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「統一教会と日本」そもそも論 韓国の教団はなぜ日本を好み、どう自民党に食い込んだのか?

(写真:Lee Jae-Won/アフロ)

統一教会と自民党。

安倍晋三氏銃殺事件以降、この関係性が大きな話題となっている。山上徹也容疑者の犯行動機に最も近づくのはまずは「カネの流れ」だろう。

いっぽう、ここではその関係性の理解のために「根本的な話」の紹介を。

「なぜ韓国発祥の統一教会が日本を好んできたのか」

そして

「新興宗教がどう自民党に食い込んだのか」

これらが韓国の文献ではどう記されているのか。

教祖と日本、10代からの縁

日本は統一教会信者が世界でもっとも多い国だ。教団発表の資料では日本の信者は「10万人」、日本のメディアでは「30万人」と報じるメディアもある。

これは教団側が日本を「好んだ」から。1954年に韓国で設立された団体の宣教先として重要視された結果でもある。

「最大の信者数」にして「最初の宣教の国」が日本なのだ。

なぜ日本を好んだのか。

もともとは初代教祖にとっての「勝手知ったる国」だった。

1954年に教団を設立した初代文鮮明総裁(1920ー2012年)と日本との縁は、本人の10代後半に遡る。日本統治下の朝鮮半島北部で生まれた後、19歳の頃に早稲田大学系列の工業高校に留学。そのまま同校を卒業している。

もともと文氏の日本との関係は良好ではなかった。留学生時代の東京にあって、抗日地下運動に参加、日本の当局から拷問を受けた。日本を離れた後、京城(現在のソウル)の日本系建設会社の現地支店に就職したが、留学時代に抗日運動参加が発覚したことで逮捕されたりもした。

しかし、それでも日本を恨まなかった。

その点もまた「伝説」になっている。2013年の教団「日本宣教55周年記念行事」での日本側の高位関係者のスピーチでこんな話が語られている。

「むしろ1945年8月15日の後、韓国に居住していた日本の憲兵を尋ね、家族とともに日本に無事に帰国できるように助け、その内容が日本人たちを感動させました」

文鮮明氏(1983年)
文鮮明氏(1983年)写真:Fujifotos/アフロ

当初から「政治的つながり」も重要ポイントだった

そんな日本が1954年の教団設立後は、むしろ布教活動においてメリットの大きい国となる。

韓国から近く、人口が多く、経済力がある。こうした分かりやすい点のみならず、入り込みやすい事情があった。

「自ら設立した政治団体を活用しやすい国」

「共産主義の脅威を共有しやすい国」

前出の2013年教団日本宣教55周年を、同じ保守系メディアとして当時は好意的にレポートした「中央時事マガジン(韓国)」にはこんな記述がある。

日本と統一教の縁のはじまりは半世紀に遡る。文鮮明総裁が日本に宣教師を派遣したのは韓国で世界キリスト教統一心霊協会を設立した4年後の1958年。韓国と日本は国交も結んでいなかった頃だ。文総裁が日本を海外の最初の宣教国に定めたことについて、統一教関係者はこう説明する。

「文総裁は日本への宣教についてまずは日本を救い、次に韓国を救うためだと強調した。当時は世界の国々がひとつ、ふたつと共産化しており、もし日本が共産化したり、融共(共産主義と融和する)の立場に立つことになれば、韓国が危機に処することになると予想される。それゆえ、共産主義を壊すことのできる新しい思想を装備させ、日本に(宣教の人材を)送った。もちろん、統一教会の未来のためのであるという側面もある。文総裁は韓国をアダムの国、日本をイブの国と見立て、どの国よりもまず統一原理を伝えることとなった。日本が経済的な面でも世界の宣教活動の拡大のために先導的な役割を果たすと期待したからだ」

こういった背景のみならず、「韓国での厳しい立場」という背景もあった。統一教会系の韓国スポーツ紙「スポーツワールド」2012年9月9日の記事より。

「統一教の(日本での)宣教は1960年以降1980年まで、目に見えて勢いに乗った。反面、既存の教会の反発も強くなった。国内のプロテスタント教会の立場からすると統一教会は異端の対象として『身内での取締り』を行い、カトリックも統一教徒に対して真意であれ、悪意であれ接触自体を許可しなかった」

海外に活路を見出す、という面もあったのだ。

1988年の合同結婚式の様子
1988年の合同結婚式の様子写真:Fujifotos/アフロ

「勝共連合」とは?

では実際に教団は日本にあって自民党にどう入り込んでいったのか。引き続き、韓国側の資料から。

安倍氏の死後、7月17日に現地メディア「時事ジャーナル」が「文鮮明語録『安倍会派13人だったが私が88人にまで育てた』」という記事を掲載。

こういった内容が記されている。

統一教会が正式に日本で設立されたのは1959年。韓国での創立から5年後のことだった。その後、1968年1月に韓国に国際勝共連盟が設立され、4月に日本国際勝共連盟が設立された。この時、安倍首相の母方の祖父、岸信介元首相が団体に加わった。当時、岸は政治家であり、社会事業家であり、起業家の笹川亮一から文鮮明を紹介され親密な関係となった。岸と笹川は共にA級戦犯であり、反共産主義のモットーを持つ右翼政治家であった。この縁により同じ価値観を持つ文鮮明教祖と意気投合した。

