労働・雇用リテラシーやキャリア・ライフ・リテラシーが教えられるべきだ!
教育は本来、時代にふさわしい「勤労者としての能力(知力)」「市民力としての能力(治力)」「個人として能力(創造力)」を獲得することを助けるものである(注1)。
ところが、教育社会学者である本田由紀氏が指摘する日本の「戦後日本型循環モデル」(『もじれる社会』 p67)においては、「家族」、「教育」、「企業」のその各々のドメイン(領域)が、アウトプットを次のドメインに送り込むことはしても、アウトプットされたものが次のドメインで有効に機能するための十分準備を前のドメインでするようにはならなかったのである。これは、日本の従来の教育・労働は、ある意味では、個々のドメインは、つながっているようで、実は独立していたからである。そして、そのつながりと独立は、新卒一括採用と終身雇用・年功序列の日本型雇用とフィットしたのである。
より具体的にいえば、たとえば、大学などの教育機関は職業的意義・仕事のスキルやライフ・イベントなどに関して必ずしも教えることをせず、企業が新卒者の教育の責任をもつ仕組みだったのである。
その結果、社会に出てからも、勤労者は、労働・雇用の意味や権利などもわからなかったのである。また特に女性の場合には、仕事ばかりではなく、「女性は出産適齢期があるとか、子どもがほしいなら何歳までに産まないとか、生んだ先のこととか、そういうことは教えてくれない。本当のことは自分が社会に出て出産してから気づくわけじゃん」(注2)というようなことも起きたのである。
また、社会的および個人的に勤労者の権利意識が弱い結果として、次のような状況も生まれた。
「日本では、労働時間の正確な記録をとることと、およびその記録を規制機関が監査することが必要とされていない。日本の労働基準法の査察官を対象にした調査によると、大多数の査察官が『企業が社員の労働時間を正確に記録することを規定し、違反する企業に対する罰金を強化することが、過剰な労働時間に制限をかける最前の方法である』としている」(注3)。この指摘は、査察官の立場からのものであることを留意する必要があるが、注目に値する。
今後より個々の生き方が多様化していけばいくほど、個々人が自分や家族で自己を守っていく必要が高まっていくことになる。このことは、拙記事「これからの働き方には2つの『マネジメント』が必要になる!」や「『新しい働き方』における自律力(セルフ・マネジメント)とは?」でも論じた「自律力(セルフ・マネジメント)」の問題にも結び付いていくことになる。
以上のようなことから、最終的には個人の選択の問題ではあるが、個々人は、社会に出る前に、狭義のキャリア教育を超えて、労働の意味や権利を学ぶ機会を提供されると共に、若いうち(就職前)に(少なくとも女性だが、男女共に)、出産・育児、仕事、生活に関する情報や体験も持てるようにしていくことが必要であると考えられる(注4)。
その意味で、教育においても今後、労働・雇用やキャリアさらに人生・生活(ライフ)に関するリテラシーを身に付けられるようにしていくべきであるといえよう。
(注1)『シチズン・リテラシー…社会をよりよくするために私たちのできること』鈴木崇弘ら p32~参照
(注2)『「育休世代」のジレンマ』中野円佳 p287
(注3)『日本企業の社員は、なぜこんなにもモチベーションが低いのか?』ロッシェル・カップ p122
(注4)子どもの貧困を専門とする阿部彩氏は、次のように指摘している(『子供の貧困2-解決策を考える』 p213)。
「今の子どもたちはまったく無防備な状況で労働市場に投げ込まれているといわざるを得ない。労働法や社会保障制度などについて、自分の身を守る最低限の知識を学校教育な中で徹底的させることが不可欠である。」そして、具体的な知識や力として、「どのような場合に自分の権利が侵害されているのかを認知するための知識」「問題が起こった時に、どのように対処すればよいかの知識」「このような知識をアクションへと移す『生きる力』」を指摘している。