【戦時の献立】これが日中戦争時のひな祭り?『淡雪水仙』でお友達をおもてなし(昭和15年3月10日)
「もし戦時中に料理ブログがあったら?」
今日の献立は砂糖たっぷりの甘いお菓子「淡雪水仙(あわゆきずいせん)」である。
この献立が掲載されているのは昭和15年3月号の主婦之友。
「非常時向きのお節句料理と雛菓子の作り方」と題して、子供が喜びそうなひな祭り料理やお菓子の作り方が特集されている。
しかも、バーンと大皿で皆でつつける料理!といったものではなく、しっかり一人前ずつ御膳で用意するような献立が組まれている。
そのひな祭り料理の御膳はこんな具合だ。
- はまぐりの潮汁
- 赤の御飯(おそらく赤飯)
- 朝日櫻(桜色に色付けしたマッシュポテトを作って、その上に肉と野菜のクリーム煮をかけたもの)
- 橘きんとん(さつまいもを使い、見た目を橘=みかんに似せたきんとん)
- 鮃のきぬた巻(酢でしめたヒラメやほうれん草などを、同じく酢でしめた大根のかつらむきで巻いたもの)
- 菱形羹(菱餅に似せた寒天のお菓子で、イチゴシロップや挽き茶で色と味を付けている)
汁物に始まりデザートまで。
中でも朝日櫻・橘きんとん・ひらめのきぬた巻の三品は、一つのお皿に盛り合わせてメインディッシュとし、豪華さを演出している。
これだけの料理を、しかも家族全員分、作る…
そんなことは、私だったら考えない。
雑誌を読んで「あら、こんなひな祭りが出来たら素敵だね」と想像を膨らませたら、そっとページを閉じるだろう。
しかも、料理だけではない。
誌面では、お友達をお招きして出す雛菓子のレシピが掲載されている。
今回の「淡雪水仙」もその中の一品である。
そもそも戦争の真っ只中で、優雅に桃の節句を祝えるのか?
当時は日中戦争が始まって3年近くがたとうとする頃。
予想以上に長期化した戦争に日本政府も頭を悩ませていた。
そんな時局にひな祭りを祝えるのか?と思う。
ひな祭り料理特集の冒頭には、こんなことが書かれている。
この際、贅沢な雛祭をすることはつつしまねばなりませんが、また一方お雛様を飾り、日本古来の優しい和やかな気分を味わわせることも、かえって必要ではないかと思ひます(主婦之友・昭和15年3月号より)
ひな祭りはかえって必要…
余裕がない時こそ泰然自若として、自国の文化を大切にする。それこそがアジアの盟主たる日本の國民である、という考えが裏にあるような気がする。
ちなみに、この前年の昭和14年3月号にもひな祭り料理が掲載されていた。これがまた、かなり手が込んでいて、滅法くたびれた。
下の動画がその時の様子なので、興味のある方は是非ご覧いただきたい。
この動画に出てくる、餅餅に似せた菱蒲鉾は、かまぼこ自体を手作りする。
献立を紹介している料理の専門家が言うには「一度うちでこしらえると、買ったのなど問題にならないほど美味しいので、私はいつも手製しております」だそうだ。
手作り、かつ手間のかかった料理=愛情の深さ…
そういう考え方をすり込むかのように、当時の婦人雑誌は文章の端々でアピールしてくる。
というわけで、淡雪水仙である。
一体どんな味なのだろうか?
