Yahoo!ニュース

コロナ禍で未曽有の緊急事態!だからこそ問われるジャーナリズムの役割とは

篠田博之月刊『創』編集長
「緊急事態宣言」を報じる新聞各紙(筆者撮影)

「緊急事態」が日常的に呼号されるという未曽有の危機的状況が続いている。商店街もシャッターが下ろされているし、裁判所も公判を延期、拘置所も一般面会禁止と、今まで想定しえなかった異様な事態だ。これがへたをすると1カ月続くとあって、いったいこの社会はそれに持ちこたえられるのだろうかと不安になってしまう。まさに「非常時」だ。

緊急事態を理由に批判が封殺された過去の歴史も

 感染拡大という危機的事態に市民が理解を示し、拡大防止に力をあわせるのは当然だ。ただ気になるのは、そのことをもって同調圧力が加速し、こんな時に国家のやることを批判するのは非国民だ、といった風潮が強まることだ。考えてみればファシズムや戦争へと国家が方向を誤るのは常に社会が大きな危機にさらされた時だ。こんな時こそ、国家が方向を誤らないよう監視する機能がマスメディアに求められるのだが、過去の歴史を見ると、マスメディアが権力監視どころか大政翼賛になってしまうことも少なくなかった。

 それは太平洋戦争にまでさかのぼらなくても、3・11東日本大震災と原発事故の時もそうだった。パニックになるのを恐れて政府はメルトダウンの事実も押し隠し、それを監視すべきマスメディアも発表されることを流すだけになった。後にそれに対する市民からのマスコミ不信が大きく噴き出した。

 そのことへの反省から、脱原発方針へ舵を切り、権力監視を鮮明に掲げるようになったのが東京新聞で、今回も同紙は他紙と一味違う紙面づくりを行っている。こういう時にこそ、メディアがどんな報道を行うのか、きちんとチェックする必要がある。

 ということで緊急事態宣言をめぐるマスコミ報道を検証してみたい。

東京新聞の特報面(筆者撮影)
東京新聞の特報面(筆者撮影)

 何と言ってもすごいのが東京新聞だ。同紙には特報部というゲリラ部隊があって、特報面という常設のページがある。特報面に突出した記事を載せつつ、全体としてはバランスをとるという同紙ならではの紙面展開が、こういう非常時には大きな機能を発揮している。

 4月7日から8日にかけて、政府の緊急事態宣言を、そのまま見出しで伝えつつも、一方的な危機あおりでよいのかと、各紙いろいろな思いを交錯させながら紙面を作ったと思うのだが、東京新聞の場合は、4月7日の特報面で「『緊急事態』もう一度考えよう 恣意的運用に懸念」と見出しを打った。

「批判は自粛しちゃだめ」と斎藤美奈子さん

 緊急事態宣言を報じた4月8日の紙面も、3面に「強い『副作用』認識したい」という山田健太・専修大教授のコメントを大きく掲げ、特報面では「新型コロナ『緊急事態宣言』肯定する心理なぜ 不安感絶対的力待望か 危機による思考放棄か」と大見出し。中見出しに「首相 今の空気改憲に利用か 対策失敗の結果なのに『やってる感』演出」「非常時の今 人権守る監視必要」などという文言が躍る。

 大きな話題になったのは、その同じ特報面で文芸評論家の斎藤美奈子さんが書いていた「マジか!の効用」というコラムだ。末尾がこう結ばれている。

「行動は自粛しても批判は自粛しちゃだめだ。緊急事態宣言の発令を歓迎している場合じゃない。ひるまず『マジか!』を続けよう」

 いやあ、すごい。正論だが、このタイミングでそれを言うのがすごい。

日刊スポーツの紙面8筆者撮影)
日刊スポーツの紙面8筆者撮影)

 他紙はどうなのか見てみると、目についたのが8日付日刊スポーツ。「安倍首相『皆で力合わせ』『闘い打ち勝つ』」という見出しにかぶせるように大きく「精神論だけ」という大見出しが躍り、「結局『国民の皆さま』頼み」と書かれている。

 毎日新聞は4月8日付夕刊の「特集ワイド」で専門編集委員の与良正男さんが、コラムで緊急事態宣言と経済対策について論評し、最後をこう締めている。「こんな危機だからこそ従うだけでなく、もっと注文をつけていい」。その記事の見出しがすごい。

「なぜこんな愚策を」

 新聞においては見出しの印象はとても大きい。この見出しは与良さんでなく別の人がつけたのだろうが、見出しの付け方に「意志」が感じられる。

テレビ報道を検証した朝日新聞の記事は…

 影響力の大きい朝日新聞はどうかといえば、全体として客観報道を心がけているような紙面だ。やや朝日らしいと思ったのは4月10日付の「会見、TVはどう伝えた 7日夜、首相の緊急事態宣言」。テレビ東京も含めてテレビが各局横並びで首相の会見を報じたことを紹介し、最後に作家・監督の森達也さんの「同調圧力や社会の雰囲気にのまれてはいけない」というコメントを載せているから、現状に警鐘を鳴らそうという企画意図は感じられる。

 

 でも記事全体のトーンを抑えているから、何となくぬるい感じで印象に残らない。見出しも腰が引けて曖昧だ。朝日新聞は、例の慰安婦問題の激しいバッシングの後、それがトラウマになっている感がある。

