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D51を運んだだけで全国区の知名度に。北海道安平町にみる驚きの地方創生戦略

鳥塚亮大井川鐵道代表取締役社長。前えちごトキめき鉄道社長
安平町の道の駅あびらD51ステーションに運び込まれたSLデゴイチ

新千歳空港からほど近い北海道安平(あびら)町は昨年9月6日未明に発生した北海道胆振東部地震で大きな被害が出た地域にある人口約8000人の町。今、震災からの復興計画が少しずつ進んできているところですが、その安平町のシンボルとして4月にオープンした「道の駅あびらD51ステーション」に先日、本物のSLデゴイチが運び込まれました。

街中をトレーラーに載せられたSLデゴイチがゆっくりと運ばれていく様子は各放送局やインターネットニュースで取り上げられて全国放送されましたので、「ああ、デゴイチが運ばれていく。あびら町ってどこだろう。」と思われた方も多いのではないでしょうか。

D51の運搬を伝えるNHKニュース(画面撮影)
D51の運搬を伝えるNHKニュース(画面撮影)

今、日本の田舎は、どうやって自分たちの町を都会の皆様方に知っていただくかということが地方創生の一つのテーマになっています。

そんな中で、デゴイチを運んだだけで全国区に知名度を上げた安平町のリーダーってどんな人なのでしょうか。

オープンした道の駅の取材を兼ねて安平町を訪ねてみました。

今あるものを、上手に利用して、集客のツールにすること

今どき、道の駅なんて全国に数えきれないほどあります。

そのすべての道の駅では地元の皆さんが一生懸命活動していて、特産品を販売したり、地元の産品を使ったお食事を提供したり、考えられる様々な努力をされています。でも、なかなかその活動が全国区になるということは難しいことです。

かといって、30年以上前の竹下政権当時のように大きな設備投資をして立派な施設を作って、「俺たちの町にもこんなすごいものがあるんだぞ。」というような時代でもありません。

日本全国の田舎の町に問われているのは、「今あるものを、どのように上手に利用して、自分たちの地域に人を呼ぶことができるか。」ということであり、地域の人口減少が止められないのであれば、どうやって交流人口を増やすかということが求められていることは明白です。

交流人口を増やすとは地域外からお客様にいらしていただくこと。

工業団地を整備して企業(お客様)を誘致するというのは、やはり20年前ならともかく、今では設備投資に時間もお金もかかりますし、企業そのものが撤退している時代です。かつてのやり方は今では全く通用しないのです。

そんな今の時代に一番即効性があるのが観光客にいらしていただくということで、これなら今日手を打てば来週にだって皆さんにいらしていただくことができるのが今のトレンドでありますから、田舎の町がやらなければならないのは、「今あるものを、上手に使って情報発信をして、都会の皆様に振り向いていただくこと。」なのだと筆者は考えます。

さて、では「今あるもの」とは何か。

これはつまり「地域の宝物」のことですが、実際に地域の皆さんがよく理解されていないのが、自分たちの地域にある宝物です。

都会人の目から見たら素晴らしい宝物があるにもかかわらず、これが地元の人には見えていない。

全国的にそういう田舎がほとんどだと思いますが、これはどういうことかというと、顧客心理が理解できていないということです。

田舎の町にとっての顧客とは、すなわち都会人です。

そのお客様である都会の人たちが、田舎の町に何を求めてやってくるか。

これが顧客心理ですが、田舎の人たちはこの顧客心理が理解できていないから、地域にあるせっかくの宝物に気がつかず、お客様にいらしていただくことができないのです。

D51なんて、掃いて捨てるほどあります。

安平町に限らず、国鉄時代に地域で活躍した蒸気機関車を保存している田舎の町は全国にたくさんあります。

D51という1つの形式だけで170両以上が全国の自治体や学校などに引き取られて保存されていますが、SL廃止から40年以上の年月を経て、正直な話、どこの地域でも持て余し気味で、お荷物になっているところがほとんど。中には解体費用もねん出できず「引き取ってくれる人いませんか?」などというところもあるのが現状です。

