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障害者殺傷事件の植松聖死刑囚の再審請求棄却と最近書かれた獄中手記の中身

篠田博之月刊『創』編集長
植松聖死刑囚がノートに描いた短編マンガ(筆者撮影)

再審請求を裁判所が棄却、24日に即時抗告

 4月18日、相模原事件の植松聖死刑囚の再審請求に対して横浜地裁が棄却を決定した。弁護人は24日に即時抗告した。これが24日に一斉に報道されると、私のところにもテレビ局などから問い合わせの電話が何件も寄せられた。再審請求の件を含めて、月刊『創』(つくる)が植松死刑囚と接触していることは、関係者の間で知られているからだ。

 2022年4月に彼が再審請求を起こしたことは一斉に報じられたが、今回の棄却決定でその動きは次のステップに移行した。この間の経緯と、いま彼がどういう状況に置かれているかについては後述するが、その前に彼の近況をお伝えしよう。

現在の津久井やまゆり園(筆者撮影)
現在の津久井やまゆり園(筆者撮影)

 既に知られているように、死刑確定者とは家族と弁護人以外、基本的に接見が禁止されている。面会はもちろん、手紙のやりとりもできない。だから死刑囚の状況が外部に伝わる機会はあまりない。私はかつて、埼玉連続幼女殺害事件の宮﨑勤死刑囚(既に執行)とも、執行直前までやりとりを続けていたし、他の死刑囚の手記も月刊『創』(つくる)に何度も掲載している。

 それはもちろん簡単ではないのだが、死刑確定者がどういう状況に置かれて何を考えているかは、死刑問題を考えるうえで本当はもっと開示されなければならない情報だ。特にこの相模原事件は、裁判が被告の責任能力の有無に終始し、事件の真相が明らかになっていない。植松死刑囚が津久井やまゆり園で障害者にどのように接し、その中であのような考え方に至ったのはなぜなのか。そこが事件解明のポイントなのだが、それはほとんど解明されていない。

2020年横浜地裁で行われた裁判は…(筆者撮影)
2020年横浜地裁で行われた裁判は…(筆者撮影)

 そのことは彼の再審請求とも関わっているのだが、まずは彼の近況だ。植松死刑囚は刑確定後、それまで伸ばしたまま後ろで結んでいた髪をばっさり切り、その後あごひげを蓄えていたのだが、今はひげも剃ってしまっている。心境の変化によるものかと思ったが、本人によると、ひげを意識的にはやしたわけでなく、たまたまそらなかっただけという。今は週3回の入浴時に、電気カミソリできれいにそっているそうだ。

 死刑確定後、処遇はどう変わり、どんな生活を送っているのか。彼の説明をお伝えする。

改めて獄中で観た『こんな夜更けにバナナかよ』

《いま生活している居室は一日中電気がついています。寝る時は明るすぎるので布団をかぶることがあります。

 朝5時くらいに目を覚ますこともあり、そんな時はマンガを描くこともあります。朝7時くらいになり眠くなれば、そのまま一眠りして、点呼の時に目を覚まし、朝食をとります。1日に30分ほど運動の時間がありますが、自分はほとんど運動に出ることはありません。夜は9時に消灯(減灯)になります。》

 死刑が確定すると、外部と接触できなくなるのは多くの死刑囚にとって苦痛なのだが、代わりに便宜も図られる。居室にモニターが持ち込まれ、ビデオなどを観ることが特別に許可される。宮﨑勤元死刑囚は周知の通り、逮捕前に自室に大量のビデオを集めていたのだが、死刑確定と引き換えに再びアニメを観ることができるようになった。最初に見たのは『天空の城ラピュタ』だった。植松死刑囚の場合は、何と『こんな夜更けにバナナかよ』を改めて観たという。

《死刑が確定してから処遇が変わった点は幾つかありますが、映画やライブなどのビデオをリストから選んで視聴できるようになったのは大きいと思います。

 ビデオの視聴は毎週木曜日の午前中。月に4回見ることができます。そのつど、居室にモニターが運び込まれます。最近は、ワイヤレスのヘッドフォンが付いてきますが、これは自分が以前持っていたヘッドフォンより上質なもので、感心しました。ワイヤレスはコードがないので、自殺予防になるという配慮かもしれません。

 先日、障害者を題材にした『こんな夜更けにバナナかよ』を観ました。原作も読んでますが、やはり善人が損をするのは不健全でしょう。いい人役の三浦春馬さんも自殺していますしね。迷惑をかけて生き続けることに、価値があるとは思いません。》

