KARA知英が振り返る2024年<後編> 日本公演を「私の中でずっと残っていく時間」という理由
KARAの知英は今年11月に日本の事務所と再び契約。日韓両国での本格的な活動を再スタートさせた。
2024年は韓国と日本を往来し「自分のなかでずっと残っていく」経験も積んだ1年になった。いったい彼女はこの1年をどんな思いで過ごしたのか。そして来たる2025年への思いは? 12月下旬に都内で行われたインタビュー後編を。
KARA知英が振り返る2024年<前編> 韓国番組で「ありのまんまを撮りました」
韓国でリリースされた「大切なもうひとつの曲」
6月からはKARAとしての音楽活動が本格化していった。18日、韓国での楽曲リリースが発表となる。
「確かこの時期から(先に発表になった)日本でのコンサートの準備も始まって、同時に進めていきました。韓国では『I DO I DO』という楽曲でいこうとメンバーみんなで一緒に決めて。この曲もまたファンとの思い出をいろいろと込めた楽曲でした。歌詞にメンバーの思いも結構入っている曲でもあります。この5人で曲を出せるっていうこと自体が嬉しかったです」
7月23日に公開されたMVの撮影ではかつての活動時とは違う経験もした。
「以前の活動の頃には、MVの撮影も長い時間をかけて、寝ずに24時間撮るということもあったんですよ。でも今はそういう撮影の形はやらないですよね。だから撮影の時は余裕をもって、楽しく撮ることが出来ました」
知英自身には2023年にもKARAとしての活動があり、またソロでもファンミーティングを開催するなどしてきたため、ダンスや歌にブランクを感じることはなかった。しかし、やはりKARAとしての取り組みには本人も特別な思いがあったという。
「私1人じゃなくて、メンバーと合わせるというところはあるので、ちゃんと気合いを入れて迷惑かけないように頑張ろう、というところはありますよね。私はちょっと踊りを覚えるのが遅いほうなんですけど、 その分ちょっと1人で練習する時間を取るとか、そういう風に少しずつ頑張りました」
この「I DO I DO」が公開される1週間前、7月16日にはとても大切な出来事があった。楽曲『Hello』を先行公開。知英にとっても特別な思いがあった。
「ハラさんの声も入っている6人で歌う曲。だからこそ大事な曲です。ファンの皆さんにサプライズで公開するプレゼントのような意味もありました」
日本ツアーは「あることを決めていた」
8月、いよいよ日本の地を踏む。コンサートツアーが始まった。17日と18日に東京、24日と25日には大阪での公演が待っていた。
「日本自体が久々、という感じはなかったんです。一人でのファンミもやらせてもらいましたし、旅行でも来ていました。メンバーとも一緒に去年来たので…(新型コロナのパンデミックが収束した)2022年に日本に来た時のほうが久々という感じがしましたね。公演は楽しかったです。もうそれしかなかったです。(現場では)後悔のないように楽しもうっていう雰囲気だったので」
翌月、知英はすぐに日本に戻ってきた。
28日、東京ガーデンシアターで開催された「IDOL RADIO LIVE IN TOKYO シャイニングモーメント」でのMCを務めたのだ。韓国で人気のラジオ番組「IDOL RADIO」の公開収録。昼夜2公演でSUPER JUNIORのイェソン、SHINeeのオンユ、MAMAMOOのムンビョルらのステージの単独進行を担った。
「初めてでした。日本語と韓国語、両方でやって。やっぱり緊張しましたね。1人だったので、誰か一緒にいるわけじゃなくて。そういうプレッシャーを感じながらも楽しくやりましたね」
11月には「新たな一歩」そしてKARAメンバーとの共演ではっちゃける!
