味噌カツの元祖は名古屋?それとも…。各地の元祖を訪ねてみた
専門店から喫茶店、居酒屋、惣菜店まで広く普及する名古屋の味噌カツ
名古屋めしの中でも人気が高い味噌カツ。名古屋市内ではトンカツ専門店から定食屋、喫茶店、居酒屋にまで広く浸透しています。トンカツを提供する店ならほぼ100%、味噌かソースを選ぶことができ、味噌串カツも居酒屋や総菜店の定番メニューとなっています。
味噌カツ=名古屋。そんなイメージが定着していますが、愛知県の隣の岐阜県や三重県にも“元祖”といわれる店があります。そのため、“名古屋の味噌カツはパクリ”なんて意見もネットでは散見されます。そんな風評は果たして本当なのか? 味噌カツは一体いつ頃、どこでどのように生まれたのか? ルーツを求めて、元祖、発祥といわれる店を訪ねました。
三重県津市で昭和40年に創業の「カインドコックの家カトレア」
地元の新聞やネットなどでしばしば「元祖」として紹介されているのが、名古屋から約80km離れた三重県津市の「カインドコックの家カトレア」です。メニューには「1965年頃まだ洋食が一般的に親しまれていない頃、日本人に親しまれ愛される洋食メニューをと思い、考案され当店で誕生したのがみそカツです」と書かれ、これが「元祖」とされる理由になっています。
しかし、店主の谷一明さんに聞くとこんな答えが返ってきました。
「元祖とはうたっていませんし、元祖かどうかは分かりません。味噌カツが名古屋めしといわれることも別に何とも思いません」
1940(昭和15)年生まれの谷さんは15歳で洋食の世界へ。当時は洋食は高級料理で、自分の知り合いが食べに来られるようなものではなく、もっと気軽に食べられる洋食をと思い、20歳の時に味噌カツを考案したといいます。しかし、職場の先輩たちには「洋食に味噌は使わない」と相手にしてもらえなかったそう。その後、25歳で独立して、自身の店で晴れて味噌カツをデビューさせたのでした。
愛知県産の三州味噌をブイヨンでのばし、さらっとした口あたりは味噌ダレというよりソースのよう。ひと口目は甘く感じますが、ピリッと引き締まった辛みもあり。名古屋では食べたことがないオリジナルの味わいです。あくまで洋食メニューの中のひとつ、という位置づけながらお客の6割は味噌カツを注文するそうです。
「味噌を洋食の中に採り入れることでひとつの食文化になれば、と考えました。名古屋で味噌カツが食べられているのも文化の発展なのでいいことだと思いますよ」。こう気負いなく語る谷さんからは、自ら考案したメニューに対する誇りと自信が伝わってきます。
ちなみに津市観光協会によると、津市内で味噌カツを目玉として提供する店は他に一店舗くらいしかなく、名古屋では当たり前の味噌串カツを食べる習慣もほとんどないそう。津市観光ガイドブックに「名古屋のイメージの強い味噌かつですが、洋食屋の味噌カツとして1965年にカインドコックの家カトレアで生まれました」と記載していることについては、「名古屋の味噌カツが一般的な味噌カツだと思いますが、カトレアさんの味噌カツもおいしいので地元の人にとっては自慢なんです。津の人はあまりぐいぐい自己主張する気質がないので、せめて味噌カツは発祥の地だと思いたいんです」(同協会・川村暁洋さん)とけなげな胸の内を明かしてくれました。
昭和32年から続く岐阜市「元祖みそかつの店 一楽」
