亡くなった野際陽子さんが出演していた『やすらぎの郷』での台詞、「アグレッシブに生き抜かなきゃ」
これから野際陽子さんの役のターンになるところで
これは『やすらぎの郷』(テレビ朝日)を月曜日から金曜日まで毎日レビューする企画で、いつもの流れで、54話について書こうとしていたところ、『やすらぎの郷』にレギュラー出演していた野際陽子さんが、6月13日に亡くなっていたことが報じられた。
野際さんは、15年に肺腺がんの手術をして以降も俳優業を続け、『やすらぎの郷』では、主人公・菊村栄(石坂浩二)の亡くなった妻(風吹ジュン)の親友で、元女優の伊深凉子役を演じていた。この役は、女優を引退した後、濃野佐志美というペンネームで覆面作家をしていて、やすらぎの郷の住人をモデルにして、書いてはいけないようなことまで小説に書いているという面白い設定だった。
6話で初登場したとき、81歳(ご本人も役の年齢も81歳)に見えないほど歩き方がしっかりしていて、姿勢もよく、滑舌もよく、お元気なのだとばかり思っていたので、突然の訃報には、驚きと同時に深い悲しみを覚えるばかりだ。
すでに発売されている『やすらぎの郷』の脚本集の中巻を読むと、55話以降、井深凉子のターンに入っていくようなのだが、それを野際さんは演じきることができたのだろうか。
忘れられない、『トリック』のお母さん役
野際陽子さんは、富山県に生まれ、NHKのアナウンサーを経て、63年女優デビュー、68年、主題歌も歌ったテレビドラマ『キイハンター』でセクシーな女スパイを演じて広い人気を獲得、92年『ずっとあなたが好きだった』では、息子(佐野史郎)をマザコンに育ててしまった母親を演じて以降、姑役が定着。00年からは、風変わりなミステリー・ドラマ『トリック』で主人公(仲間由紀恵)の母親を演じ、金にがめつい俗っぽい面と、不思議な霊能力らしき面を併せ持った人物は、14年も続いたドラマの人気と合わせて、絶大な支持を得た。奇才の演出家・堤幸彦の独特なアクの強いギャグを、凛々しさと知性と品を、根底にもって演じたことが印象深い。
野際さんは、『トリック』シリーズ完結のときの筆者のインタビューで「こういうちょいと馬鹿馬鹿しいことがすごく好きなんですよ」と微笑んでいた。
ドラマの出演中に役者の死ぬケース
『やすらぎの郷』は、特別な老人ホームを舞台にした高齢者たちのドラマで、出演者の平均年齢が極めて高く、描かれる内容は老いや死についてのあれこれで、54話も、かつて実力派女優だった犬山小春(冨士眞奈美)が投身自殺した記事が新聞に載ったという衝撃の展開で終わった。53話では、菊村栄が、(脚本を)「書いてる途中に、いつポックリと逝くかもしれないからな」と言っている。このように、ドラマの中に死が溢れているのだが、出演俳優が途中で亡くなるとは、ほんとうに悲しく残念だ。
脚本家の倉本聰さんは、著書『さらば、テレビジョン』(冬樹社)の中の『追伸おふくろ様 私の中の田中絹代さん』で「僕には自分のドラマの出演中に役者の死ぬケースが何度もあった」と書いている。
亡くなった役者のひとりは、『6羽のかもめ』(74〜75年)の加東大介さん。病を隠して、『6羽のかもめ』に出演していたが、徐々に病状が悪化し、最終回を撮り終えた後、亡くなった。そのことが気になっていた倉本さんは、その一年後、『前略おふくろ様』(75〜77年)に、主人公(萩原健一)のおふくろ様役・田中絹代さんの調子が悪いのを感じて、想定していた、おふくろが亡くなる幕切れをやめて、生かしたままにしたと書いている。この話にはまだ凄絶な続きがあるが、ここに書くことはためらわれるので、興味のある方は、本を読んでみてほしい。この随筆は、冬樹社がなくなった後、理論社から復刻されたバージョンにもそのまま掲載され、その後、同じく理論社から出た『愚者の旅 わがドラマ放浪』に『断章 田中絹代』として再録されている。
いずれにしても、作家や俳優が全身全霊で取り組んだ創作と、実人生は、境界を超えて混ざり合うことがあるのだと思わされる。
野際陽子さんの最後の仕事が、どんな形になっているのかわからないが、『やすらぎの郷』6話で倉本聰さんが書いた「アグレッシブに生き抜かなきゃダメよ」という井深凉子の台詞が、いま観返すと、オンエアとはまた違って聞こえ、胸に迫る。
『やすらぎの郷』の前番組『徹子の部屋』の16日オンエア分は、急遽、野際陽子さんの追悼番組になるという。
帯ドラマ劇場『やすらぎの郷』(テレビ朝日 月〜金 ひる12時30分 再放送 BS朝日 朝7時40分〜)
脚本:倉本聰