これがいわゆる「宝の持ち腐れ」ということになると思いますが、そんな中で、安平町ではその全国の自治体で持て余しているような保存SLを、町がつくった道の駅の看板娘にしようという作戦を立てて、そのD51を駅の西側から東側へわずか数キロメートル運ぶだけで全国にその名をとどろかせてしまうのですから、「今あるものをいかに上手に使って、集客のツールにする」という全国の地域にとって地方創生の課題と言われていることを、いとも簡単にやってしまったということです。

安平町の仕掛け人

道の駅なんて全国どこにでもあります。

D51だって日本全国に捨てるほどあります。

でも、その道の駅とD51を結びつけただけで、NHKをはじめ全国のマスコミが取り上げてくれて、あっという間に全国にその名をとどろかせることができたのが北海道安平町です。

そして、その仕掛け人が彼らです。

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安平町の及川秀一郎町長(右から2人目)と町役場の皆様です。

(左から畑田正宏さん、村上純一さん、及川町長、岡康弘さん)

安平町の鉄道の中心にあるJR北海道の追分駅は、かつては交通の要衝で、駅構内には機関区と呼ばれる機関車の基地が置かれ、夕張地域で産出した石炭を室蘭港まで運び全国に供給する役目がありました。

運ばれた石炭は発電所や工場などで燃料として使われ、その電気や熱を使って鉄鋼をはじめとする多くの製品が製造されました。つまりこの地域は日本の近代化を支えた場所と言っても過言ではありません。

その当時は鉄道の町として大変なにぎわいを見せていたことは筆者も見てきていましたので、4月にやはりこのYAHOOニュースに記事を書かせていただいたのですが、昭和50年代に入るとエネルギー需要の変化で炭鉱が相次いで閉山となり、その後は鉄道会社も国鉄からJRに変わり、だんだんと町の活気が消えていきました。

安平町では、当時の栄えていた町の歴史を後世に伝えることを大きな目的としてこの「道の駅あびらD51ステーション」を企画したのですが、まあ、そこまでなら全国どこにでもある町おこしの一つですね。

でも、安平町の人口は約8000人。日本全国このぐらいの人口の田舎の町役場の企画力や営業力程度では、なかなか全国区になるほどの効果を上げることはできないというのが現状です。

そういう中で、なぜここ安平町がこれほど話題になることができたのか。

筆者は、町おこしの一つの方法としてSLデゴイチを使う真意を及川町長さんに「どうしてここにD51なんですか?」とお伺いしてみました。

すると、町長さんの口から驚きの言葉が出ました。

汽車の汽笛を聞いて育った子供たち

及川町長さんの口からまず出た言葉は、

「お父さんの汽笛なんですよ。」

という意外な言葉でした。

「私の父は国鉄の運転士で、当時官舎に住んでいましたが、その官舎の前を通る時に汽笛を鳴らしてくれたんです。汽笛って不思議ですよね。運転士さんによって微妙に違うんです。だから、父の汽笛はすぐにわかりました。」

及川町長さんのお父さんは国鉄時代の追分で運転士さんをされていらしたのです。

そして、家の前を通る時に汽笛を鳴らしてくれた。

それが子どもの頃の思い出で、自分のふるさとの思い出なんだそうです。

だから、自分が今、この町の町長になったら、町中に汽笛を響かせて、子供たちに汽笛の音を聞かせてあげたい。

そうすることで、安平町の子供たちのふるさとの思い出が汽笛の音色になる。

そうなれば鉄道の町である安平町の歴史を後世に繋いでいくことができる。

これが及川町長さんがお考えになられている安平町の地方創生戦略でした。

観光客にたくさん来てもらって、お金をたくさん使ってもらおう。

もちろんそういう戦略も必要ですが、その戦略の裏には「思い」があって、「町への愛」が必要だと思います。

ふるさと納税で商品券を配るような「とりあえず金になれば何でも良い」という自治体も数ある中で、及川町長の頭の中には、子供の頃の鉄道の思い出がいっぱいあって、その思い出が自分を町長として「この町を何とかしなければ」という活動の原動力になっていらっしゃるんです。