続いて名古屋から約40km北の岐阜県岐阜市。ここにもまさに「元祖みそかつの店」をうたう老舗があります。1957(昭和32)年創業の「一楽」です。
「祖父が創業した当時から味噌カツを出しています」と3代目の山口一徳さん。「元祖」とうたう理由についてはこう語ります。
「発祥かどうかは厳密には分かりません。このへんでは、どての鍋の味噌を串カツにかけたりつけたりして食べる文化は昔からあったようですし、当時は他の店の情報もありませんでしたから。でも、うちの味噌カツは祖父が独学で研究してつくったオリジナル。新しいジャンルだと自信があって『元祖』としたのでしょう」
岐阜は名古屋・愛知と文化的に近しく、ほとんどのエリアで豆味噌(一般的な呼び方は「赤みそ」)が食されます。そのため味噌カツも非常にポピュラーで、「岐阜市だと“トンカツ屋=味噌カツ屋”で、うちの店ではソースで食べる人は1割もいません。周辺の美濃市や関市あたりでも同様だと思います」と山口さん。
味噌は名古屋・盛田の八丁味噌を使用。焦げる寸前の黒に近い色になるまでじっくり火を入れて、香ばしさとコクを出す製法はデミグラスソースを彷彿させます。この味噌ダレのこってりしたコクを活かすため、肉はあえてあっさりしたもも肉を使っています。ごはんがわしわしと進む相性のよさは、たっぷりかかった味噌ダレの魅力があるからこそです。
60年以上の歴史がある同店ですが、店舗の立ち退きで2019年にはいったん休業。翌年5月に旧店舗からほど近い場所に移転して営業を再開しました。また、現店主の一徳さんは20歳から店に立ち、自分の代になってから、中学生の頃まで親しんできた祖父の味にあらためて戻したといいます。深みのあるおいしさの奥には、おじいちゃんが「元祖」と名乗った自慢の味を守り残そうという3代目の心意気が秘められているのでした。
昭和24年開店。名古屋の元祖みそかつ丼の店「味処 叶」
名古屋で「元祖みそかつ丼」と看板に掲げるのが「味処 叶」。名古屋の中心部・栄の細い小路にある小さな店ですが、行列の絶えない人気店です。
「昭和24年に開店した当時は割烹料理が主体でした。味噌カツ丼はランチ限定のメニューとして父が考案しました。戦前、父の祖父が蕎麦屋をやっていて天丼も出していた。子供のころから店を手伝っていた父は、天丼のタレをヒントに、醤油の替わりに味噌を使うことを思いついたと聞いています」と2代目の杉本徳雄さん。
杉本さんが店に立つようになった平成の初め頃から味噌カツ丼の評判が広がり、これを求めて遠方からのお客も目立つように。当時は看板もなかったため、2000年を過ぎた頃に現在の「元祖みそかつ丼」をうたった看板を店先に出すようになったといいます。
味噌は伝統的な天然醸造によってつくられている愛知・豊田市の枡塚味噌。濃い茶色の味噌が衣にたっぷりしみ込んだカツが丼を覆い、一見辛そうに見えますが、優しい甘味があり、さらに半熟卵が口あたりをまろやかにしてくれます。
味噌カツは、戦後の屋台でどて煮の鍋に串カツを浸して食べたのが発祥という説が有力ですが、杉本さんは「味噌カツ丼が先で、その後別盛りの味噌カツになったと思います」と主張します。同店の創業も戦後間もなくですから、味噌串カツが食べられるようになったのとほとんど時期は同じ。和食の天丼をヒントに生まれたという点でも、独自の発想で生まれたことは間違いないでしょう。
大正2年創業・名古屋最古の洋食店「ラク亭」では戦前から(?)