 《3年ほど前のM1の録画を見る機会があり、ミルクボーイが優勝した時ですが、これは面白かった。最近はM1の録画がリストに載らなくなってしまいました。

 漫才では、かまいたちの出演したものが良かったですね。松本人志さんのコメントも良かった(きつい突っ込みはいらんと思いますが)。パックンや厚切りジェイソンが、英語で漫才の面白さを世界に発信したら、もっと漫才が受けるのではないかと思います。漫才の日本語は伝わりにくいのかもしれません。》

 新聞やラジオなどマスメディアにはどの程度接しているのだろうか。

《新聞は毎日、読売新聞が入るので、興味のある記事を読んでいます。小西洋之参院議員の「サル発言」は、ある意味当然で、サルと言われて怒る方がおかしい。新聞でも社説で、サル発言を攻撃しているのは、おかしい。そもそも匿名の社説で批判するのはおかしくないでしょうか。名前を出して意見を言えばよいと思います。

 ラジオは居室内のスピーカーから毎日流れてきます。毎日3~4時間。NHKラジオをずっと聞いていましたが、民放のラジオが流れることもあり、途中でコマーシャルが入るのにイラっとすることもあります。体に良くないものを無理やり買わせようとするような内容のコマーシャルはよくないし、佐々木朗希はいい選手ですが、ロッテの製品を宣伝するのはよろしくないと思います。》

コロナのおかげで所内の待遇が改善された

 健康状態はどうなのか。

《健康面での出来事といえば、コロナに感染したことでしょうか。重症にはならずにすみました。

 コロナのおかげで所内の待遇が改善された面があります。まず、風呂は週2回から週3回になりました。また、昼間、これまでも横臥はできましたが、今は敷布団を敷いてその上に横になって午睡を取ることもできるようになりました。

 刑事施設というところは、コスト感覚がないのか、体温計も新しいのが入ったり、扇風機も買い替えたり、予算や経費の無駄遣いが目に付きます。

 また、別の例ですが、ゼンザイがでたときに、どういうわけか砂糖ではなく間違って塩が配られたことがあって、施設では、その塩入りのゼンザイを食べてはいけないという指示が出たことがありました。自分は、変わった味だけれどと思いながら残さずに食べましたが、ほかの収容者は指示に従って食べなかったようです。

 なんでそんなことまで指示に従うのか理解しにくいです。職員の指示も、食べるなではなく、食べなくても良い、残しても良いという指示をすべきではないでしょうか。自律とか自主性を涵養すると言いながら、こんなときに行動指示を徹底させるようなことは、おかしいと思います。

 犯罪をして社会に歯向かった連中が、そんな変な指示に疑問も持たずに従うのは、理解できません。収容者でも、凶悪犯とか性犯罪者とかは別としても、いかにも気の弱そうな窃盗犯などは、いわば環境犯罪者と言うべき人たちで、反社会性が強いわけではない。そういう「弱者」を社会人にするために人間として処遇するのが刑務所(矯正施設)ではないのか。そう思うと、刑務所という世界も歪んでいると思います。》

 今の社会について、また昨年の安倍元首相銃撃事件についての感想は?

《是枝監督が『PLAN75』について発言したり(注:NHK『クローズアップ現代』で相模原事件に言及しながら発言したことを指しているらしい。『創』でそれを紹介したのでそれを読んだのかもしれない)、『ロストケア』なども識者が発言してくれるのではと期待していましたが、福祉系の大学教授が「幸せな介護」などと発言したり、正義の心が見えないような状況になっています。》

《昨年の安倍さんの銃撃事件について『創』編集部が感想を聞きたがっていたようですが、安倍さんの悪口をみんな(森達也さんも篠田さんも)言いすぎる。あんまり悪く言うので、ああいう事件が起きてしまったのではないか。安倍さんも昭恵さんも、人柄の良いひとではないかと思います。》

「正義の心が見えない状況」というのは、日本社会に対する植松死刑囚なりの表現で、その状況と自分の再審請求の狙いとも絡めて考えているようなので、ここはもっと突き詰めて聞きたいところだが、未決囚の時期のように何度も本人に尋ねていけるような状況ではない。これまで植松死刑囚が語ったことや書いたことは弊社刊『開けられたパンドラの箱』や『パンドラの箱は閉じられたのか』に収録してあるが、これらをまとめた当時は、曖昧な表現については正確性を期すために本人に確認を重ねたりしていた。死刑確定後はそういう環境でないことが残念だ。

