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旧日本軍人の位牌を祭った女性が身柄拘束。歪んだ愛国主義の高まりか?

宮崎紀秀ジャーナリスト
南京の寺に祭られていたとされる位牌(中国のSNSより)

 中国・南京にある寺院に、日中戦争の際におきた南京事件に関与したとされる旧日本軍の軍人の位牌が祭られていた。それがネットで暴露され大炎上。供養を依頼した中国人女性が糾弾され、警察に身柄拘束された。これは中国的な正義の制裁か、歪んだ愛国主義の発露なのか。

位牌を祭ったのは一体何者?

 その寺院とは南京の玄奘寺。南京は、日中戦争の期間中の1937年12月、旧日本軍が市民らを殺傷したとされる南京事件で知られる。南京事件については被害者数や事実そのものに関して諸説あり、日中間の見解の相違は大きいが、中国では“南京大虐殺”と呼ばれ、中国が侵略を受けた恥辱の歴史と旧日本軍による蛮行の象徴として記憶されている。

 騒ぎのきっかけは、ネット上での告発だった。7月21日、ネット上に玄奘寺に旧日本軍人の名が記された位牌が祭られている写真が流れたのだ。祭られていたのは、旧日本陸軍の松井石根大将や谷寿夫中将ら合わせて5人。いずれも南京事件に関わったとされる旧日本軍の軍人だった。位牌には供養を依頼した女性の名も記されており、「この女性は一体何者か」から始まり、女性や寺院に対する非難の大合唱が沸き起こった。

 騒ぎを受け、関係各所が調査に乗り出し、22日に警察は供養を依頼した31歳の女性の身柄を拘束した。

発端は5年前...

 南京市の発表した調査結果によれば、女性は2017年12月18日、玄奘寺を訪れ、旧日本軍の5人と南京事件の際に多くの女性を救ったとされるアメリカ人女性の位牌の供養を依頼した。対応した僧侶は、女性にその者らが親戚か友人かと尋ねたところ、女性は友人だと答えたという。女性は、一人あたり毎年100元、2018年から22年までの5年分の供養の費用を払った。

 その5年後の今年2月、別の女性が僧侶や数人の旅行客の手を借り、自分の祭った位牌を探した際に、旧日本軍の軍人の位牌が祭られているのを見つけた。手伝っていた旅行客が写真に収めた。僧侶は、すぐさまその位牌を撤去したが、それを知った住職は口外を禁じ、管轄部門にも報告しなかった。

 その約5か月後の7月21日、位牌の写真がネット上にアップされた。写真をアップしたのは、作業を手伝った旅行客だった。これが、いわゆるバズって大騒ぎとなったため、関係部門が調査に乗り出すとともに、警察は女性を拘束する結果となった。

旧日本軍の悪夢に悩まされ...

 女性はなぜそのような行動に出たのか。

 女性は幼少時に南京に引っ越してきた。北京の大学を卒業した後、南京で看護師の仕事に就いた。数年後、仕事を辞めて別の寺の在家信者となった。

 女性は旧日本軍の南京での行為を知った後、悪夢に悩まされるなどの心理的な影響を受けた。不眠などにも苦しみ、医師にかかっていた。女性は、仏教に帰依した後に、旧日本軍人らを供養して苦しみから逃れようとしたという。

 調べでは、これらは女性の個人的な行為であって、誰かの指図を受けたり、他人と共謀したりという状況は見つかっていないとしている。

 女性の行動は、純粋に個人的で宗教的な行為に見えるが、中国ではそれさえも場合によっては犯罪と見做される。

 女性の行為は、民族感情を傷つけ、社会に劣悪な影響を与えたなどという理由で騒乱挑発罪にあたるとされた。そのため女性は、警察に身柄拘束され調べを受けている。

テレビで謝罪の映像も...

 南京のテレビ局は、女性が取り調べを受けている様子を放送した。その中で、女性は謝罪の言葉を述べている。

「私によって傷つけられた全ての人たちに謝りたい。埋め合わせができるかどうかわかりませんが、法律に基づくいかなる制裁も喜んで受けます」

 テレビを通じて政治犯などに公衆の面前で“懺悔”させるのは中国で使われる常套手段だ。そうやって政治的思想的な“正解”を国民に示すのだ。

事件は大スキャンダルへ

 一方、今回の問題は寺院の側の責任にも及んだ。住職は供養される者の身分を調べず、問題の発覚後も報告せず隠蔽したなどとして、更迭されるなどの処分を受けた。また、その寺院を管轄する南京市の担当部門でも、共産党書記や幹部ら複数が処分された。こうなれば一大スキャンダルである。 

 更に中国仏教協会は、各地の仏教協会に位牌の管理などをより厳格化するよう指示し、国家の利益を損害したり民族感情を傷つけたりする行為は容認しないという態度を示した。また、国家宗教事務局は、宗教界での愛国主義教育などを一層深め、同様の問題の再発を防ぐよう指示する通知を出した。

なぜ反日感情と愛国主義が高まる?

 中国では7月、8月は「敏感な時期」と言われる。日中戦争の発端となった盧溝橋事件が起きたのが7月7日、日本の終戦記念日が8月15日など、先の日中間の戦争を想起させる機会が多いからだ。今回の騒ぎもこのタイミングで起きた。この他にも南京を含む複数の都市で、予定されていた日本風の夏祭りイベントが中止されるといった事態が報じられている。

 我々の常識的な観点からすれば、過剰な反応にも見える。中国にも偏狭なナショナリズムを馬鹿げていると考えている人が多いが、反日や愛国主義の声に表立って逆らえない雰囲気もある。その最大の理由は、中国当局が長年に亘って国民や社会をそう染めてきた結果だ。ただ、反日感情やそれとセットになっている愛国主義の気運が増減するのは、日本側から発するメッセージの合わせ鏡のような側面があるのも事実だ。

ジャーナリスト

日本テレビ入社後、報道局社会部、調査報道班を経て中国総局長。毒入り冷凍餃子事件、北京五輪などを取材。2010年フリーになり、その後も中国社会の問題や共産党体制の歪みなどをルポ。中国での取材歴は10年以上、映像作品をNNN系列「真相報道バンキシャ!」他で発表。寄稿は「東洋経済オンライン」「月刊Hanada」他。2023年より台湾をベースに。著書に「習近平vs.中国人」(新潮新書)他。調査報道NPO「インファクト」編集委員。

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