「リングで子供を抱っこ」を日本で最初に実現したのはあの人だった
6月19日、千葉・幕張メッセ イベントホールで行なわれた「WBO女子世界スーパーフライ級王座決定戦」では、吉田実代(31=EBISU K’s BOX)がケーシー・モートン(35=アメリカ)に判定3-0で完勝、初挑戦で世界のベルトをその腰に巻き、日本ボクシング史上初の“ママさん世界チャンピオン”になった。
“戦うシングルマザー”の吉田は試合前の1ヵ月半、愛娘の実衣菜(みいな)ちゃん(4)を鹿児島の実家に預け、練習に打ち込んだ。寂しい思いをさせた償いと、共に喜びを分かち合いたいとの思いから「勝ったら絶対に娘をリングに上げる」と決め、見事有言実行。リング上で号泣する母娘の姿に、会場からは温かい拍手が起こった。
このニュースを報じながら、一つの素朴な疑問が浮かんできた。「考えてみたら、初めてリングで子供を抱っこした女子格闘家は誰なんだろう」。ここ数年、ママさんファイターも徐々に増えてきたが、10年前、さらにその前となるとその数は限られてくる。
筆者の頭に最初に浮かんだ人物は、つのだのりこさん(48)だった。90年代の初めからシュートボクシング、キック、ムエタイ、総合格闘技とジャンルを股にかけて活躍。ムエタイでは4本のベルト、プロボクシングではOPBF東洋太平洋女子スーパーフライ級のベルトを獲得するなど、“最強ママさんファイター”としてその名を馳せた。一人息子の武蔵くんをリングで抱え上げる姿は、勝利後の“儀式”としてたびたび格闘技専門誌にも掲載された。
「リングで子供を抱っこ」のルーツはつのださんなのか。確認のため熊谷直子さん(47)に連絡を取ってみることにした。熊谷さんはつのださんより一足早い80年代後半にデビュー。キックボクシングで世界3階級制覇を果たした女子キック界のレジェンドだ。
素朴な疑問をぶつけると、熊谷さんは「たぶん、つのださんが初だと思います」と言い、当時の状況をこんな風に回想した。
「あの当時は女子がリングに上がるなんて…という時代だったし、『(格闘技を真剣にやったら)子供が産めなくなる』という声も。その中で、つのださんは子供を産んで復帰した。凄いことだと思いました」
当時の心境を聞くべく、つのださん本人に連絡した。尋ねると、本人もやはり「自分が最初だと思う」と振り返り、そのいきさつを明かしてくれた。
つのださんは1993年、シュートボクサーとしてプロデビューしたが、7戦目まで順調にキャリアを積んだところで妊娠。授かり婚、出産、育児で一時リングから離れた。
「子供とリングに上がろうと誓ったのは妊娠中。よく男子選手が赤ちゃんをリングに上げているのを見て、『私もやろう!』と」
96年12月に武蔵くんを出産。夢をかなえて初めてリング上で“親子競演”したのは今から約20年前の99年10月、復帰2戦目のことだった。
「復帰初戦は大阪だったので武蔵を連れていけず、勝ったのに実現できなかった。2戦目はドローだったんですが、『上げちゃえ!』と(笑)。単なる自己顕示欲かもしれません。でも、出産する前も、出産後も競技を真剣にやっているのは私ぐらいだと思っていました。妊娠したからやめるのではなく、子供を産んでもリングに復帰するのは普通なんだとアピールしたい気持ちも、ちょっとはあったのかな」
ちなみに、柔道の柔ちゃんこと谷亮子さん(43)が妊娠を発表、「ママでも金(メダル)」を目指すとのコメントが大きな話題となったのは、2005年のことだ。
武蔵くんを最後にリングで抱き上げたのは2013年。ボクシングの引退セレモニーでのことだった。
「最初の頃は片手で楽々抱っこしていたのに、両手でもやっとだった。もう高校生になっていたから当たり前ですけどね(笑)」
現在、大学院生の武蔵くんと、当時の話をすることはあまりない。「でも、大学に提出するアンケートで、忘れられない思い出という質問に『母親が戦って勝ったリングに上げてもらったこと』と書いたそう。ちっちゃい頃は『汗でぐちゃぐちゃになるから抱っこされるのイヤ!』なんて言っていたけど、やっぱり何か感じるものはあったのかな」
そういえば、男子の第1号は1974年4月、WBC世界ライト級王座を獲得し、当時1歳の長女をリングで抱き上げたガッツ石松さん(70)との情報もあるが、本当だろうか。ともかく、格闘技戦では些細なワンシーンかもしれない“親子競演”も、掘り下げればそれぞれに歴史や物語がある。