横を通った。町役場の方からこんな話が出てきた。
「島の子どもたちは、本当におとなしいんですよ。小中高、ほとんどが同じ仲間のまま過ごす。仲は確かにいいんです。ただ外の人と接する機会も少ない分、穏やかな感じにまとまってしまう。もっと突き抜けたところが出てくればいいんですが……」
島は観光業や漁業が今より盛んだった時期には人口1万人規模だったが、現在は4分の1まで減少しているのだという。
今回、野球教室とサッカー教室が行われるが、野球側の参加者はじつに6人。そこに対してコーチはホークスから3人来ていた。
スポーツ教室に先立ち、町役場近くのホールで講演が行われた。
高田明講演「夢を叶える」。
その場で初めて、「主役」の子どもたちに会った。講演前、「こんにちは」と声をかけると明るく「こんにちは」と返ってきた。とても素直そうな印象だ。
この講演では、「高田節」が炸裂した。”掴み”はあの話題から。
「私がゼイワン、ゼイワンと言うことをみんな笑いますが、何がおかしいんでしょうか。はい、”ゼイワン”」
ウケた。子どもたちはきっと「ジェイワン」と呼ぶ。
「今、V・ファーレン長崎、ゼイワンで何位か知っていますか? 知っている人?」
パラパラ、と手があがる。
「1位じゃありません。18チーム中、18位なんです」
そういって、一気に畳みかけた。
「ゼイツーの上にゼイワンがあります。それは分かるでしょう? ゼイワンに行くと、日本代表選手がたくさんいます。よく聞かれました。『なんで就任してすぐにゼイツーからゼイワンになれたんですか?』と。去年の4月にV・ファーレンの社長になって、半年くらいでなれたんです。なんでだと思います? ここにね、今日のタイトル『夢を叶える』のヒントがあるんです」
高田さんの答えはこうだった。
「色んなことを考えなかった、ということです」
「(倒産危機にあったV・ファーレンは)選手・監督も給料がもらえなくなるかもしれない。ゼイワン、ゼイツーどころか、チームがなくなってしまうかもしれない、という時に、私はもともと経営者をやっていましたから『会社組織は自分がなんとかしよう』と考えたんですよ。 同時に監督と選手たちには、これだけをいいました」
その内容とは……
「試合に集中してください」
だという。
「これだけです。僕が言ったのは。後は何もやっていません。 試合と練習に集中してくださいということです。そうしたら、夏以降13試合で一回も負けなかったんですよ! 10勝3分けでね。長崎に奇跡が起きたということですね。ゼイワンになったので、 次の夢はゼイワンで優勝に変わったんですよ!」
しかし、現実は思い通りではなかった。
「ところが18チーム中の18位です。あと9試合くらいしか残っていない(注9月上旬時点)。もしかしたらゼイツーに戻るかもしれない。でもね、私を見てください。全然落ち込んでないでしょ? 人生山あり谷ありというでしょ? 悪いこと、といっても自然の災害のように人間の力ではどうしようもないことがあります。ただ、人間というのは自分が『出来る』と信じてやった時に、力以上のものが発揮できるんですよ」
V・ファーレンの状況と、島の状況を重ねて、こう話を続けた。
「だから、皆さんがたが、島の人口が減っていくとか、東京にいけば1000人以上の学校があるのに、島の高校は30人くらいだ、どうしよう、なんて考えなくていいんです。なるようになるんです。大事なのは、自分の心の持ち方なんです。信じて、前に前に進んでいく習慣を持つということが大切なんです。今日はそれを皆さんに伝えたくてね、佐世保から3日かけてやってきたんです」
軽く笑いが起きた。
「選手は集中して自分たちを信じてゼイワンに行けた。だから今、ゼイワンになっても信じているんですよ。選手もいろいろ経験してきて、上手くいかないこともあった。でも自分で自分を信じてやるんですよ。 私はですね、もうすぐ70歳になるけど(当時)、失敗したことはありません!」
なんでか分かる? と会場に聞いた。
「一番の失敗は『やらなかったこと』だから」
「やっている過程のなかで、いかに自分が一生懸命やったか。おじさんも結果が『失敗』だったことがあったけど、一生懸命生きてきたんです。生きてます。あと47年生きますよ! だから『なんで定年後にJリーグの社長をやるんですか』と聞かれるんですけど、47年あると思えばいろんなことにチャレンジできるんですよ」
「ただひとつ、気を付けるのは『頑張ったつもり』になっていないかってことです。昔カメラとか電子辞書を売ろうとしたときに、やっていた失敗は「伝わったつもり」だったということです。頑張っても、相手に伝わらなければそれは伝わったことにはなりません」
「どう? この考え方?」と問いかける。
「余計なことを考えない」。「考えても仕方がないことを考えても仕方がない」。高田明社長の考えの根底にはそういったものがある。
目標は、絶対これでなきゃと決めないこと
質疑応答の時間には、果敢に女子生徒が挙手して質問した。
「私は高校生なんですけど、高校生のうちにやっておきたいこととかありますか」
かわいらしい。本当は「やっておくべきこと」と言いたかったんだろう。高田さんは瞬時に切り返した。
「どう、ある? 何がやりたいですか?」
会場がさらに沸く。彼女が続けた。
「勉強をやっておくべきかな、と。でも勉強以外にももっといいことがあるんじゃないかなと思って」
高田さんの答え。
