新旧ヘビー級Undisputedチャンピオン
ご存知のように、オレクサンドル・ウシクが先週の土曜日、タイソン・フューリーにスプリット・ディシジョンで勝利を収め、4冠統一ヘビー級チャンピオンとなった。2018年にクルーザー級で4つの主要タイトルを束ねたウシクは、デビュー以来22戦全勝14KOと、無敗を維持している。
アマチュア時代から、ウシクは目覚ましい活躍を見せた。2008年ヨーロッパ選手権でライトヘビー級王者に、2011年世界選手権でも優勝し、2012年のロンドン五輪では金メダルを獲得。アマチュア時代の戦績は335勝15敗である。
クルーザーから増量してUndisputedとなったウシクはここ数日間、同じく下のクラスから最重量級に転向したイベンダー・ホリフィールドと比較されている。マイク・タイソン、レノックス・ルイス、ホリフィールドが鎬を削った時代は、WBOに今ほどの権威がなく、“3冠”が統一王座だったが、時は流れ、4本目のベルトの価値が著しく上がった。
1996年11月9日、掛け率1-25とされながらも、“マグネシウム”と形容されたタイソンの強打に怯まず、真っ向から打ち合ったホリフィールドは、当時33歳。タイソンを11ラウンドKOで破り、時の人となる。しかし、その1年後に行われたマイケル・モーラー戦では、勝者となったものの、衰微を見せた。
アスリートを年齢で判断するのは愚行とも呼べるが、この試合以降、ホリフィールドはゆっくりと、老いを示していった。
ウシクは現在37歳。あの頃のホリフィールドよりも更に高齢である。自身より遥かに大きな敵に対し、アグレッシブに攻め続けた姿は、階級制のスポーツであるボクシングに革命を起こしたように映った。
4冠チャンピオン、ウシクは、プロ9戦目を最後に、祖国ウクライナのリングに上がっていない。彼はいつも、不利である筈のAWAYのリングで対戦相手を下してきた。つまり、金字塔を立てながらも、ウシクは母国で世界タイトルマッチを戦った経験がないのである。サウジアラビアで行われた今回のフューリー戦は、中立国で世界タイトルを獲得した初試合となった。
そんな姿こそ、戦火に晒され、やるせない思いで生きるウクライナ国民に、希望の灯を灯したのではなかったか。