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「駒柱は縁起がわるい」という俗説は昭和のなかばに広まった迷信 将棋で駒が縦一線に並ぶ形について

松本博文将棋ライター
(記事中の画像作成、写真撮影:筆者)

 将棋では駒が縦一線に並ぶことがあります。昭和のなかば頃から、これを一般的に「駒柱」と呼ぶようになりました。

 この駒柱ができると「縁起がわるい」という俗説があります。気にされる方もおられるかもしれないのでストレートに結論から書きますが、これは迷信です。

 加藤治郎名誉九段は次のように書いています。

昔はこれを兇相と怖れ、地方によってはこの瞬間、互いになにやら呪文を唱えながら盤面の駒をかきまわしたとの言い伝えがある。だが、無論単なる迷信である。そればかりか、関西地方ではその縦一線を「駒柱」といい、「茶柱」と同じ吉相にみるという。
出典:加藤治郎『将棋戦法大事典』279p、1985年刊

 昔は駒柱が出現することは、かなりまれでした。しかし現代では将棋の戦術もかなり変わり、駒柱は珍しいものではなくなりました。

 たとえば2024年の名人戦七番勝負第5局では先手の藤井名人は居飛車穴熊、後手の豊島九段は美濃囲いに組んで、終盤、8筋に駒柱が出現しています。

 居飛車-振り飛車の戦型で、同じサイド(先手が居飛車であれば左側)に玉を囲い、その周りに駒を集結させる指し方が好まれるようになると、必然的に、かなりの頻度で駒柱は出現するようになりました。

 駒柱が出るたびに不幸が訪れるのであれば、現代将棋はやっていけません。皆さまも気になされないのがよいでしょう。

迷信が流布された経緯

 以下、こうした迷信が広く信じられるようになった経緯を書き記しておきます。

 四百年以上という長い歴史を誇る将棋界において、古い文献には「駒柱は縁起がわるい」という記述は見当たりません。江戸時代の将棋宗家、大橋家や伊藤家にそうした言い伝えがあったという話も、聞いたことがありません。

 筆者が文献を調べてみた限りでは「駒柱は縁起がわるい」という話が広まったのは、昭和のなかばからのようです。

 1956年、ある棋士が亡くなりました。本稿では仮にX七段とします。X七段と親しかった加藤治郎八段(のちに名誉九段)はその死を深くいたみ、亡くなった2日後、告別式に出かける朝、追悼文を書きました。その中で加藤八段はX七段の「絶局」としてY八段との対局を紹介しています。

第2図の4筋を注視されたい。彼我の駒が一つの隙間もなく縦一線を画(えが)いている。
諸君はこんな形を一度でも見たことがあるだろうか。
僕も将棋心がついて以来、これが初めてである。斜一線や横一線なら、数多く現れているが縦一線は稀有の現象らしい。
出典:加藤治郎「X七段の絶局」『将棋世界』1956年10月号74p

 加藤八段は「絶局」としていますが、対局記録をたどってみると、実はこのあとにもX七段は1局指していたようです。

 2図は、かつてよく指されていた形の相掛かりからの進行。この戦型で駒柱(この頃の言い方では「縦一線」)が出現することは、確かにまれではあります。多くの対局を観戦してきた加藤八段が初めて見たというぐらいですから、当時は駒柱は非常に珍しく、特別視されたのでしょう。

数年前、談たまたま縦一線に及んだとき、X君は僕に「ある地方では、縦一線は大凶事の起る兆しで、対局者のどちらか先に気づいた方が”ワマ、ワマ”と叫びながら、盤上の駒を滅茶苦茶にかき廻してしまう」と、教えてくれた。
ある地方とは千葉県内か、あるいは他の県か、そのへんは訊き直さなかつた。また”ワマ”とは、僕が勝手につけた叫び声で、実は何んと言つたか忘れてしまつた。
縦一線の珍形がX君の棋士生活の最後の一頁を飾る一戦に現れる。しかも、この形を大凶相と教えてくれたX君自身である。そして、X君はこの一戦からわずか半年であの世とやらえ旅立つてしまつた。
これほどの大凶事はほかにない。そう言えば4は死に通ずで、本局の縦一戦は4筋に現れている。
大凶相と知つていながら、X君は何故”ワマ”と叫んでかき廻さなかったのだろう。
こんな妙ちきりんグチをこぼさねばならぬほどX君の死はどう考えても惜しい。
(加藤治郎「X七段の絶局」『将棋世界』1956年10月号74p)

 対局の結果は、X七段の負けでした。

 加藤八段はX七段の死を悲しみ、不幸な偶然を書き残さずにはいられなかったのでしょう。こうした話が合理的でないことは、加藤八段自身がいちばんよくわかっていました。

迷信なんですよ、縦一線なんていうのは。(中略)
幽冥境をことにするX君、このおかしな追悼文を許して欲しい。
(加藤治郎「X七段の絶局」『将棋世界』1956年10月号74p)

 加藤八段が「迷信」と言明しているにかかわらず、その後は「駒柱は縁起がわるい」という俗説は広まっていきました。

 将棋史研究家の坂本一裕さんは明治の時代、七段と五段の香落戦で現れた「縦一線」を紹介しています。

118手目下手の7五桂によって7筋にタテ一線の珍形を生じている。この形を関西では「駒柱」と呼んでいるが、俗信で凶兆とも言われ、逆に大吉とも言われている。
出典:坂本一裕『近代将棋』1970年7月号84p

 どうせ信じるのであれば、茶柱と同じ「大吉」という説の方を選びたいものです。将棋を愛する皆さま方の益々のご多幸をお祈りして、本稿を終わります。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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