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承久の乱 北条時房の軍勢に突如、割り込んで来た武士の意外な正体

濱田浩一郎歴史家・作家

承久3年(1221)5月30日、北条時房(義時の弟。泰時の叔父)の軍勢は、遠江国橋本(静岡県湖西市)に到達しました。

その夜、時房率いる大軍勢のなかに、突如、十数人の武士が、紛れ込んできました。しかも、彼らは軍勢の先頭に「進出」したのです。一体、これは、どうしたことか?彼らは何者なのだ?

当然、時房軍の将兵の中にも、疑問に思う者が出てきます。その中の1人が、内田四郎という武士でした。内田は彼らの動向を怪しんで、尋問すると、彼らは「下総前司盛綱の親類・筑井太郎高重」とその手の者だったのです。

しかも、筑井は、幕府軍に属して、進軍・上洛しようというのではありません。「仙洞」つまり後鳥羽上皇方に加勢するために、進軍していたのです。

官軍方であるのに、よく小勢で、幕軍の大軍のなかに入ってきたなとその勇気に感心しますが(もしかしたら、偶然だったかもしれませんが)、筑井高重とその手の者は、その後、どうなったか?

すぐに「誅伏」(誅殺)されてしまいます。時房軍への混入が、偶然か否かは不明ですが、その最期は哀れなものでした。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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