猿之助事件で見過ごされている重大なこと
■自殺幇助罪で起訴
7月28日、東京地検は、市川猿之助を両親に対する自殺幇助罪(刑法202条)で東京地裁に起訴しました。
今までの報道をまとめると、次のような事実は前提とできるのではないかと思います。
1.某週刊誌で猿之助のセクハラ、パワハラ記事が報道されるということが分かり、週刊誌の発売直前にかれは家族会議を開いて、みんなで死のうということに話がまとまった。
2.猿之助がかつて医師から処方されていた睡眠剤(向精神薬)が残っていたので、両親がそれぞれ10錠ずつ(猿之助が水に溶かしたものを)飲んだ。
3.さらに、猿之助が両親にビニール袋をかぶせて、テープでとめた。
4.猿之助は両親の死を確認したのち、薬のケースとビニール袋はゴミ回収に出して処分した。
5.その後、みずからも同じ睡眠剤を飲み、首を吊って死のうとしたが、救助され死ねなかった。
6.警察は、両親の死因については(向精神薬による)「中毒死」としており、窒息死の兆候も確認されなかった。
改めて、自殺幇助罪とは、他人の自殺を心理的、物理的に手助けしたという犯罪ですが、本件の特徴は、一家心中でかれだけが生き残ってしまったということです。
学説では、心中とはいわば〈共同自殺〉であり、自殺そのものが犯罪でない以上、生き残った者についても犯罪は成立しないと考える説もありますが、判例も多数説も、ひとりでは実行できない自殺をお互いが行なうことで決意を強化し合い、高め合った以上、生き残った者には少なくとも死んだ者の自殺に対する幇助は成立すると理解しています。そのように考えると、睡眠剤を準備し、手渡している猿之助被告に対しては、問題なく自殺幇助罪が成立するように思えます。
量刑については、心中じたいに汲むべき事情があることも多く、本件でも悪質ではないとして執行猶予がつく可能性が大きいとする意見と、本件では両親2名が亡くなっているのであるから、事件として決して軽くはなく、実刑が予想されるという意見に分かれています。
■重大な見過ごし
しかし、この事件では重大な問題が見過ごされています。
自殺幇助罪(刑法202条)は、もちろん自殺者が死亡して成立する犯罪であり、自殺者が死ななかった、あるいは自殺行為と死亡との間の因果関係が否定された場合には、その自殺は未遂(もちろん犯罪ではありません)であり、幇助者の罪責は結果的に自殺幇助未遂罪(刑法203条)となります。
猿之助事件の場合、医療の専門家の圧倒的多数の意見としては、少なくとも報道されている事実経過では死亡することがほぼ不可能だといわれています。この点は非常に重要な点で、この多数の意見のとおりならば、結果的に両親が死亡しているものの、それが自殺行為(睡眠剤の服用)によるものとはいえないことになり、法的には自殺は〈未遂〉といわざるをえないことになります(窒息死の兆候もなかった)。
そうすると、猿之助被告の最終的な罪責も自殺幇助罪(刑法202条)ではなく、自殺幇助未遂罪(刑法203条)であり、刑法的にはかなり軽い犯罪だということになってしまい、執行猶予の可能性が高くなってきます。
因果関係の点は少し分かりずらいと思いますので、もう少し詳しく説明します。
たとえば殺そうと思って発射した弾丸が当たらなかった場合は、もちろん未遂ですが、結果は生じたものの、その行為と結果との因果関係が存在しなければ、法的にはやはり未遂となります。
- たとえば、AがBにカプセルに入れた致死量の毒薬を飲ませたが、そのカプセルが溶け出して毒が効いてくる前に、Bが心臓麻痺で死亡したような場合、殺人行為はなされていますが、その行為によって死亡した訳ではありませんので、これは殺人未遂です。また、殺人行為と死亡との間の因果関係が証明できない場合も殺人未遂です。
この点に関して、心中で生き残った者に対して、自殺幇助未遂罪の成立が争われ、結果的に裁判所が自殺幇助罪を認めた興味深い裁判例がありますので、それを紹介したいと思います(東京高裁昭和39年2月25日判決)。事案は、次のようなものでした。
C(男性)とD(女性)は心中を決意し、ともに睡眠剤を呑んだが、その量は致死量ではなかった。しかし、昏睡中にDが寝返りをうって傍らの断崖から崖下に転落して死亡した。
弁護人は、自殺行為(睡眠剤を呑む行為)と死亡との間に因果関係がないので、Cの罪責は自殺幇助未遂罪であると主張した。
このような事実に対して裁判所は、次のように判断しました。
このケースでは、因果的には、〈崖の上という危険な場所での睡眠剤による昏睡→寝返り→崖からの転落→死亡〉という経過をたどって結果が発生しています。最初の自殺行為(睡眠剤の服用)と死亡との因果関係が否定されるならば、自殺は〈未遂〉であり、弁護人の主張が妥当だということになります。
確かに、途中で被害者自身の「寝返り」という動作が介入していますが、睡眠剤が致死量でなかったとしても、もともと非常に危険な場所で睡眠剤を呑んで昏睡するという自殺行為が行なわれています。つまり、崖からの転落死という危険はこの最初の自殺行為に含まれているわけで、結果的にその危険性が現実化したものと考えられます。
言葉を換えれば、最初の自殺行為(睡眠剤の服用)によって死亡という結果が誘発されたのであり、因果関係を認めることができます。したがって自殺は〈既遂〉であり、被告人を自殺幇助罪とした裁判所の結論は正しかったと評価できると思います。
■まとめー弁護人はここを主張すべきー
さて、猿之助事件をどう見るべきでしょうか。
猿之助事件では、報道によると死因は向精神薬による〈中毒死〉とされています(窒息死の兆候はなかった)。問題は、自殺行為(服薬)と中毒死に因果関係が認められるのかということです。もしも因果関係が証明できないならば、自殺は〈未遂〉であり、猿之助被告の罪名も〈自殺幇助未遂罪〉となります。
上述のように、医療の専門家の圧倒的多数の意見によると、報道されている事実経過では、〈向精神薬の中毒死〉はほぼありえないと言われています。つまり、睡眠剤の服用という行為じたいには、(上述の東京高裁の裁判例と違って)死の危険性がほぼ存在しなかった(いずれ目が覚める)ということなのです。だとすると、死亡の危険はどのような行為から生じたのかが改めて疑問になりますが、報道では窒息死の兆候もなかったとされており、まったく不明です。
つまり、〈中毒〉による死亡という検察側の主張は、法廷で科学的に反証される可能性が高く、また、他の可能性も不明だとすると、結局、自殺行為は〈未遂〉ということになるのではないでしょうか。
だとすると、猿之助被告の罪責も自殺幇助未遂罪(刑法203条)とされ、刑法的には比較的軽い犯罪となって、執行猶予の可能性がかなり高くなるのではないかと思います。(了)
ー刑法の条文ー
(自殺関与及び同意殺人)
第202条 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。
(未遂罪)
第203条 第199条及び前条の罪の未遂は、罰する。
【参考】