名古屋では他にも古くから味噌カツを出していた、食べていた、という証言は少なくありません。味噌カツのナンバーワンブランドである「矢場とん」は、戦後の屋台でどて鍋に串カツをドボンと浸して食べたのをヒントに1947(昭和22)年の創業時にメニュー化したとHPにうたっています。1945(昭和20)年創業の「気晴亭」(名古屋市中区)は「終戦直後に洋食店として創業し、味噌ダレは当時から継ぎ足して使っているものなので、味噌カツもかなり早い時期から出していたはず。ただいつから、という記録は残っていないんです」(3代目・加藤慎二さん)と語ります。
1913(大正2)年創業の市内最古の洋食店「ラク亭」(名古屋市東区)も「味噌カツは戦前にはあったらしいけど、当時のメニューは残っていません」(3代目の加藤俊之さん・富子さん)といいます。「洋食メニューとしてつくった」という味噌カツは、味噌ダレをかけるのではなく小鉢に別添え。岡崎・カクキューの八丁味噌にザラメと一味を加えてあり、まろやかな甘みと引きしまった辛みがあります。さらにお好みでゴマをすって入れると香ばしく。さらっとしていている上に、好みの量だけカツにつけて食べられるので、カリッと揚げた衣の食感も合わせて楽しめます。
グルメガイドで味噌カツが一般化するのは昭和50年代
筆者が調べた限りでは、名古屋の飲食店のメニューとして味噌カツが紹介されている最も古い記録は1970(昭和45)年発行のガイドブック『名古屋味レーダー』。先の「気晴亭」のとんかつの欄に「お手前(味噌たれで食べる)」と書かれています。この他、1973(昭和48)年発行の『プレイナゴヤ』では「意外に多い味噌料理」の章があるものの、紹介されているのはどてやき、みそおでん、いなまんじゅう(ボラの若魚のいなの腹に味噌をつめた料理)で味噌カツの記載はなし。1976(昭和51)年発行『名古屋の味』ではエスカ地下街の「珍串」の味噌串カツが「ソースを使わず“味噌たれ”を用いているのが珍しい」と記されています。味噌カツがいくつもの店のメニューとして紹介されるようになるのは昭和50年代半ば以降です。
一方でJTBが1991(平成3)年に発行した『名古屋・東海味めぐり』にはこんな一節も。「最初にカツと味噌ダレを組み合わせた独特の味噌カツを生み出したのはもちろん愛知、名古屋である。いつ、誰がといったことは定かではないが昭和10年代前半といわれている」。情報源が定かではないのですが、関係者の証言なり記録なりがあった上での記述だと考えられます。
東海地方特有の豆味噌の特徴が味噌カツを生んだ
このように味噌カツのルーツに関しては、戦前からという記述もあれば、戦後間もなくとの説もあり、決定的な記録は見つかりません。
しかし、確かなのは、味噌カツが生まれた理由が、東海地方特有の豆味噌にあること。豆味噌には、煮込めば煮込むほどおいしくなり、肉類(や魚介)との相性がよく互いのうま味を高め合い、さらに油との乳化性が高い、そんな独特の特長があります。だからこそ煮込んで仕込む味噌ダレがつくられ、豚肉を油で揚げたトンカツとも相性がよく、いわば必然的に味噌カツという料理にたどり着いたと考えられます。
トンカツは明治後期に銀座で生まれ、昭和初期に東京から全国へ急速に広まったといわれます。東海地方でも徐々に食べられるようになる過程で、何人もの料理人が慣れ親しんでいる豆味噌との相性のよさに気づき、トンカツに味噌を組み合わせる調理法を開発した、と考えるのが最も無理がないのではないでしょうか。
冒頭でも書いたように、「三重(岐阜)に元祖の店があるから名古屋の味噌カツはパクリ」という書き込みがネットでしばしば見られます。しかし、それらの店より早くから味噌カツを出していたと考えられる店が名古屋にはいくつもあります。また、三重や岐阜の当該の店も“我こそが元祖・発祥だ”と主張しているわけではありません。しかも、味噌カツの発祥を断定できる確たる資料も今のところ見当たりません。そんな状況からすると、“名古屋の味噌カツ=パクリ”説はいささか乱暴すぎるといわざるをえません。
それよりも揺るぎない事実は、名古屋をはじめとする愛知県、そして三重県、岐阜県は、全国に類をみない豆味噌食文化圏同士であること。お互いの味噌カツのおいしさを認め合いつつ、食べ歩き、食べ比べを楽しみたいものです。
(写真撮影/すべて筆者)