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ドキュメンタリー『ザ・スーパーモデル』が映し出すパワフルな女性たちの今

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
今月、ニューヨーク・ファッション・ウィークで披露された『ザ・スーパーモデル」(写真:REX/アフロ)

1990年代にファッション業界のみならず、音楽業界、そして、セレブリティの世界でも独自の位置を築いたのが、いわゆるスーパーモデル。ネーミングからも分かるようにモデルを超えた存在になった数人のトップモデルの呼び名である。彼女たちが当時どんな存在であり、何を得て、何を失ったかを事細かく紐解くのが、現在Apple TV+で配信中のドキュメンタリー・シリーズ『ザ・スーパーモデル』だ。『ルックス』『人気』『パワー』『影響』と題された4部構成による作品は、華やかな世界を果敢に生き延びた女性たちの肉声と、今も変わらぬ魅力を放つミューズたちの歴史が記録されていて、ファッションの世界は勿論、美にまつわるあらゆる伝説に興味がある人たちを惹きつけるに違いない。

4人のスーバーモデルが赤裸々に語る過去と現在

証言者として登場するのは、ナオミ・キャンベル、シンディ・クロフォード、リンダ・エヴァンジェリスタ、クリスティ・ターリントンの4人だ。彼女たちは全員人気デザイナーのランウェイショーの常連であり、ショー以外にもトークショーや流行のクラブでパーティに顔を出し、一流ファッション誌のカバーを飾る一方で、ハイブランドのミューズとなって広告に登場。メディアを席巻した彼女たちは必然的に破格のギャラを手にすることとなり、リンダが言い放った『1万ドル以下の仕事ならベッドから起きないわ』という発言が物議を醸すことにもなる。でも、彼女たちの本音はどんなものだったのか?あれから30年が経過した今、それぞれの顔にそれぞれの歴史を刻んだ4人は、再びカメラの前に立ち、過去と現在について赤裸々に語り始める。こんなことは初めてではないだろうか。

今も現役バリバリのナオミ・キャンベル

今年5月ロンドンで開催されたアバの1周年イベントに姿を現したナオミ
今年5月ロンドンで開催されたアバの1周年イベントに姿を現したナオミ写真:REX/アフロ

今もしなやかなキャットウォークでランウェイに登場し続けているナオミは、フランス版”ヴォーグ”のカバーを初めて飾った黒人モデルという称号を持つ。ジャマイカ出身のダンサーを母に持ち、天性のリズム感を武器にプロのダンサーを目指していた彼女は、やがて、モデル・エージェンシーにスカウトされ、16歳目前でイギリス版”ELLE”の表紙に登場。その後、若くして一流デザイナーのショーに出演するようになる。その中には、父親の記憶がないナオミが今もパパと呼ぶ亡きデザイナー、アズディン・アライアがいた。ボディコンブームに火を点けたチュニジア生まれの天才デザイナーだ。エピソード2にあたる『人気』の中で、ナオミは業界内で横行する人種差別や年齢差別と闘ったことを吐露。そこで、リンダはナオミも同じショーにブッキングすることを出演の条件に挙げ、その活動をバックアップする。当時を振り返って、ナオミは同じ仲間たちがいたからこそ、自分が存在できたと告白している。現在、ナオミは自ら第二のパパと呼ぶネルソン・マンデラの児童基金を支援しており、数々の最新コレクションショーにワンポイントとして登場。そんな彼女に拍手が巻き起こる瞬間をYouTube等で目撃した方は多いと思う。堂々としたウォーキング、素早いターンは今も全く変わらない。そこが凄い。何よりも、ランウェイモデルを楽しんでいる風なのがいい。

