紫式部が詠んだ和歌は、有名な「百人一首」として高校で習っていた?
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関東圏の穴場ずらし旅の愛好家、とらべるじゃーな!です。以前に私塾で古文を教えていた時期があります。古文の世界は、少しかじっておくと、旅行の世界が大きく広がります。
※百人一首は、中学高校の教科書、副教材に採用されていますが、近年履修時間は減っているようです。
特別な月という存在
![八坂神社(京都市東山区)](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/toraberujana/article/01805271/image-1718525555364.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
平安時代、照明器具が発達しておらず、夜は現在よりずっと深い闇に包まれていました。現在は夜の街も明るく、昼と夜はひと続きですが、当時は全く別のものが支配する時間として捉えられていました。
夜間の貴重な光源として、また娯楽が少ない時代の鑑賞対象として、月は大きな意味を持っていました。
現在でも、八坂神社や上賀茂神社、北野天満宮など京都の随所で、9月下旬を中心に「観月会」が開催されています。
紫式部(まひろ)が詠んで、百人一首に採用された和歌
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廻り逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲がくれにし 夜半の月かな
(訳)せっかく久しぶりに逢えたのに、それがあなただと分かるかどうかのわずかな間にあわただしく帰ってしまわれた。まるで雲間にさっと隠れてしまった夜半の月のように。
紫式部(まひろ)が、越前滞在中に詠んだと考えられているこの和歌は、のちに百人一首に採用されました。現代語の感覚でもわかりやすい和歌です。しかし、夜をイメージさせる全体の雰囲気から、恋の歌だと誤解されやすいようです。
![紫式部像(京都府宇治市)](https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/dk/expert-image/toraberujana/article/01805271/image-1718529688862.jpeg?fill=1&fc=fff&exp=10800)
しかし、実際には紫式部本人の和歌への添え書きに、「早くよりわらはともだちに侍りける人の、年頃へて行きあひたる」(幼い頃より友でありました人で、年月を経て再会した方)とあります。
大河ドラマ「光る君へ」では、まひろと、さわ(演 野村麻純)の友情が描かれていたように、紫式部は友情も大切にしていたのでしょう。
廻り逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲がくれにし 夜半の月かな
和歌冒頭の「めぐりあう」は、現代では恋愛のイメージがあるかも知れません。しかし、古語でも現代語でも恋人との再会に限定した意味ではなく、単に長い年月を経て……という意味を持ちます。ここも誤解のポイントかも知れません。
絵葉書のような構造を持つ和歌
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和歌には、絵柄とことばで成り立っている、絵葉書のような構造を持つものが多くあります。
紫式部の和歌も、「雲がくれにし 夜半の月」(現れると雲の影に隠れてしまった月)を絵柄に、親友との短い再会を惜しむ言葉が添えられています。絵柄を利用し、ことば(思い)を印象づけたり、分かりやすくしたりしている訳です。
よくよく考えると、絵柄は単なる比喩ですので、絵柄に流れる時間と、親友と再会した時間は一致している必要はありません。再会は昼間だったのでしょう。ここも誤解のポイントです。
廻り逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲がくれにし 夜半の月かな
和歌は絵葉書(あるいは写メール)に近いものと想定して読むと、旅先で出会った歌碑などを解釈できる率が上がります。和歌の仕組みをかんたんにつかむコツは、下のページが便利です。
百人一首で学ぶ古典の世界 「光る君へ」から古文の授業まで(受験ネット)