「勝共連合」とは文氏が作った「反共」より強い概念を基に勉強会や講演会をやり、そして街中でデモや集会を繰り広げる組織。韓国では全盛期だった1975年にはソウル市内汝矣島での集会に100万人規模が集まるなど大きな盛り上がりを見せた。文氏の演説に群衆が旗を振って応じ、ときに共産圏の政治家の大型の人形を焼き払うなど過激な一面もあった。文氏には朝鮮戦争下の韓国にあって、新興宗教を普及しようとしているとして北朝鮮側に囚えられ、拷問を受けた経験があった。

また、団体は時の朴正煕政権との繋がりも強く、功労者が韓国政府から賞を与えられたりもしている。いっぽう、1987年には教団内の別組織と統合された。

教団は日本での宣教活動でこの組織を活用しようとしていたことは明らかだ。当時、日本の統一教会宗教法人会長と日本国際勝共連合の日本支部長は兼任(久保木修己氏)だったのだ。

信者に「3年半、死んでも朝鮮大学の前でデモを続けろ」 

ではなぜ、これが自民党側にも「受け入れられた」のか。韓国のキリスト教系メディア「CBS」は2017年に東京で取材を行い、統一教会の問題に取り組んできた山口広弁護士のコメントを紹介している。

「(当時)保守政界の応援部隊として動く人がほとんどいなかった。その意味では、応援部隊として若い統一教会信者たちが、真面目に、言いなりになって動くということはとっても利用価値が高かったのです

忠誠心が高い。頑張ってくれる。

これは韓国語による資料でも見つけられるポイントだ。しかも教団自らの資料にて。

韓国内の統一教会支部がYouTube上で文鮮明氏、韓鶴子氏の歩みを記した「人生路程」という本を朗読しているチャンネルがある。そのうち同著109巻231ページのこんなくだりが読み上げられている。

(1960年代に)日本では、勝共講義をできる(人材を)理論武装をさせ、そして街頭に送りました。共産党がうようよといる場所に送ったのです。そして(朝鮮総連系の)朝鮮大学前にも。大胆な性格の女性を理論武装させ『おまえはこれから3年半ずっと死ぬ覚悟で朝鮮大学の前で勝共講義をやらないといけない! 銃に撃たれて死んだり、トラックに轢かれたりするなど、おまえが行く道に死は間違いなく存在する。それでも行け!』と命令したのです。逸話が多いです。逸話が多いですね。そうこうしているうちに、朝鮮大学は日本の外務省を使って我々に圧力をかけてこようとしました。しかし私たちは絶え間なく命をかけて闘争してきました。そうしながら、街頭や東京駅など、全国の有名な街頭で共産党と積極的な闘争を繰り広げたのです」

教団側の強い指示が「逸話」とされているのだ。

自民党もこの組織を活用したことにより、統一教会は日本での地盤を築いた。韓国側でもそう見られている。前出の「時事ジャーナル」はこう続けている。

岸や笹川などの右翼政治家のおかげで、統一教会は日本に無事に定住し、他の政治家との関係を円滑に拡大することができた。このように、日本の統一教会の発展を惜しみなく助けたのは岸信介元首相だった。1974年5月と1976年12月に東京で開催された文鮮明の講演「希望の日の晩餐会」は、岸が2回とも名誉会長として支援した。岸元首相は、1984年に統一教会が開催した「世界ジャーナリスト会議」の議長を務め、文鮮明とも対談した。

安倍晋三氏の祖父 岸信介元首相
安倍晋三氏の祖父 岸信介元首相写真:Fujifotos/アフロ

同メディアはこの他にも、安倍氏の祖父岸氏と教団が近くなった縁についてこう記している。

このほかにも、岸の邸宅と統一教本部が近くにあったため、岸が頻繁に訪れたという記録も日本の世界日報に残っている。このようなかたちで岸は1987年に亡くなるまで統一教会と密接な関係を保ったと言われている。

1980年代の「霊感商法の問題化」を「竹下登政権の誕生による」と…

教団の初代総裁文鮮明氏にとっての日本は、当初は「勝手知ったる国」だった。その後は「自らの政治組織が活用できる国」に。国外に活動の場を求める背景には、国内キリスト教界からの厳しい反発もあった。

いっぽう日本では、「忠誠心の高い信者」の存在が自民党保守系政治家の「応援実働部隊がいない」というニーズとはまり、距離が近くなっていった。

これらの話は決して「隠されていたもの」だったりとか、「韓国側の思い込み」というわけでもない。日本側の公式発言にも出てくる話だ。国会会議録検索システム上で「勝共連合」と検索すれば、古くは昭和45年(1970年)から308回もの言及がある。

いっぽう韓国側の見方では「統一教会が日本で優遇された時代は1970年代で終わった」とも見られている。

前出の「中央時事マガジン(韓国)」の2013年の記事は、1980年代に日本で教団の霊感商法が問題視された点について「教会の拡大が心配されながらも、一時は友好的だった日本政府と社会が、1980年代の竹下登政権から再び反統一教会の雰囲気に転じている」とした。

そして「教団として状況は悪いのだが、宗教は迫害が厳しいほどに発展する」とも。

吉崎エイジーニョ ニュースコラム&ノンフィクション。専門は「朝鮮半島地域研究」。よって時事問題からK-POP、スポーツまで幅広く書きます。大阪外大(現阪大外国語学部)地域文化学科朝鮮語専攻卒。20代より日韓両国の媒体で「日韓サッカーニュースコラム」を執筆。「どのジャンルよりも正面衝突する日韓関係」を見てきました。サッカー専門のつもりが人生ままならず。ペンネームはそのままでやっています。本名英治。「Yahoo! 個人」月間MVAを2度受賞。北九州市小倉北区出身。仕事ご依頼はXのDMまでお願いいたします。

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