ダル流トレーニングで白星発進。埼玉栄・若生監督の、もうひとつの"ダル流"
「ダル流トレで若生監督復帰1勝」という見出しが、スポーツ紙上に躍った。
九州国際大付から移った若生正広監督率いる埼玉栄が16日、春季埼玉県南部地区予選で白星スタート。7対0のコールドで、エースの出井敏博は7回を2安打無失点に抑えた。4月1日に正式就任したばかりの若生監督が、その出井に「3日間、つきっきりで教えた」のが、股関節の柔軟性と体重移動の大切さだ。かつて東北の監督だった時代、あのダルビッシュ有を育てたのも同じトレーニングだった。
「『ダルビッシュ有 大投手への道』という10カ条を、有に渡したんだよね」
かつて若生監督をじっくり取材したとき。そんなふうに切り出したことがある。ドスの利いた、愛敬のあるだみ声。取材の前には、黄色じん帯骨化症の治療も兼ね、懇意のホテルで必ず入浴し、そのあと話を聞くのだが、気分が乗らなければ食事だけしてそのまま終わり、ということもよくあった。本人曰く、「オレ、適当だから」。
そういう豪放さがあるかと思えば、ダルビッシュらの育成には、驚くほど繊細な一面を見せる。『10カ条』もその一端で、それを渡したのは高井雄平(現ヤクルト)が東北のエースだった2002年夏、宮城県大会の準々決勝で敗れたあとのことらしい。
「有は、高校に入ったときから、それはもう末恐ろしい投手になるという予感はあった。だけどそのためには、守らなければいけないことがいくつかある。心技体のうち心で4つ、技で3つ、体で3つの項目をオレが考えてね。嶋(重宣・元西武など)にも、後藤(伸也・元横浜)にも高井にも、かつてだれにも渡したことがない10カ条。有はそれを、1メートルくらいに拡大して、ベッドに横になったら見えるように、寮の部屋の天井に貼っていたよ」
ダルビッシュが2年だった03年夏には、東北の監督として準優勝。06年からは九州国際大付を率い、11年センバツでは三好匠(現楽天)、高城俊人(現DeNA)のバッテリーでやはり準優勝。今季、当時37歳で監督歴をスタートした埼玉栄に復帰した。甲子園通算16勝。名物監督の一人である。自身、投手だったその若生監督によると、
「ピッチャーの場合、大切なのはリリース。そのために、下半身の力をいかに指先に伝えられるか、右投手なら右足に乗せた体重を左足に移す体重移動がもっとも大事になる。そこでモノをいうのが、股関節の柔らかさなんです」
変化球養成ボールが魔球を生む?
東北入学当時のダルビッシュは、中学時代に26センチ伸びた身長に対し、体重はわずか69キロの細身。しかも、両ヒザに成長痛を抱える。いわば精巧なガラス細工のようなものだ。だから、すぐにでも試合で使いたい誘惑を抑え込み、入念なストレッチをほどこした。さらに水の抵抗を受けながら大またで歩くプールトレ、スイムトレ、あるいは1日各1000回ずつの腹筋と背筋。このときのトレーニングが、のちの大成の土台にあることはよく知られている。
そしてもうひとつ。ダルビッシュといえば、七色ともいえる多彩な変化球が大きな武器だが、並外れて繊細な指先の感覚は、高校時代により研磨されたものだ。
「いわば、"変化球養成ボール"だよね」
と若生監督が見せてくれたのが、2個の金属製のボールだ。空洞のピンポン玉大で、中には鈴が入っている。その2つの玉を、ヒマさえあれば手の中で遊ばせた。
「後藤がいたころから思いつきで始めたんだけど、やらせてみると、変化球のキレがよくなったのよ。そのあとは高井が使い、有が受け継いだ。指先できれいに転がすと、中の鈴がいい音を出すのね。ただ後藤も高井も、それができるようになるまではそれなりの時間がかかったんだけど、有は1週間かそこらで、いとも簡単にきれいな音を出したんだよ。ああ、こいつは別格だと思ったね」
若生監督によるとダルビッシュは、リリースのほんのわずかな瞬間に、ボールの縫い目に指をかけたり外したりして、ボールを微妙に動かしていたという。なんという芸当、なんという鋭敏さだろう。今季はヒジの手術を受けたダルビッシュだが、MLB挑戦初年度の12年の16勝から、3年連続二ケタ勝利を続けていた。そして……ダルビッシュの渡米前、若生監督は「1年目から15勝はできる」と断言していた。名伯楽の眼力、恐るべし。
この"変化球養成ボール"、埼玉栄でも使っているだろうか。今年65歳になる若生監督の挑戦に、注目したい。