植松死刑囚がつづった獄中手記の中身

 前述したように、植松死刑囚からは昨年来、彼の考えをつづった手記やノートなどが寄せられているのだが、最近受け取ったものから内容をある程度紹介しよう。

植松聖死刑囚から届いた獄中手記(筆者撮影)
植松聖死刑囚から届いた獄中手記(筆者撮影)

 植松死刑囚は未決の頃から、自分の考えをびっしり書き込んだノートを送ってきたりしていたのだが、そうした記述は、話を聞くよりわかりにくいことが少なくない。自分の頭に浮かんだことを書き連ねていくのだが、途中で引用している文献も原典にあたると100%正確な引用ではないこともある。ここでは最近の彼の手記から抜粋して引用、紹介しておこう。読んだ人は、この記述の前後の文脈はどうなっているのかと思うだろうが、その前後の文脈が必ずしも明らかでないケースも少なくない。

《残念ですが「諦める」とは「明らかに見る」ということです。日本人は、死を考えずに死を封じ込めようとしました。賢いはずの日本人の行為としては最大の愚行、幼児性の表れといえるかもしれません――》

《“友人がいちばん”とは思いませんけど、本音で話すのは大切ですよね。「遊び」は心のぶつけ合いなので、高度なコミュニケーションが求められます。私はバイクや車で走り廻りましたし、電車代はほとんど払っていません……。イギリスでは実施されていますが、交通機関を無料にすれば渋滞や排気汚染を解決できるはずです。自分自身が被害者であり、加害者であることを認識すれば、解決の糸口が見つかると思います。人間がこれから『不老不死』になるなら、もっと大切に、キレイに使うべきです。

 私は、権力者を倒すつもりはないのです。はっきりいって勝ち目がありません。しかし、このままでは地球が壊れてしまいます。新しい資本主義というのは、「価格競争」から「品質競争」へ移すことではないでしょうか。楽しく働ける環境が生産性を上げて、持続可能な社会につながると考えております。(幸福度の高い社員は、想像力が3倍、生産性が31パーセント上昇する)。》

《安楽死は、人生を捨てるのではなく、楽しむためのルールです。宗教は“人を殺してはいけない”と記されています。理性と良心のない犯罪者や、自己意識のない胎児には当てはまりません。原則として、堕胎はいけないことです。しかし、現実の場合では、その教えだけが適用されるわけではありません。経済的な理由や母胎が危ない場合、障害をもっていると判る場合もそうです。かけがえのない命を、簡単に断念することはできません。入水や焼身自殺は確実に極楽往生できる方法として広くおこなわれていました。葬式勘定ばかりだから、今の仏教はおかしいのです。》

短編マンガを描いた獄中ノート

 最近驚いたのは、植松死刑囚が描いて届けてきたマンガだ。彼は母親がプロのマンガ家で、その影響からか以前からイラストなどを得意としてきたのだが、獄中で時間があるためかかなりのイラストやマンガを描いてきた。死刑判決が確定し、横浜拘置支所から東京拘置所に移送になる前に、彼は手もとにあった書籍などを私に依頼して宅下げしたのだが、その中にはデッサンの描き方を勉強するような本もあった。

 最近のマンガは届いたものの中から選んで『創』6月号(5月8日発売)に掲載したが、まず驚いたのは、スキルが一段と上がっていることだ。以前、彼が描いたマンガは『開けられたパンドラの箱』に収録したが、比べてみるとわかるが、表現スキルが上がっただけでなく、それを通じて何を描くかというテーマ、内容も自覚的になっている。その意味で今回掲載した彼のマンガは、彼の心情を示すものとして興味深い。

 どんなものか示すために、彼が獄中ノートに書いたマンガのそのページの写真をこの記事の冒頭に掲げた。片方のページに吹き出しを含む絵を、そして対抗ページにその吹き出しのセリフを書いていく。それを編集部で合体させてマンガを仕上げていってほしいというのだった。

 なぜ植松死刑囚にアプローチしているかについては、これまでも説明したが、2016年に起きた相模原障害者殺傷事件があまりにも衝撃だったにもかかわらず、真相がきちんと解明されていないからだ。障害者差別の問題や障害者施設のあり方など、これまで指摘されてきた多くの深刻な問題をこの事件は日本社会に突き付けたといえる。