 もちろん、森加計報道でのスクープに見られるごとく、強い言葉でなく取材力を駆使したファクトで勝負しようという姿勢は間違っていないのだが、今回のような大事な局面にある種のメッセージを発信できないという印象は、あまり良いことではないような気がする。

 一方、安倍政権支持の産経新聞がどうかというと、4月8日の紙面は比較的冷静なトーンだ。緊急事態に便乗して自民党の中に、憲法を改定して緊急事態条項を盛り込むべきだという危ない主張が出ているのだが、8日付産経はそれを報じながら見出しは「憲法条項化 野党は反対」とやや引いたスタンスだ。でもそれが4月11日付では見出しが「緊急事態対応の改憲 与党意欲」と少し踏み込んだものになっている。

 

 今後、緊急事態が長期化するにつれて世論がどう変わっていくのかが問題だが、新聞やテレビのトーンはその世論形成に大きな意味を持つから注視していかなければならない。

 

日本ペンクラブ「緊急事態だからこそ、自由を」 

 マスメディアの論調とともに言論・表現団体などの見解ももっと表明されて議論がなされるべきだと思うが、4月7日に日本ペンクラブが以下のような声明を出している。少し長いが全文引用しよう。

《日本ペンクラブ声明「緊急事態だからこそ、自由を」

 感染拡大する新型コロナウイルスと政府による緊急事態宣言。日本社会はいま、厳しい現実に直面している。

 私たちは、命のかけがえのなさを改めて噛みしめたい。各分野の医療関係者が蓄積してきた技術と知見を信頼し、それらが十二分に発揮されるよう期待する。また、私たち自身が感染しない冷静さと、他者に感染させない配慮とを併せ持つ人間でありたいと思う。

 そして、私たちは、こうした信頼・期待・冷静・配慮が、人と人が自由に発言し、議論し、合意を築いてきた民主主義社会の営為そのものであり、成果でもあることを何度でも確認しておきたい。

 緊急事態宣言の下では、移動の自由や職業の自由はもとより、教育機関・図書館・書店等の閉鎖によって学問の自由や知る権利も、公共的施設の使用制限や公共放送の動員等によって集会や言論・表現の自由も一定の制約を受けることが懸念される。

 これらの自由や権利はどれも、非常時に置かれた国内外の先人たちの犠牲の上に、戦後の日本社会が獲得してきた民主主義の基盤である。今日、私たちはこうした歴史から、どんな危機にあっても、結局は、自由な言論や表現こそが社会を健全にしてきたことを知っている。

 私たちの目の前にあるのは、命か自由かの選択ではない。命を守るために他者から自由に学び、みずから自由に表現し、互いに協力し合う道筋をつくっていくこと。それこそが、この緊急事態を乗り越えていくために必要なのだ、と私たちは考える。

 いつの日か、ウイルス禍は克服したが、民主主義も壊れていたというのでは、危機を乗り越えたことにはならない。いま試されているのは、私たちの社会と民主主義の強靱さである。》

 私は日本ペンクラブ言論表現委員会の副委員長だから、あまりほめると自画自賛になってしまうが、現時点で貴重な声明だ。前半で危機に対峙することの必要性を訴えつつ、後半で言論表現などの市民的自由を制限することに危惧を表明している。

 ただ、この声明を報じた新聞の扱いはいまいちだ。短く引用するなら後半を紹介してほしいのに、前半の文言を引用している記事もあった。マスメディアの姿勢自体がまだ定まっていないゆえにこうした声明も曖昧に報じられてしまう。

 新聞労連も4月7日に2つの声明を出した。これもなかなかいい。

http://shimbunroren.or.jp/200407statement01/

「新型コロナ」を理由にした批評の封殺に抗議する

http://shimbunroren.or.jp/200407statement02/

緊急事態宣言下での市民の「知る権利」を守るために

ジャーナリズムの責務は本当に重い

 緊急事態を理由に、政府や地方自治体の権限を強化しようというのが今の流れだが、政権が原則通り、国民・市民の意志を代弁してくれる存在だったら心配はいらない。でも多くの市民が心配しているのは、「安倍一強」のもとで政権が「主権在民」と反対の行動に突っ走っている状況を目のあたりにしてきたからだ。森加計問題しかり、「桜を見る会」問題しかり。議会での圧倒的多数という数の力を背景に、公私混同で無理を通して道理を引っ込めてきたのが安倍政権だ。今のような危機的事態に直面して、こういう政権に権限を集中させなければならないというのは、この国の市民の大きな不幸と言わねばならない。

 そもそも憲法を平然と否定するような政治家を総理大臣に、しかも長期にわたって据えているということ自体、本来ならありえないことなのに、今はその政権にさらなる権力をという、極めて危ない状況だ。それを監視するのがジャーナリズムの役割だから、その責務は本当に重いと言わざるをえない。

 今のところ、想定外の緊急事態が次々と現出して、それに目を奪われている状況で、緊急事態のあり方をめぐる議論もほとんどなされていない。

 「行動は自粛しても批判は自粛しちゃだめだ」という斎藤美奈子さんの言葉を肝に銘じたいと思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

篠田博之の最近の記事