猿之助の「自殺幇助」には疑問がある
自殺とは、人が自ら死ぬことであり、それを手助けすれば、自殺幇助となる。たとえば焼身自殺をするつもりの人に、だれかがガソリンを手渡し、その人がそれをかぶって自ら火を付けた場合に、ガソリンを手渡す行為が自殺幇助である。つまりこの場合は、火を付けるという本人の行為が重要で、ガソリンを手渡しただけでは決して死の結果は生じない。幇助とはそのような行為である。
また、たとえば焼身自殺するためにガソリンをかぶって横たわっているだけでは、その人は決して死ぬことはない。だれかに頼んで、火の付いたマッチ棒を投げ入れてもらえば、その人の望みは満たされる。この場合は、火の付いたマッチ棒を投げ込むことが「人を殺す」行為であって、それは幇助行為ではない。この場合は、嘱託殺人と呼ばれる。
報道を要約すると、猿之助は次のように述べているとのことである。
家族会議でみんなで死のうということになり、なるべく苦しまずに死ぬ方法として、自分が以前医師から処方された睡眠導入剤(向精神薬)を数錠ずつすり潰して飲みやすいように水に溶かして渡した。両親がそれを飲んで眠った後にビニール袋をかぶせた。後始末は自分がした。
問題は死因である。ここは報道によってトーンに濃淡があるが、警察の司法解剖の結果、死因は〈向精神薬による中毒死〉(あるいは疑いが濃厚)とのことである。
ところが、多くの医療関係者の意見では、向精神薬を数千錠飲めば別だが、あの程度の量で死ぬことはほぼ不可能だとの意見である。もちろん呼吸が抑制されるといったリスキーな状態にはなるだろうが、それだけで死に至ることはないというのが専門家の意見のようである。
私は医学の専門家ではないので、それ以上述べることはできないが、警察発表と専門家の意見のこのずれは重要な問題である。
なぜなら、現在も深刻な心身の問題を抱えて、医師から同じ薬を処方されている人は世の中にかなりいるだろう。分量を誤ればこれが死に至る危険性があるとするならば、その人たちはとても不安な気持ちになっているはずである。たまに睡眠導入剤のお世話になることがある私でさえ不安に思っている。(マスコミがいう)警察発表は本当に正しいのか。同じような薬は多く処方されているはずだから、誤った情報では不安と混乱が生じるだけだろう。
さて、あの薬では死ねないならば、猿之助の行為は幇助とはいえない。高齢者だから母親はリスキーな状態にはなっていたかもしれないが、上の例でいえば、ガソリンをかぶって横たわっている人と同じで、そのままでは決して死ぬことはなかったのである(いずれ目が覚める)。そうすると、死の原因を与えたのは、猿之助がビニール袋を母親にかぶせたということ以外には考えられない。これは幇助ではなく、(嘱託あるいは承諾)殺人である。もちろん、母親に死の意思があったことが前提である(それがなければ、普通の殺人罪)。
死に至る危険性を早めたにすぎない場合は幇助である、という考え方もないことはない。しかし、これは先行する行為じたいに死の危険性があって、後の行為がその危険が実現するのを若干早めた場合のことである。たとえば、切腹をして、なかなか死ねないので、傍らの者が介錯(首を落とす)したような場合、普通はそれは殺人行為で嘱託・承諾殺人が問題になるのだが、自殺幇助とする見解もないことはない。しかし、この場合は、先行する行為(切腹)じたいに死に至る危険性が内在している場合のことであり、そもそもその行為に死の危険性がないならば、死を早めるということは問題にならず、したがって幇助は問題にならない。
自殺幇助も嘱託殺人も同じ条文(刑法202条)で規定されている。これは、たとえば毒薬を準備して相手に渡す(自殺幇助)のと、相手の口に入れる(嘱託殺人)のと、別の条文で区別するだけの実質的な違いはないだろうという考えからである。しかし、刑法を適用するには、条文のどの箇所に該当するかは重要である。同じ条文だから、どちらでもよいということにはならないのである。(了)
(注)自殺の意思のない人に、自殺の意思を生じさせることが「自殺教唆」、すでに自殺の意思のある人の自殺を手伝うことが「自殺幇助」、頼まれて殺すことが「嘱託殺人」、同意を得て殺す場合が「承諾殺人」である。すべて、同一の条文(刑法202条)で規定されている(法定刑も同じ)。
刑法202条 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。