そして11月。1日に日本でも韓国でもこのニュースが報じられた。
日本の芸能事務所Sweet Powerと3年ぶりに契約。Sweet Power Internationalで新たなスタートを切ることになった。
「正確に言うと、韓国でも事務所に所属していて、 日本ではSweet Powerさんにお世話になるっていう形です。またお願いします、ということですね。だから日本だけじゃなくて、韓国と日本も一緒に活動していくということです」
さらにこの月の末には韓国で多く報じられる話題もあった。29日にはKARAのリーダー、ギュリのYouTubeチャンネル「ナヌン ギュリヨ(私はギュリよ)」に出演。KARAメンバーの単独出演としては4人目だったのだという。
「メンバー同士なので、あまり難しいことはないんですよ。出て~と言われて、はいと答えて。お酒を少し飲みながら楽しくおしゃべりしました」
確かに、楽しいトークだったようで…2人でバーベキューとお酒をやりながらの「肉焼けた?」とか「疲れたら寝てもいいよ」という「普段着すぎる」トークだった。
KARAのなかでは最年長と最年少メンバー。「お互い1対1で話すのはちょっとぎこちない」と言いながらも知英はずっとため口で話すなど、くだけた様子を見せた。
韓国メディアでは「ギュリは知英とSNSをフォローしあいたくない、たとえ不仲説があったとしても」と報じられたりもした。なんでも「そういう周囲の目よりも、SNSのフォロワーをあまり増やしたくないギュリ自身のスタンスのほうが大切」なのだとか。
そういった会話の中にも、2度「日本」という単語が出てきた。
これからも私に残っていく時間
韓国と日本で。仕事でプライベートで。様々な動きのあった知英の2024年だった。本人にとってどんな印象が残っているのか。
「自分にとっては、1番大きかったのはやっぱりKARAとしてのコンサートでしたね。私としては10年ぶりで、KARAのグループ自体としては9年ぶりでした。多くの人の前にまた立って、歌って踊ってっていうことが10年ぶりだったけど、なんというか『時間を感じない』っていう感覚はありましたね」
「メンバーと離れていた時間がまるで存在しなかったような感覚です。不思議な気持ちでした。またステージに立てることが現実じゃないような気がしたり、夢のような感じがしたり。やっぱりこれ、すごく大切な時間でした。これからも私に残っていくんじゃないかと思っています」
時が止まったようで、現実感がなくて、幻想的な時間。だからこそ残っていく。そういうことなのだろう。
やがて訪れる2025年は、こんな1年にしたいのだそう。
「今年もすごくいろんなことが起きて、楽しく過ごしたので、 今年みたいないろんなことが起きてればいいなって。別になんかこれを絶対やりたいとかは決めてないんですよ。なるようになるっていう風に生きてる人なので。楽しくやっていこうと」
プライベートでは趣味を突き詰めたい思いもあるのだという。
「ダイビングが好きなんです。うん。別の趣味にはあまり興味がないくらいです。より深くやっていきたいです。沖縄に結構行ってるので、また行きたいですね」
-------------
14歳でのKARAとしてのデビュー時、2008年「ROCK U」の頃の彼女の姿をずっとYouTubeで見ていて、その後の姿もずっとYouTubeで見ていた。2024年の12月に目の前に現れた彼女は可憐で、それでいて自分がどうあるのかをしっかり持っている大人の女性だった。一瞬、その距離感が掴めずに慌ててしまったくらいだ。
それにしてもその日本語の滑らかさたるや。本当に驚いた。「なんか」「えっと」という間の取り方まで上手く、単語のチョイスもかなり自然。教科書的な「ありのまま」ではなく「ありのまんま」と言う。今回のインタビューはすべて日本語でおこなったものだ。この先もずっと日本で見ていたい。そして韓国でどうあるのかも伝えてみたい。そんなことを感じさせる存在だった。
(了)
筆者注:インタビューは12月20日に東京都内で進行したものです。12月29日の韓国での旅客機事故で犠牲になられた方々、ご遺族に心からの哀悼の意を表すとともに、負傷された方々の一日も早い回復をお祈りします。