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元代表の柏木真介が語るワールドカップ。「世界と戦った楽しさ、うれしさ、充実感がすごくありました」

青木崇Basketball Writer
2006年のFIBAワールドカップ、ドイツ相手にドライブで仕掛ける柏木(写真:アフロスポーツ)

 2006年に日本で開催されたワールドカップ(当時は世界選手権)に出場したメンバーは、レバンガ北海道の折茂武彦を最年長に8人が今もB1の現役選手を続けている。昨季新潟アルビレックスBBのB1中地区制覇に貢献したガード、柏木真介も世界との戦いを経験した選手の一人。予選を突破してワールドカップ出場を決めた後の3月3日に取材した際、日本代表の飛躍について次のように語っている。

「若い世代がよく頑張ってつかんでくれたなと思いますし、素直にうれしかったです。2006年の世界選手権からここまでの間に、なんでいつも同じことを繰り返すのかなとずっと感じていたので、そういった意味では今の世代が若い時からしっかり積み上げてきたものが、今回このような結果につながったので、素直にうれしかったですね」

 ジェリコ・パブリチェビッチコーチの下、世界と戦うために厳しいトレーニングを積み重ね、競争を勝ち抜いて代表メンバーに入った柏木にとって、13年前の経験は今もはっきり覚えている。

「楽しかったという記憶しかないです。もちろん、そこに行くまでが本当に大変でしたし、きつい合宿や練習をやってきましたけど、本番ではなかなか味わうことのできない試合を経験できたので、日本としてもそうですし、個人としてもすごく楽しんでプレーできた大会でした。ただ、結果的には悔しいものがあったんですけど、世界と戦った楽しさ、うれしさ、充実感がすごくありました」

 ハーフタイムでの18点リードを逆転されて負けたニュージーランド戦は、日本のバスケットボール界が苦難の時代に突入するきっかけになったと言っていい。勝てば決勝トーナメント進出が決まり、五輪王者のアルゼンチンにチャレンジできる機会を得られたという点でも、逃した魚は大きかったのだ。ニュージーランド戦について、柏木は次のように振り返る。

「確かに、あのようなゲームは日本でもあり得ることです。今思えば本当にチャンスがあった、悔しかったと思えますけど、当時は放心状態というか、何で負けたんだろうという気持のほうが強かったです。今考えてみると、やはり若かったし、あの経験があったから今につながっていると思います。

 当時を振り返ってみると、今ならばプレーにいろいろな選択肢があって、いろいろなことを考えることができた。やはり若かったし、経験が僕だけじゃなく、日本全体でなかったからあのようなゲームにつながってしまったんでしょう。戦術として日本のスタイルというのは確立されていましたけど、最後あのようなゲーム展開に対処する術がわからなかったのです。

 当時は難しかったですし、若かったと言うしかない。劣勢になった時や大量リードした時の戦い方とメンタルは、これからもずっと大事になってきますので、そういったところを今のバスケットボールと合わせて強化していけたら、すごくいいと思います」

 4連敗からの8連勝でワールドカップの出場権を獲得しただけでなく、東京五輪も開催国としての参加が認められた。FIBAの制裁からバスケットボール界は大きく変貌し、八村塁と渡邊雄太という2mを超えるオールラウンダーの登場やニック・ファジーカスの帰化が追い風となり、王者アメリカにチャレンジする機会も得た。日本の現状について「今は本当に楽しみでしかないです。どこまで世界と戦えるのか? ということでも…。僕は見ているだけですけど、すごくワクワクしています」と話る柏木は、13年前一緒に戦った竹内公輔と譲次が再び世界で戦うことで、その思いをより強くしている。

 今回のワールドカップに挑むメンバーたちは、柏木のように世界と戦った楽しさ、うれしさ、充実感を得てほしいと願うばかり。9月1日のトルコ戦は、日本が新たな歴史の1ページを記すビッグゲームとなるに違いない。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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