娘もモデルデビューしたシンディ

夫のランディ・ガーバーと2ショット。今年5月。マリブで。
夫のランディ・ガーバーと2ショット。今年5月。マリブで。写真:REX/アフロ

『ルックス』と題されたエピソード1では、シンディが高校時代に地元シカゴの写真家の被写体となり、百貨店のブラジャーの広告でブレイクしたことが紹介される。シンディの魅力は健康美、これに尽きる。一方、私生活では1991年に結婚した俳優、リチャード・ギアとの4年間に渡る結婚生活についても触れられる。1991年のアカデミー賞授賞式に、ギアにエスコートされて会場に現れたシンディが纏っていたヴェルサーチの赤いドレスはファッション界に大きな影響を与えた。1995年の映画『フェア・ゲーム』ではアクションにも挑戦。スーパーモデルの中で唯一、ハリウッド映画に主演したのはシンディのみだ。それだけ、彼女のルックはアメリカ的だったとも言える。1998年には実業家、ランディ・ガーバーと再婚し、2人の間に誕生した娘、カイアは同じくモデルデビュー。公私共に成功を手に入れたシンディは、2021年にかつて話題になったペプシの広告をリメイクしている。あの時と同じタンクとデニムのショートパンツというコーデで。まさに生き続ける伝説だ。

私生活での苦難を乗り越えたリンダ

昨年、フェンディのショーに登場したリンダ
昨年、フェンディのショーに登場したリンダ写真:REX/アフロ

『1万ドル以下の仕事ならベッドから起きないわ』と言い放ったことを後悔していると素直に告白しているリンダは、4人の中でただ一人、自らモデルの道を選んだ先駆者だ。他の仲間たちとは異なり、他業種や慈善活動には手を広げず、ひたすらモデル業に軸足を置いてきたリンダだが、本ドキュメンタリーでは、1998年からの3年間、公の場から姿を消した理由が明らかになる。また、私生活で経験した苦難にも触れられていて、そこがスーパーモデルのキャリアを振り返る作品の中で最も印象に残る部分だ。しかし、この企画に賛同し、再びかつての仲間たちと笑顔でハグするリンダの姿は文句なしに美しい。

今年共に充実。今も光り輝くクリスティ

ラルフ・ローレンの2024SSのラストルックを飾ったクリスティ
ラルフ・ローレンの2024SSのラストルックを飾ったクリスティ写真:REX/アフロ

14歳の時、地元マイアミで馬に乗っているところをスカウトされ、高校時代は放課後だけモデルの仕事をしていたクリスティ。18歳でフルタイムのモデル業をスタートさせ、1994年には学生に戻ってニューヨーク大学で芸術学士号を取得。コロンビア大学では公衆衛生学を学ぶ等、知識欲は他者を寄せ付けない。完璧なシンメトリーの顔、漂うエレガンスは、アメリカ版”ヴォーグ”でクリエイティブ・ディレクターを務めたグレース・コディントンをして、『世界で最も美しい女性』と言わしめたほど。それだけ、クリスティには独特の気品があった。2003年には俳優で監督のエドワード・バーンズと結婚。2児を設けて現在に至っている。独特の気品は今も変わらず、ラルフ・ローレンの2024年春夏コレクションでは、ゴールドのドレスを纏ってラストルックに登場して、スーパーモデル伝説が今なお健在であることを見せつけた。

2009年にアカデミー短編ドキュメンタリー賞に輝いているロジャー・ロス・ウィリアムズと、かつてアメリカ監督組合賞の候補にもなったラリッサ・ビルズの演出は、ツッコミ不足と感じる部分は確かにある。しかし、ここで紹介したのは4人が語ったことのほんの一部であり、何よりも、彼女たちの言葉から華やかなファッション界の熾烈さと、同じ時代を生き抜いた自信が伝わってくることころが、本作の見どころ。その後やって来たグランジブームと入れ替わるようにスーバーモデル・ブームは終息するが、今、ナオミやクリスティが年齢相応の美しさを誇示してランウェイを闊歩する姿を見ると、美しさは年齢ではないこと、いやむしろ、与えられたチャンスの使い方によってはよりパワーアップすることに気づくはずだ。話題のドキュメンタリー『ザ・スーパーモデル』のテーマは、ノスタルジーではなく、今なのだ。

『ザ・スーパーモデル』

Apple TV +より配信中

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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