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樋口尚文の千夜千本 第106夜「ペンタゴン・ペーパーズ」(スティーヴン・スピルバーグ監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。
(写真:Shutterstock/アフロ)

熱く筋肉質な原点回帰

2005年の『宇宙戦争』を終えて以降のスピルバーグ作品は、なんとなく「余生の映画」というふうに映った。それまでにひと通りのやりたいものを撮りおおせて、やり残した素材や手法を気まぐれに試しているような、そんな感じであった。それゆえに『ミュンヘン』も『戦火の馬』も『リンカーン』も『ブリッジ・オブ・スパイ』もそれぞれに興味深いところはあったものの、かつての竹を割ったような面白さとはちょっと違う味わいに変質していったように思う。

しかし、『レディ・プレイヤー1』や『インディ・ジョーンズ5』などの大作の作業がたてこむなか、思い立って短期間で撮りあげたという『ペンタゴン・ペーパーズ / 最高機密文書』は単純さと勢いがものを言った傑作なのだった。ペンタゴン・ペーパーズ報道をめぐる騒動は1971年に起こったことで、これは奇しくもスピルバーグが『刑事コロンボ』の〈構想の死角〉や『激突!』というテレビ映画で監督デビューした年にあたるのだが、どこかその原点に回帰するようなシンプルな密度が本作には感じられた。

ベトナム戦争をめぐる政権の暴走を記した秘密文書をニューヨーク・タイムズが暴いてみせるが、それにより社は出版差し止め命令を受けてしまう。同じ情報源から決定打的な分量の文書を入手したワシントン・ポストだが、ニューヨーク・タイムズの二の舞になることを恐れ、その記事化の賛否について社内は議論で騒然となる。メリル・ストリープ扮するワシントン・ポストの社主と、トム・ハンクス扮する編集主幹のやりとりが、その軸となる。

この映画で面白いのは、こういう政府とマスコミの対立という物語を描く時は、概ね編集部のヘッドと現場記者の対立くらいが題材となって、あまり経営側の視点には言及されないのに(それはひとえに派手な画にならないからだろう)、本作ではメリル・ストリープの経営サイドの立場がけっこうふんだんに描かれていた。現場の記者としては正義の報道を貫くことが最大の使命であり美徳だが、社の経営をあずかる側の人間としては社員とその家族を路頭に迷わせないための清濁併せ呑んだジャッジメントが求められよう。そういえば日本映画でも『クライマーズ・ハイ』などは新聞の書く側、売る側の確執を描き、経営者も登場していたが、やはり地味な話を盛り上げるべくかなり劇画チックな誇張があった。その点、本作はそこも臆さずぐっとオトナの味でひたひたと語ってみせて、メリル・ストリープもトム・ハンクスも、ことのほか抑制的な演技であるのがまたよかった。

実際、本作ではこの企業内での対峙を核として、他社の動向のリサーチ、機密文書の確保と解析、それを報道するか否かの議論…といった映画的にはごくごく地味なシチュエーションのつるべ打ちであるのに、これがまた意外にも間然するところなき面白さに満ちている。その理由は、本作が実に明解な勧善懲悪の構図でできているからだろう。終盤、ラスボスのニクソンの(後ろ姿だが)そっくりさんが山本薩夫監督の政界内幕映画ばりのわかりやすいワルぶりで登場するが、おかげで華々しい見せ場もないのにあらゆるシーンで人物たちは良心と勇気を試されることになって観る者の興味は尽きない。

また、この告発すべきか否かの覚悟の問いかけが、強権への「忖度」で誇りも羞恥もない無法地帯国家になってしまったニッポンの国民には、また格別に沁みるに違いない。ニッポンとは事情が違うが、トランプ以降の米国だからこそ、こういう大文字の「正義」「大義」をめぐる映画を、スピルバーグが短期間でもせっぱつまって撮らないわけにはいかなかった、ということかも知れない。そして、その直截で性急な映画への没入が、本作を筋肉質な傑作にした。それにしても、あの本物ソックリのラストシーンを観て、ホームシアターで『大統領の陰謀』にハシゴする観客もさぞや多いことだろう。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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