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ブラジルでエリート候補生だったダワン。「サプライズの男」を自認するボランチはガンバ大阪の希望に

下薗昌記記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家
早くもガンバ大阪に欠かせない選手になりつつあるダワン(中央)。筆者撮影

 改装された国立競技場で初めてのJ1リーグが4月29日開催された。ガンバ大阪はFC東京に0対2で敗れたが、両チームを通じて最多のシュート数3本をマークしたのがガンバ大阪に今季加入したブラジル人MFのダワンだった。後半、ミドルシュートがポストを直撃。試合終了間際にもヘディングシュートで決定的な一撃を繰り出した。「オーメン・スルプレーザ(ポルトガル語で「サプライズの男」の意)を自認するブラジル人のプレースタイルはどのように形成されたのだろうか。

名門コリンチャンスの下部組織でプレー。全国的な注目を集める大会の決勝でもプレー

 ダワン・フラン・ウラーノ・ダ・プリフィカソン・オリヴェイラ。ブラジル人らしい長い本名を持つダワンは今年1月に期限付き移籍が発表された。ガンバ大阪がリリースしたその経歴にはSCサンタ リタ-CSA(期限付き移籍)-ポンテプレッタ(期限付き移籍)-ジュベントゥージ(期限付き移籍)の名が記されているが、ダワンのキャリアを語る上で欠かせないのがブラジル屈指の名門、コリンチャンスである。

 ブラジルサッカー界で年明け最初のビッグイベントが未来のスター候補生が集うU20の全国大会「コパ・サンパウロ・デ・ジュニオーレス」。小さなカップを意味する「コピーニャ」の呼び名で親しまれるこの大会はサンパウロ市の市制記念日である1月25日に決勝戦が行われるが、2016年1月25日、ダワンはコリンチャンスの一員として、決勝の舞台に立っていた。

 1950年のワールドカップブラジル大会でも用いられた伝統あるパカエンブースタジアムで30216人の観客が見守る中、コリンチャンスはフラメンゴと対戦した。フラメンゴでは現在、ブラジル代表でも常連になったルーカス・パケッタも出場していたが、背番号7を付けたダワンは累積警告で出場できないCBに代わって、決勝は本職でないCBでピッチに立っていた。

 2対2に終わった一戦はPK戦にもつれこみ、コリンチャンスは涙を飲んでいるがダワンはPKキッカーも3番手で務め、見事に成功させている。

 ガンバ大阪での初先発を飾った4月2日の名古屋グランパス戦では開始早々に、観客席まで音が響く強烈なヘディングでサポーターを沸かせたダワンだがガンバ大阪での最初の取材では「僕の身長は高くないが、頭で得点するところも得意。足で取るよりも多いかも」と自己紹介。コピーニャでの決勝でCBを託された経験を見れば、その空中戦の強さも納得なのである。

二人の元ブラジル代表ボランチをお手本に。元バルサのパウリーニョから学んだ得点力とは

 コリンチャンスの下部組織時代にはその将来を嘱望されながらもトップ昇格は果たせなかったダワン。しかし、ビッグクラブでプロ契約をかわしたものの、その後消える選手もいれば、中小のクラブを点々とした後に、ブレークを果たす遅咲きの選手も決して珍しくはない。

 ブラジル国内では中堅の位置付けではあるがCSAやポンテ・プレッタ、ジュベントゥージで着実に成長を遂げてきたダワンが、お手本にしてきたのはカナリアイエローのシャツを着てワールドカップにも出場した二人のボランチである。

 フェリペ・メロとパウリーニョを参考にしてきたというダワンは決して荒いプレースタイルではないが、昌子源は言う。

 「ダワンは少し今のガンバにはないボランチというか、ファイター気質。(齊藤)未月もそうだけどダワンみたいに負けず嫌いの『ザ・ブラジル人ボランチ』というか、彼の負けず嫌いな部分がチームに伝染しているし、それ以外にもいいパフォーマンスをしてくれている」

 昨季までのガンバ大阪に欠けていたボランチによる空中戦の強さも生かしたピッチの中央の危険地帯のケアはもちろんだが、CSA時代にはシーズンの32試合を右SBとしてもプレー。「僕はボランチだけど、SBでプレーした経験がカバーリングでも生きている」とダワンも言う。

 守備に軸足を置くプリメイロ(第一)ボランチが本職だが、攻撃にも加わるセグンド(第二)ボランチをこなす基礎技術の高さも持っている。「僕はクラッキ(天才)じゃないし、技巧派の選手じゃない」と謙遜するものの、名古屋グランパス戦ではアウトフロントで絶妙のパスも披露。基礎技術の高さは、今のガンバ大阪においても、やはり際立っている。

 そして、決して守りだけの男でないダワンのプレースタイルを語る上で欠かせないのはやはり、パウリーニョだろう。

 2012年にはコリンチャンスのクラブ世界一に貢献し、その後広州恒大やバルセロナでも活躍したパウリーニョはその得点力の高さから「ボランチ・アルチリェイロ(ボランチストライカー)」と称されていた。

 コリンチャンスのU20でプレーしていた当時、時にトップチームの練習にも参加したダワンはパウリーニョの動きを参考にしていたという。

 4月6日の京都サンガ戦では敵陣深くに進出し、強烈なミドルシュートで移籍後初ゴールをゲットしたが試合後、パウリーニョさながらのゴラッソ(スーパーゴール)について尋ねてみたが返ってきた答えが、こうだ。

「僕は試合の流れを読んでどこにスペースが生まれるのか、そしてどこにポジショニングを取れば、相手にとっての『オーメン・スルプレーザ』になれるか意識しているんだ」

 神出鬼没の動きで得点を量産するパウリーニョもしばしば「オーメン・スルプレーザ」と呼ばれたものだったが、ダワンもゴール前に顔を出すセンスは秀逸。FC東京戦の後半早々、小野瀬康介のクロスが流れたところに鋭く走り込み、放ったシュートはポストに嫌われたもののダワンの持ち味が凝縮したプレーだった。

 ブラジルで最も熱いサポーターを持つことで知られるコリンチャンスでは単なる上手さよりも戦う姿勢や、献身的な姿勢が好まれる傾向がある。そんな名門のエンブレムをかつて胸につけた経験が、ダワンの献身性を支えている。

 「サッカーは1人でプレーできないことを僕は知っているし、チームの助けになるプレーをすることで自然とチームメイトからの信頼を得られる。逆に僕の長所を生かす上でチームメイトが自分のフォローをしてくれるのでそういう関係性が大事。そんな教えを僕はコリンチャンスで学んだ」

 その履歴書に派手さはないが、実力は本物。「サプライズの男」はまだ、その本領を見せきっていないはずだ。

記者/通訳者/ブラジルサッカー専門家

1971年、大阪市生まれ。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)でポルトガル語を学ぶ。朝日新聞記者を経て、2002年にブラジルに移住し、永住権を取得。南米各国でワールドカップやコパ・リベルタドーレスなど700試合以上を取材。2005年からはガンバ大阪を追いつつ、ブラジルにも足を運ぶ。著書に「ジャポネス・ガランチードー日系ブラジル人、王国での闘い」(サッカー小僧新書)などがあり、「ラストピース』(KADAKAWA)は2015年のサッカー本大賞で大賞と読者賞。近著は「反骨心――ガンバ大阪の育成哲学――」(三栄書房)。日本テレビではコパ・リベルタドーレスの解説やクラブW杯の取材コーディネートも担当。

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