かつての鉄道の町を支える人々

ここ安平町には、かつての鉄道の町のレガシーを支える活動をされている方々がいらっしゃいます。

「安平町追分SL保存会」の方々です。

国鉄時代にあった追分機関区にはSL最晩年の昭和50年にはD51型17両、9600型3両の合計20両のSLが配置されて、石炭列車などの貨物列車や一部の旅客列車に活躍していました。それだけの機関車が配置されていた機関区には約400名もの職員の方々が働いていたのですが、その元職員の皆様方の有志で「安平町追分SL保存会」が結成され、1両の機関車を廃車後43年にわたって保存してきました。

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安平町追分SL保存会事務長の工藤隆男さん(71)です。

手には鉄道の町追分の歴史をまとめた「追分機関区のあゆみ」。貴重な資料が掲載されている自費出版本です。(道の駅の売店で販売中)

今回道の駅の看板娘となったD51320は1115両製造されたD51型の320号機として昭和14年に製造され、新製配置は函館。その後、長万部、小樽築港、追分などで活躍した北海道ゆかりの蒸気機関車で、SL牽引による最終列車が走ったのが昭和50年12月24日。その翌月の昭和51年1月に用途廃止により車籍が抹消され廃車となりました。

その機関車を当時の国鉄OBの皆様方が保存会を結成して今日まで大切に保管してきたのです。

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追分駅裏の鉄道資料館に保管されていた時のD51320です。

この機関車は、保存会の皆様方により、40年以上にわたって月に2回ほどきちんと磨かれ、整備されていますので、全国の公園等にあるような朽ち果てた機関車ではなく、今でも圧縮空気で動く状態で、空気圧で汽笛もなる「本物」です。

保存会の皆様方が長年にわたって地元の幼稚園児や小学生たちに「動く機関車」を見せて、汽笛の音を聞かせる活動をしてきました。

及川町長さんがおっしゃる「お父さんの汽笛の音」を追分の子供たちはSL廃止後もずっと聞いて育ってきているのです。

40年前から保存して汽笛を響かせているということは、その汽笛を聞いて育った追分の子供たちは皆さん30代~40代になられているわけで、これからこの町を支えていく年代の皆様方が、鉄道の町「追分」を実感されていらっしゃるのです。そして、その町に新しくできた道の駅の看板娘がD51なのですから、ここ安平町の戦略は最強だと筆者は考えるのです。

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道の駅に展示されているD51の横には地元の子供たちが描いた絵が展示されています。

この機関車の汽笛を聞いて大きくなった子供たちが、これからの地域を支えていく。地元から巣立って行った人たちも、ふるさとが全国区になることで、自分の生まれ育った安平町を誇りに思ってもらえる。

昨年9月6日の未明に発生した北海道胆振東部地震で不幸にも安平町は大きな被害を受けてしまいました。震災復興も道半ばでこれからの状況ですが、そのためには町を元気にしなければなりません。そして、町を元気にするためにはまずは町民の皆様に元気になっていただかなければならない。

それが、「道の駅あびらD51ステーション」にかける安平町の思いであり戦略なのです。

その戦略を支える人たち

そして、忘れてはならないのがその安平町の戦略を支える人たちの存在です。

町に埋もれている宝物があって、その宝物を大切に守ってきた人たちがいます。

ただ、田舎の町で難しいのはそういう埋もれている宝物をどうやって磨いて、誰の目にも宝物であるかをご理解いただくことです。

追分駅の裏に40年以上眠っていた宝石の原石を、まず発掘すること。そしてそれをきちんと磨いて本物の宝石にすること。

このお手伝いをされてきたのが筆者の友人、永山茂氏が代表を務める北海道鉄道観光資源研究会です。

道の駅でテレビ取材を受ける永山代表(ご本人のFacebookページより)
道の駅でテレビ取材を受ける永山代表(ご本人のFacebookページより)

この道の駅を建設するに当たり、永山さんの北海道鉄道観光資源研究会ではJR北海道から廃車になったキハ183形を譲り受けてD51と時を同じくして道の駅に運び込みました。このキハ183形の譲渡に当たってはクラウドファンディングで多くの有志の皆様方のお力を頂戴して実現したものですが、その全国の有志の皆様方の「思い」が実って、今回、D51と並んで展示されることになったのです。