 一番大きな問題は、障害者を支援する立場だった者が、支援活動を続ける中で、重度障害者を殺戮するという、そんな恐ろしい考えになぜ変わってしまったのかということだ。しかし、前述したように2020年の1審の裁判は、裁判員裁判ゆえに論点を絞って迅速化せねばならないという事情もあって、植松死刑囚の刑事責任能力の有無、つまり彼を死刑にできるか否かという問題に争点が絞られてしまった。犯罪者をどう裁くかというのは裁判の大きな目的だから仕方ないとはいえ、いったいなにゆえに植松死刑囚はそういう考えに至ったのかという解明、この社会にとってとても大事なそのことは不十分な結果となった。

 裁判では植松死刑囚や津久井やまゆり園の障害者支援の在り方が断片的に明らかにされたのだが、ちょうど裁判が始まるのと時期を同じくして神奈川県の検証委員会が動き出し、施設のあり方や障害者支援の実態への掘り下げが始まった。困難な課題ゆえに、解明の動きが進み出したのは裁判が始まった時期となったわけだ。さらにその後、やまゆり園職員の内部告発もあって、植松死刑囚の職員時代の活動記録なども公になった。本誌は、『こんな夜更けにバナナかよ』の著者である渡辺一史さんらと協力して、そうしたやまゆり園の内部情報も明らかにしてきた(例えば2021年8月号「内部資料が明かす植松死刑囚と津久井やまゆり園の支援の実態」など)。

 また未決囚の時期に植松死刑囚に数十回にわたる接見を繰り返し、事件の起こる1年前、2015年夏頃、植松死刑囚が津久井やまゆり園から転職しようと準備していたことや、その過程で障害者支援の現状に疑問を抱くようになった経緯などを探ってきた。

 植松死刑囚は事件を起こす約1年前から急速にあのような考え方に傾いていくのだが、それが何をきっかけにし、どういうことが重なってそうなっていったのか。このあたりは詳細に検証する必要があるのだが、ほとんどなされていない。控訴審が開かれていればもう少し踏み込むこともできたかもしれないのだが、1審の死刑判決を受けた時、植松死刑囚はこれ以上争っても結果は同じだと、自ら控訴を取り下げてしまった。

本人が考えた再審請求の目的とは…

 植松死刑囚が自ら控訴を取り下げながら、裁判のやり直しを求める再審請求を昨年4月に起こしたことは驚きをもって受け取められた。その後、彼の情報が入るようになっていろいろなことがわかった。

 彼は弁護士の手を借りずに自分で再審請求を行い、その後も書面を裁判所に送るなどしているのだが、実はその一方で、2020年に彼が控訴取り下げを行った直後の4月に1審弁護団が行った控訴取り下げ無効申し立ての審理が続いていた。弁護団は独自の判断で取り下げ無効申し立てを行ったため、植松死刑囚本人はそれを知らなかった。2022年5月頃、それを棄却する決定が高裁から送られた。1審弁護団はすぐに特別抗告を行ったようなのだが、12月に最高裁からそれも棄却決定が出された。

 ややこしいのは昨年12月まで、本人が行った再審請求と、1審弁護団が行った控訴取り下げ無効申し立てが並行して裁判所になされていたことだ。その結果何が起きたかといえば、再審請求に関わった代理人弁護士が公判記録を閲覧できないなど、再審請求への手続きが遅れたのだった。

 2023年になってそれは一気に動き出したようで、再審請求の弁護人は、裁判所から求められた文書提出期限を、事情を説明して延ばしてもらおうとしたところ、裁判所がそれを認めなかった。どうやら裁判所は、早期に決着を図りたいという意向らしい。

 もともと植松死刑囚は一度控訴を取り下げているから執行も早いのではないかと言われている。真相が十分解明されないまま決着がなされてしまうのは、あの事件の深刻さを考えれば残念というほかない。

 ちなみに、いったいどうして植松死刑囚は控訴を取り下げながら再審請求を起こしたのか。多くの人が理解できないに違いない。本人の説明によると、自分が問題提起した事柄について、確定判決では裁判所の判断が示されていない、ということのようだ。裁判がほとんど責任能力の有無を争うことになってしまい、自分の問題提起に裁判所が判断を示していない。彼はそれに不満を感じた、ということらしい。

 事態はこれからどう動いていくのだろうか。あの凄惨な事件の真相解明が少しでも進むような方向に動いてくれることを望むしかない。

 相模原事件と植松死刑囚をめぐっては、ほかにもいろいろ伝えたいことがあるが、今回はここまでにして、いずれ改めて触れることにしよう。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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