「駒柱は縁起がわるい」という俗説は昭和のなかばに広まった迷信 将棋で駒が縦一線に並ぶ形について
将棋では駒が縦一線に並ぶことがあります。昭和のなかば頃から、これを一般的に「駒柱」と呼ぶようになりました。
この駒柱ができると「縁起がわるい」という俗説があります。気にされる方もおられるかもしれないのでストレートに結論から書きますが、これは迷信です。
加藤治郎名誉九段は次のように書いています。
昔は駒柱が出現することは、かなりまれでした。しかし現代では将棋の戦術もかなり変わり、駒柱は珍しいものではなくなりました。
たとえば2024年の名人戦七番勝負第5局では先手の藤井名人は居飛車穴熊、後手の豊島九段は美濃囲いに組んで、終盤、8筋に駒柱が出現しています。
居飛車-振り飛車の戦型で、同じサイド(先手が居飛車であれば左側)に玉を囲い、その周りに駒を集結させる指し方が好まれるようになると、必然的に、かなりの頻度で駒柱は出現するようになりました。
駒柱が出るたびに不幸が訪れるのであれば、現代将棋はやっていけません。皆さまも気になされないのがよいでしょう。
迷信が流布された経緯
以下、こうした迷信が広く信じられるようになった経緯を書き記しておきます。
四百年以上という長い歴史を誇る将棋界において、古い文献には「駒柱は縁起がわるい」という記述は見当たりません。江戸時代の将棋宗家、大橋家や伊藤家にそうした言い伝えがあったという話も、聞いたことがありません。
筆者が文献を調べてみた限りでは「駒柱は縁起がわるい」という話が広まったのは、昭和のなかばからのようです。
1956年、ある棋士が亡くなりました。本稿では仮にX七段とします。X七段と親しかった加藤治郎八段(のちに名誉九段)はその死を深くいたみ、亡くなった2日後、告別式に出かける朝、追悼文を書きました。その中で加藤八段はX七段の「絶局」としてY八段との対局を紹介しています。
加藤八段は「絶局」としていますが、対局記録をたどってみると、実はこのあとにもX七段は1局指していたようです。
2図は、かつてよく指されていた形の相掛かりからの進行。この戦型で駒柱(この頃の言い方では「縦一線」)が出現することは、確かにまれではあります。多くの対局を観戦してきた加藤八段が初めて見たというぐらいですから、当時は駒柱は非常に珍しく、特別視されたのでしょう。
対局の結果は、X七段の負けでした。
加藤八段はX七段の死を悲しみ、不幸な偶然を書き残さずにはいられなかったのでしょう。こうした話が合理的でないことは、加藤八段自身がいちばんよくわかっていました。
加藤八段が「迷信」と言明しているにかかわらず、その後は「駒柱は縁起がわるい」という俗説は広まっていきました。
将棋史研究家の坂本一裕さんは明治の時代、七段と五段の香落戦で現れた「縦一線」を紹介しています。
どうせ信じるのであれば、茶柱と同じ「大吉」という説の方を選びたいものです。将棋を愛する皆さま方の益々のご多幸をお祈りして、本稿を終わります。