道の駅で並ぶキハ183とD51。素晴らしい共演シーンです。(永山さんのFacebookページより)
道の駅で並ぶキハ183とD51。素晴らしい共演シーンです。(永山さんのFacebookページより)

「この183形は40代以下の北海道の人にとっては修学旅行に行く時に乗った思い出深い車両です。50代以上はSLですね。つまり、おじいちゃんの世代とお父さんの世代と、そして子供の世代へと、親子3代にわたって鉄道の思い出、鉄道への思いが共有できる場所。それがこの道の駅なんです。そうやって鉄道を次の世代につなげていく。観光資源というからには外への情報発信にとらわれがちですが、まずは地元から、北海道の皆様方に自分たちの持っている宝物に気づいていただきたいと思います。」

と、永山さん。

この「道の駅あびらD51ステーション」には、及川町長さんをはじめとする町役場の皆様方の「思い」と、鉄道を守ってきた国鉄OBの保存会の皆様方の「思い」、そして北海道鉄道観光資源研究会の方々の「思い」、さらにはクラウドファンディングを支えていただいた全国のファンの皆様方の「思い」が基礎になって、その上に各種の戦略があることがはっきりと理解できました。

町起こしというのはただ単に観光客を呼んでお金を稼げばよいというものではありません。

まず自分たちが自分たちの町を愛すること、誇りに思うことなくして活性化などありえないんですね。

今回取材させていただきました皆様方からは、鉄道に対する、安平町に対する強い「思い」があることを感じました。

この後の展望について及川町長さんにお聞きすると、

「広域連携です。安平町だけでなく夕張や南空知地域と鉄道が繋いできたように連携をして行きたい。」

とのことでした。

自分たちの自治体だけのことしか考えていないところが多い中、近隣との連携を念頭に置いていらっしゃる町長さんですが、これは観光戦略に関して言えば実は基本的なことなのです。

なぜなら、観光客はどこまでが安平町で、どこからが夕張市、などということは関係ないからです。

今後、この道の駅を中心に広域でどのような展開ができるか。

今から楽しみです。

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安平町の菜の花畑(2枚とも安平町のホームページより)
安平町の菜の花畑(2枚とも安平町のホームページより)
8月から9月に見られるひまわり畑
8月から9月に見られるひまわり畑

安平町は春は菜の花、夏にはひまわりと、こんなに素晴らしい景色が広がります。

この安平町(追分駅)には新千歳空港への乗換駅南千歳からわずか一駅、16~7分です。

道の駅は追分駅から歩いて10数分の国道沿いにありますから、LCCを使えば東京や大阪から日帰りも可能です。

夢のようなお花畑が今の時代は決してそれほど遠い世界ではありません。

ぜひ皆様、北海道安平町の「道の駅あびらD51ステーション」を訪ねてみてはいかがでしょうか。

道の駅あびらD51ステーションのWebサイト

▼4月20日に筆者が記したニュースはこちらです。

北の国からうれしいニュース 安平町に「D51ステーション」オープン!

※本文中に使用した写真はおことわりがあるものを除きすべて筆者撮影です。

D51の展示の詳細等につきましては上記道の駅のWebサイトにてご確認ください。

大井川鐵道代表取締役社長。前えちごトキめき鉄道社長

1960年生まれ東京都出身。元ブリティッシュエアウエイズ旅客運航部長。2009年に公募で千葉県のいすみ鉄道代表取締役社長に就任。ムーミン列車、昭和の国鉄形ディーゼルカー、訓練費用自己負担による自社養成乗務員運転士の募集、レストラン列車などをプロデュースし、いすみ鉄道を一躍全国区にし、地方創生に貢献。2019年9月、新潟県の第3セクターえちごトキめき鉄道社長、2024年6月、大井川鐵道社長。NPO法人「おいしいローカル線をつくる会」顧問。地元の鉄道を上手に使って観光客を呼び込むなど、地域の皆様方とともに地域全体が浮上する取り組みを進めています。

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