ここから先は、昭和15年3月10日だと思ってご覧ください。
昭和15年3月10日、日曜日。
午後から雨。やや肌寒し。
今日も夕飯に一品つくる。と言っても、今日は惣菜ではなく菓子である。
家内の婦人雑誌を見て、先週の日曜が桃の節句であったことに気づいた。
この間のとうもろこし粉入り蒸しパンは大失態をしでかした。
だから今日は、菓子でも作って家内に罪滅ぼしをしようと考えたのだ。
性懲りもなく、またとうもろこし粉を用いた献立なり。
水仙の花を思わせる黄色いカスタードに、真っ白な淡雪で、淡雪水仙というらし。
思わず心躍る表現。
甘い物好きの私としては、作らない手はなかったのである。
では、こしらえよう
材料(5人前)
・とうもろこし粉 大さじ1
・砂糖 コップ半杯と大さじ2
・卵 2個
・水 コップ半杯
・みかんの汁、またはゆず酢 大さじ2
・さくらんぼ、またはイチゴ 人数分
献立表は5人前になっているが、うちは家内と2人だけなので半分の量で作る。
まずは黄水仙を思はせるカスタードから。
深めのボールを用意し、とうもろこし粉を大さじ1、砂糖をコップ半杯、卵の黄身だけを入れる。
卵白は後ほど使うので取っておくべし。
そうしたらこれを混ぜ合わせる。
それにしても砂糖コップ半杯とは、はなはだ多し。
糖尿になるのではないかと不安になる分量である。が、たまの節句料理なのだから大目に見るべし。
さらにそこへ、水をコップ半杯くらゐ、少しずつ加へて手早くかき混ぜる。
次に、このカスタードを湯煎にかけ…
とろりとなったら火を止めて、みかんの汁かゆず酢を大さじ2杯ほど加へるという。
ゆず酢は手元にないので、みかんの汁を使うことにする。
みかんをすり鉢で潰して、汁を搾って、先ほどのカスタードへを加へる。
出来上がったカスタードは台付きのコップに入れるという。
残念ながら台付きのコップもうちにはないから、ガラスの小皿で代用する。
草臥レタ…
もう既に一仕事やりきったような感覚だが、まだ完成ではない。
次は上にかける淡雪を作る。
さっき取っておいた卵白を固く泡立て、砂糖大さじ2杯加へる。
まさかの、砂糖追加である。
コップ半杯なら糖尿を免れたとしても、この大さじ2杯でだめ押しとなる御仁もいるのではなかろうか。
いや、子供用の菓子であるから糖尿は関係ないか…
次に、このクリームに果物の汁を少々落として味をつけるそうだ。
ここにきて突然、なんと曖昧な表現か…
思わず頭を抱える。
これまではみかんの汁だとか、ゆず酢だとか、台付きのコップだとか、個別具体的に指定されていたのが、突然「果物の汁」である。
みかんの汁じゃないのか?
それとも何か、別の果物の汁を用意した方が良いのか?
いや別の汁は面倒である。
だが、しかし…
まぁいいか。
そこまで深く悩む必要はないのかもしれん。
みかんの汁でいこう。
これを加へたら、淡雪の出来上がりである。
淡雪を先ほど皿に盛ったカスタードの上にかける。
カスタードが冷めてからかけるように気をつけるべし。
最後に真紅のさくらんぼや苺を乗せて…
淡雪水仙の完成なり
では、いただきます。
これは滅法界甘い!
脳髄を直接刺激されるような甘さである。
しかし、思いのほか匙が進むナァ。
とうもろこし粉の香ばしさと、みかんの酸味で、釣り合いの取れた味に仕上がっているせいだろうか。
家内はというと、「甘い甘い」とすっとんきょうな声を上げながらも、結局は完食していた。
案外、気に入ったらし。
どうやら前回の失敗の罪滅ぼしは成功のようである。
ヨカッタ。
ごちそうさま。
またうまい物を作ろうと思う。
最後に、砂糖の分量について思うこと。
今回作った献立はかなりの量の砂糖を使っている。
献立にもよるが、当時は今よりもはっきりとした味の料理が多いような気がする。
また、この3ヶ月後の昭和15年6月にはとうとう配給制が始まり、まずは砂糖やマッチがその対象となる。
砂糖が配給になるという話は、国民にも事前に知らされていただろう。
もしかすると駆け込み需要のような感覚もあって、これほどまでに砂糖を使う献立になっていたのかもしれない。
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