「なんでもね、関心を持てるようになれば、人間は成長するから。僕も高校生の頃、世の中に関心がなかったんですけど、ただあったのは英語。一番やりたいことに取り組んでみたら、広がっていく。でもね、自分が高校時代にやりたいと思ったことが一生を決めるということはない。例えば今、自分はパン屋さんになりたいという思いがあるとします。でもその後10年間でいろんな人と会って、本を読んで生活をしていって、そのなかで変化していく。それでいいんですよ。目標というのはこれと決めたことに絶対行かなきゃダメだと、縛ってしまったらだめ」
そして、彼女に聞いた。
「何がやってみたい? サッカーやってみない? サッカーだめ? スポーツいや? 何やりたい? 歌手? ……小説家?」
「それなら」
笑いが起きた。
「おお。いいじゃない。それで。とにかく『やっている自分』をつくること。無関心が一番だめだからね」
おとなしそうな女子生徒の果敢なチャレンジだった。いい答えが出てきたんじゃないか。ここに文字でも記録を残しておこう。
サッカー教室では、周囲に促され……
講演会が終わり、サッカー&野球教室へ移った。天候は晴れてはいなかったが、小値賀町立小値賀小学校運動場でなんとか開催に至った。雨なら、体育館で開催という話も出ていた。
子どもたちの数は思った以上に多い。
手倉森、小松原(Jリーグ選手会理事)、V・ファーレンの森保、神崎コーチのリードで練習が進行していく。すぐ横の小値賀中学校のグラウンドでは、ホークスによる野球教室が進行していた。
鬼ごっこ形式のウォーミングアップ、基本技術の練習、パス練習と続き……やっぱり練習の〆は「ゲーム」だ。
小松原コーチが子どもたちを学年別のチームに分けた。対戦相手は……大人たちだ。コーチ陣とチーム父兄を混ぜたチーム。村井チェアマンも試合に加わった。V・ファーレン長崎から参加した神崎大輔コーチが「チェアマン! 守備!!」と声をかけるなど、いい雰囲気でゲームが進行した。
そうこうしていると……テントで観覧していた人物に注目が集まった。
高田さん。
試合に出てくださいと。一度目は「いやいや」と座ったままだったが、二度促されると、ジャケットを脱ぎ捨て、革靴のまま立ち上がった。
ピッチに入った。曰く「子どもの頃も、一度もボールを蹴ったことがない」という。
大人チームは高田さんにゴールを決めてほしいから優先的にボールを回す。
しかし、縦バスに追いつけない。追いついてもボールタッチが大きくなる。あるいは子どもにボールを奪われる。
4度ほどミスが続いた後、ゴール前の混戦で……
ゴールを決めた。
69歳にしての人生初ゴールだった。
高田さん、さすがです。もってますね。
そう伝えてみた。
「すごいということはないんです。やらなきゃ分からないんですから、やってみればいいって。ただ、5分のなかでゼーゼー言ってしまって。子どもたちのパワーもありましたよね。あのゴールはみんなが作ってくれたんですよ。でも最後に横にパッと蹴ったのは僕の力だと思いますよ。アハハハ」
できない理由を挙げない。出来る理由を考える
夕食の時間まで子どもたちと触れ合う時間が続いた。雲行きは引き続き怪しく、バーベキューは屋外では開催できなかったが、公民館で焼いた肉を一緒に食べた。
高田さんに最後に話を聞いた。なぜ、ここでこのイベントが開催できたのかと。
「今日、サッカー教室に参加した子どもたちの一部は、(隣の)宇久島からも来て一緒に参加したんですよ。宇久島は(行政区分では)佐世保市ですよね。境を越えて来ている。人数が少ないから出来ないんじゃなくて、出来る方法を考えないと。やりかた、かたちを変えれば良いと思うんですよ。そうやって、今日、宇久島の方が来られたのは、ほんとうに流石だなあと思います。今日はクラブのスタッフもたくさん同行しています。このかたちを共有していけるV・ファーレン長崎になっていければな、と思いました」
出来ない理由を挙げるものではない。できる理由を考える。これもまた高田さんの哲学だ。今回の小値賀島のイベントでは、この点が強く感じられた。
翌日、島を離れる際に、子どもたちが見送りに来てくれた。サッカーの子も、野球の子も。サッカーチームの女の子に昨日の感想を聞いてみた。かなり恥ずかしがりながらも、こう答えた。
――楽しかった?
「はい」
――何が楽しかった?
「試合をしたことです」
――みんなが観てる前で試合をしたから?
「大人と試合をしかたから」
ああ、やっぱり島の子たちも外とのつながりを求めているんだなと。
佐世保行きの船が港を出て、針路を変えた。窓から見えなくなるまで、子供たちは手を振っていた。見えなくなったころ、船内でこんな会話になった。
「そういえばこの2日間、誰もスマホや携帯ゲーム機をいじってなかったね」。
ありがとう小値賀島。本当にいいものを見せていただいた思いだった。
そして、V・ファーレン長崎は本当に強いな、と思った。
なぜならこれからまだまだ出会えるファンがたくさんいるのだから。ホームタウン長崎県は日本で一番島が多い都道府県。971あり、2位鹿児島県の605を大きく離す。そこに行って、学べることがたくさんある。
今回の小値賀島だって、地域が主体になったイベントに地元のJクラブが寄り添ったように見えた。両者は”地域密着”が必要なほどに離れているものではなく、一体化しているかのようだった、というか。決して一行が小さな島に行って、何かをしてあげるだけの時間ではなかった。
そういった新しい出会いと、高田さんの「余計なことを考えない」「やってみなければ分からない」「できない理由ではなく、できる理由を考える」といった考えがどう組み合わさっていくのか。そんな期待も抱かせる小値賀島の訪問だった。
注:高田明社長の「高」の字は正式には、”はしごだか”(「なべぶた」の下が「口」ではない異字体)ですが、オンライン上では機種依存文字となるため「高」としました。