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五輪サッカー 回想・25年前、マイアミの奇跡【その2】

楊順行スポーツライター
守護神・川口能活。アンタはエラかった(写真:アフロ)

 1996年7月21日、アトランタ・オリンピックでのブラジル戦、前半は0対0。

 舞の海相手の予想もしない展開ではあったが、ブラジルも最初は余裕たっぷり。サポーターにしても、

「少しは遊んでやれよ」

 という雰囲気だったが、そのうちにだんだん殺気立ち、前半終了時には大ブーイングだ。後半になっても日本の守備を崩せない。シュートを打っても打っても、ことごとくはじき返されるにつれ、もうなりふり構わない。

「バカヤロ! なにやってんだよ」(おそらくそういう意味のポルトガル語)

 と、セレソンたちを罵倒しはじめた。そして、後半27分。鈴木秀人(それにしても、この当時の若者たちにはキラキラネームがいない)の左からのパスを受けた城彰二がゴール前に持ち込むと、ブラジルのGKジーダとアウダイールが連携ミス。こぼれたボールに、走り込んでいた伊東輝悦がちょんとタッチすると、世界に衝撃が走る1点がものの見事に決まった。ネコだましが、決まってしまったのだ。

 残り時間も、日本の防波堤は押し寄せるブラジルの攻撃波を防ぎ続ける。川口能活がファインセーブ。城は足がつったまま必死に守る。かくして、土俵際で「こんなはずじゃあ……」と天を仰ぐ横綱を、舞の海が寄り切った。ブラジルのシュート、28本。対して日本は、わずか4本。日本サッカー史上、最大の番狂わせだ。

 勝っちゃった……それが、終わった瞬間の正直な感想。3階席にちらほらといた日本人と、思わずハイタッチする。アメリがの観客も、日本の感動的な試合に共感したのだろう、拍手しながら日本人の輪に加わる。歴史的な試合に立ち合えた酩酊感のなかで、トルコのおっちゃんがこう声をかけてきた。

「な? な? サッカーは、なにが起こるかわからんのよ」

すれ違ったファルカンと握手 

 オレンジボウルの外に出ると、日本代表監督を務めたこともあるファルカンとすれ違った。こちらを日本人と認めたのか、「オメデトウ」と手をさしのべてくれた。さすがに元ブラジル代表ともなると、こちらに八つ当たりしかねなかったサポーターに比べてだいぶ紳士的である。

 ただ……このときの日本代表は、続くナイジェリア戦に敗れ、ハンガリー戦はロスタイムに2点を挙げて逆転勝ちしたにもかかわらず、決勝トーナメント進出はかなわなかった。

 帰国後、夏の高校野球の取材で甲子園に張り付いた。決勝は、松山商と熊本工の伝統校同士の対戦となり、延長11回で松山商が5回目の優勝を果たした。松山商の外野手が、サヨナラのホームインを狙う走者を刺した、"奇跡のバックホーム"で知られる試合だ。つまり……この夏の僕は取材者として、マイアミと甲子園で二つの奇跡に立ち合ったことになる。これはおそらく、世界中に数えるほど、もしかすると一人しかいないのではないか、というのが数少ない自慢だ。

 あの夏から、25年がたつ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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