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大阪桐蔭、平成最後の夏に大偉業。ちょっと昭和の甲子園を懐かしんでみる

楊順行スポーツライター
初めて取材に行った1985年夏の甲子園を制したのはPL学園(写真:岡沢克郎/アフロ)

 記録的な猛暑が続いたこの夏は、たとえば京都大会で、暑さを避けるために、試合開始時間を夕方に設定するなどの措置がとられた。甲子園でも、熱中症対策として給水タイムが設けられている。攻撃時間が長く続き、守る野手が長くグラウンドにいる状況で適宜適用され、また足がつったり、死球を受けた選手の治療中にも、野手をベンチに引き揚げさせて給水タイムとした。

「ただ、われわれの時代、熱中症で足がつるなんてなかったですよ」

 とは、50歳になるある社会人野球経験者。確かにそうだ。私の乏しい野球経験でも、真夏の炎天下に半日練習しても、足がつる仲間はいなかった。「水は飲むな」の時代、水分補給なしでそれである。私が初めて甲子園の取材に行ったのは、1985(昭和60)年。これはざっくりした記憶なので検証のしようがないが、平成の最初のころまでは、試合中に足がつる選手はほとんどいなかったように思う。むしろ、投手の足がつって降板しでもすると、それがちょっとしたニュースになっていたから、まれなケースだったのだろう。

汗をかく機能に差があるのか?

 これはきっと、乳幼児時代の生育環境の差がある。ヒトが汗をかくための汗腺は、人種を問わずにその数はほぼ同じらしいが、1歳だったか2歳までにその機能が決まるという。いまは当たり前のように、各家庭の各部屋にクーラーがあるけれど、30年ほど前までは、これほどクーラーは普及していなかった。あっても扇風機がせいぜいという環境で育った赤ちゃんは、しきりに汗をかくため、汗腺がその機能を十全に発揮するようになる。だがクーラーが普及し、ずっと涼しいところで育つと、それほど汗をかく必要がない。たとえば10の汗腺のうち、5が働いてくれれば十分なら、2歳でそのまま固定してしまう。やがて長じても、活動する汗腺は5のままだから、熱中症リスクが高くなるというわけだ。

 医学には素人だから、真偽のほどは定かではないが、昭和よりも平成の球児たちの足がつりやすいのは体感温度として実感できる。先述の社会人野球経験者にそんな話をすると、

「あるいは、最近の選手がはいているスパッツのせいもあるかもしれませんね」

 聞くと、ユニフォームのズボンの下に、テーピング効果があるスポーツタイツを着用するのが、いまは小・中学生でも当たり前らしい。これが脚を締めつけるため、足のつりを助長するのでは、という説。「甲子園に出てくるようなチームでは、水分だけではなくミネラルや塩分補給にも十分配慮しているでしょう。それなのに足がつってしまうのは、水分補給以外にも原因があるのかも」(社会人野球経験者)、というわけだ。

昭和チックな名前にはホッとする

 昭和と平成での違いといえば、きらきらネームもあげられる。2000年代初頭、リトルリーグ協会のお手伝いをしているとき、わずらわしかったのが選手名簿の入力だ。なにしろ、どんな賢いワープロソフトでも、一発変換が不可能どころか、変換候補にもあがってくれない名前だらけだったのだ。松坂大輔の名前が、誕生年の80年から大活躍した荒木大輔にあやかることはよく知られている。松坂の横浜が春夏連覇したのは98年だが、その年生まれが高校3年になった2016年、夏の甲子園で"大輔"を探すと、拍子抜けするほど少なかった。確か一人か、二人。

 わが子に個性的な名前をつけたいと、それぞれが知恵を絞るのは当然だし、どんな名前でも自由。だけど最近は、漢字の意味を後回しに、その字づらのよさだけからわが子を命名することも目立つのだとか。笑ってしまうのは、「月と星。きれいじゃん」と、名前に「腥」、あるいは同じ理由で月と光の「胱」が用いられることもあるという。前者は「なまぐさい」だし、後者は「膀胱(ぼうこう)」の「胱」なのだが……。

 この夏の球児たちも、とても読めないようななかなかユニークな名前が多かった。だって、金足農のエース・吉田は「輝星」で「こうせい」だもの。日大三には、佐藤英雄という昭和チックな選手がいたが、その名前を見たときには、よしあしではなくなぜかホッとした。試みに、私が初めて甲子園に取材に行った85年夏に優勝したPL学園と、この夏の大阪桐蔭の決勝のスタメンを、名前だけ並べてみる。

PL学園 政博・政弘・秀明・和博・泰典・真澄・隆雄・俊匠・伸好

大阪桐蔭 仁斗・斗舞・卓也・恭大・昂・瑞貴・健太・航平・蓮

 う〜ん、いかにも昭和と平成という感じがする。PLならほとんど読めるだろうが、桐蔭に関してはちょっと首をひねりますね。

眉をきれいにセットする理由とは

 そうそう、最後に小ネタをひとつ。昭和の時代なら、頭髪にそり込みを入れたりするやんちゃな学校もあったが、平成では一時、眉をきれいにセットする球児が目立った。のちにプロ入りしたそのうちの一人に聞くと、

「だって高校時代、寮ではジャージ、学校では制服、練習はユニフォーム、それで頭は坊主でしょ。自分でいじれるのは眉毛くらいだったんですよ」

 ちょっと切ないけれど、おかしかった。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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