光る君へで道長が戦った「鴨川の大洪水」 沈静化した訳をブラタモリが分析していた
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大河ドラマ「光る君へ」(第25話、決意)では、藤原道長が鴨川の洪水(西暦998年)と格闘する様子が描かれました。道長は、この後も幾度となく鴨川の洪水と向き合います。
現在は落ち着き、夏には納涼床で賑わう鴨川。
地形的に見ると扇状地の斜面を南に下るため、市街地を流れる河川としては異例の急こう配を持ちます。そのため、梅雨や台風で増水すると、洪水が起きやすかったのです。
しかし鴨川の洪水は、平安末期にはいったん沈静化します。これはなぜだったのでしょうか?
商店街のナゾの微高地
ブラタモリ京都御所編では、鴨川の西岸にある出町枡形商店街を訪ねています。
よく目を凝らすと、一旦上がって下がる坂を感じます。微高地になっているのです。
実は平安末期に、寒冷化の影響とも考えられる海面の低下があり、川の高度も下がっています。この結果、土砂がたまった部分が取り残され、河岸段丘となったのです。
河岸段丘は堤防代わりになり、秀吉の頃まで鴨川の氾濫は沈静化しました。
なお、平安末期には京都だけでなく、近畿や西日本全域で川が1~1.5m沈下する現象が見られました(植村善博佛教大教授による、資料)。
更なる洪水に悩まされた京都の西側
平安期には二条城周辺に中心があった大内裏(天皇の住まい)ですが、現在は約2キロ東の鴨川寄りに京都御所があります。
天皇の住まいは何度となく変遷していますが、鴨川に近づくことはあっても、京都の西側に天皇が住むことは原則としてありませんでした。これはなぜだったのでしょうか?
ブラタモリ京都御所偏では、その謎を確かめるべく、嵐電で京都の西側へ向かいます。
大内裏を背に南を見ると右手にあるため、右京と呼ばれる地域です。
かつての大内裏の中心から約2キロ右京に分け入った、嵐電山ノ内駅。
周辺には低い位置に民家が並ぶ場所があります。高い位置にある道路は、川を埋めた跡。なぜ川が高い位置にあったのでしょうか?
これは、天井川の跡です。
川底に土砂がつもり、堤防を高くすることをくり返した結果、川面が家の天井の高さを超えてしまいました。右京は洪水が多く人が住みたがらず、田畑だけが広がっていました。
右京は、道長が苦労した左京の鴨川の治水より、さらに洪水が激しい地域だったのです。
鴨川や右京の治水については、ブラタモリが詳しく紹介しました。
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