【京都府長岡京市】閑静な住宅街にある1800個の埴輪が出土した古墳は、明智光秀が本陣にしていたの?
長岡京市の勝竜寺地域にある「恵解山古墳(いげのやまこふん)」は、古墳時代中期(約1600年前)に造られた前方後円墳です。古墳の大きさは全長128m、後円部の直径約78.6m、前方部の幅約78.6mで、乙訓地域最大の規模を有しています。古墳の大きさなどから少なくとも乙訓地域の全域を支配した実力者の墓であったと考えられています。
2022年5月20日に見学に行ってきました。府道211号線から恵解山通りに入ると、ちょうど長岡京市第3中学校の向かいに突然鬱蒼とした小丘が現れました。階段を上がった広場には、実物大の埴輪がびっしり居並びます。長岡京市観光協会にお聞きすると、この古墳から出土した1800個の埴輪の一部を忠実に再現していると言います。
また昭和55年には、「前方部の中央付近からで鉄器が出土し、長岡京市教育委員会が緊急調査を行いました。調査の結果、鉄製の武器(大刀146点前後、剣11点、槍57点以上、短刀1点、刀子10点、弓矢の鏃472点余り、ヤス状鉄製品5点)など総数約700点を納めた武器類埋納施設が発見されました。古墳からこのように多量の鉄製武器が出土した例は京都府内にはない」(長岡京市埋蔵文化財センターホームページより)と言います。本物の展示は、長岡京市埋蔵文化財センターで見ることができます。
さて、昨今、この恵解山古墳が話題になっているのは、すぐ隣の大阪成蹊大学の長岡京校舎で発掘調査中の現場から、光秀の陣城遺構と思われるものが発見されたからです。これまで謎とされてきた、天正10年(1582年)6月、「天下分け目の天王山」と言われた山崎の戦いのとき、明智光秀が本陣としたとされる「御坊塚」が恵解山古墳ではないかとの見方が出てきたからです。
古代から中世へと歴史ロマンあふれる小丘へちょっと散歩に出かけてみませんか!
恵解山古墳 京都府長岡京市勝竜寺30 長岡京市埋蔵文化財センター(外部リンク) 京都府長岡京市奥海印寺東条10番の1 075₋955ー3622